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ブックワームは書架へ潜る  作者: くれは
第八章 鋼刺の山荒(メタルソーン・ポーキュパイン)
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47 じりじりと進む

 目論見通り、金属の棘は水の塊に向かって飛んできた。少し遅れて走り出したリオンの方には飛んでこない。

 リオンが木の陰に走り込むかに見えたが、その直前に背の低い草に足を取られて転んだ。咄嗟に、リオンは地面を転がって、木の陰に入り込む。金属の棘が飛んできて、ぎりぎり、木の幹にぶつかり、キィンと高い音を響かせて弾かれた。


「痛ってぇ」


 リオンは立ち上がると木の幹にもたれかかって、うめく。

 ズボンの裾が鋭い草によってざっくりと切れていた。背中は無事だ。けれど、細かく硬い苔の上を転がった痛みを背中全体でじんじんと感じていた。


「思ったより、走るのが大変だ。足元を気にしないと走れない。草も苔も出っ張った根っこも全部、こんなもの凶器だろ」


 リオンの感想に、ソフィーは森の奥を見据えて少し考える。そもそも木が多くて森の奥までは見渡せない。けれど、森の入り口よりも奥の方が歩きやすくなっているとは考えられない。

 奥の方がより走りにくいと考えた方が良いだろう。そのくらいは、リオンもきっともう気づいている。

 だからソフィーは、手短に問いかけた。


「奥まで走り続けられそう?」

「まあ……休み休みだからな、なんとかなるだろ。やるしかないならやるまでだ」


 リオンは息を整えながら、次の通り道の目星をつけようと木の陰から顔を覗かせた。途端、森の奥から棘が飛んできて、金属の木肌を削ってゆく。

 首を引っ込めたリオンが、大きく息を吐く。


「やりにくいな、まったく」


 ぼやいて、リオンは木にもたれかかる。背中に当たる木肌はごつごつと硬く不快ではあるけれど、細かな棘のような苔よりはだいぶマシに思えた。

 リオンの覚悟とは別に、ソフィーは冷静に考える。リオンだけじゃない。リオンと連携するソフィーも、何かあったときのことを考えればセティだって、一緒に森の中を駆け抜けなければならない。

 こんな状態では、リオンだけならともかく、三人で移動するのは難しい。


(それでも進むしかない、か)


 ソフィーは小さく息を吐いて、セティの方を見た。


「次はセティが行って。足元には気をつけてね、怪我しないように」

「もどかしいな、こんなふうにちょっとずつしか動けないなんて」

「他に良い方法が見つかると良いんだけどね。行けそう?」


 セティはちょっと唇を尖らせて、それでも頷いた。


「当たり前だ。こんなのどうってことない」

「なら良かった」


 ソフィーはにっこりと笑って、今度はリオンの方を見る。


「次はセティが行く。その間にリオンは進路を確認して。気をつけてね」


 リオンは片手で軽くOKサインをつくってみせた。

 それを確認して、ソフィーはまた森の奥を見る。手のひらの蛙を森の奥、セティが走るのに邪魔にならない方に向ける。


「放て!」


 ソフィーの声とともに、水の塊が森の奥へ飛んでゆき、飛んできた棘に貫かれて弾けた。

 ほとんど同時にセティは走り出す。尖った草の葉を避けて大きく踏み出す。苔むした地面を踏んで、顔をしかめる。

 それでも、次に奥から飛んできた棘は、セティが隠れた木に当たって弾かれた。ソフィーはほっと息をつく。

 そして次はソフィーの番だった。手のひらに乗せていた碧水の蛙アクアルーラー・フロッグは、肩に乗せた。


「放て!」


 水の塊を撃ち出して、同時に走り出す。ソフィーと同時に、リオンも次の木へと移る。

 張り出した木の根は、障害物としてだけでなく、金属特有の滑らかさで走る動きを邪魔した。力を入れて踏み出したソフィーの足が滑る。


「ソフィー!」


 セティの声に返事をする余裕もない。

 苔の上で足を踏ん張って、転ばないように走り続ける。ブーツの厚い靴底には細かな傷がつく。そのでこぼこした感触がソフィーの足の裏に伝わってきた。

 次の棘が飛んでくるより先に、ソフィーは木の陰になんとか入り込む。

 想像していたよりもずっと、走りにくい。これをあと何回繰り返せば良いのかと、ソフィーは大きく息を吐く。


「こっちも大丈夫だ!」


 木の向こうからリオンの声がする。木の陰から顔を出して、その無事を確認することもできない。

 意思疎通すら、さっきよりも難しくなってしまった。次にリオンが向かう方向がわからないと、水の塊をどこに撃ち出せば良いかもわからない。


「思ってたよりも、ずっと大変ね」


 思わずこぼしてしまった言葉に、セティが視線をあげる。黒い瞳が、ソフィーを見上げている。

 ソフィーは慌てて、微笑んでみせた。


「ごめん、今のは忘れて。さ、次はセティの番。走る準備してね」

「いや……」


 セティは何か言いたそうに視線を彷徨わせたけれど、うまく言葉が見つからず、小さく首を振った。


「やっぱりなんでもない。俺は大丈夫だ」


 顔をあげて、セティは体勢を整えた。

 セティの様子が少し気になったけれど、今そこに時間をかけている場合じゃない、とソフィーは判断した。リオンを待たせているのだ。

 ソフィーは木の陰から、リオンに向かって声を出す。


「今からセティが行く! リオンは囮の方向に問題ないか確認して! 次にリオンが走るのと重ならないようにしたいから!」

「了解!」


 ソフィーはセティを見る。セティは頷く。

 そしてソフィーは手のひらを持ち上げる。肩に乗っていた碧水の蛙アクアルーラー・フロッグが手のひらに乗る。


「放て!」


 セティが走り出す。

 これだけ神経をすり減らしているのに、さっきから少ししか進めていない。本当にこんなことで良いのかと、ソフィーは少し弱気になる。

 その感情を押し込めるために、ソフィーは首を振った。濃い茶色の髪がふわりと広がる。


「ソフィー、俺は大丈夫だ!」

「方向は逆にしてくれ!」


 セティとリオンの声が聞こえる。ソフィーは覚悟を決めて顔をあげた。


「わかった! 十秒後に!」


 碧水の蛙アクアルーラー・フロッグをまた肩に乗せる。リオンにも伝わるよう、声に出して一つずつカウントしてゆく。

 カウントのおかげで余計なことを考えずに済む。数が一つ進むごとに心が落ち着いてくる。


「放て!」


 そしてソフィーは、走り出した。木の陰から出て、少し先にセティの姿を見る。その姿めがけ、走る。





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