34 これは脅しだ
オリヴィアの店を出て、ソフィーは書架街の中程より少し下、メインストリートに面した喫茶店でリオンと落ち合った。
暖かな灯りの雰囲気の良い喫茶店だ。扉を開ければ、コーヒーと焼き菓子の香りが漂っていた。
店内は混み合っている。誰もが落ち着いた雰囲気でコーヒーと会話を楽しんでいて、適度なざわめきが心地良かった。
ソフィーはメインストリートが見える窓際の席に座る。
シジエムのこと、爆炎の赤竜との対峙は、一人で抱えるには少し大きすぎるものだった。語り合って気持ちを整理する必要があると、二人とも考えていた。
それでこうやって喫茶店で向かい合って座っている。
リオンは、今日は探索者向けの上着を着ていない。半袖のシャツから覗く腕には、傷を手当てした跡がまだたくさん残っていた。
「怪我は大丈夫?」
ソフィーの言葉に、リオンは自分の腕の状態を見て、それから大袈裟なほどに首を振った。
「たいした傷じゃないよ。ソフィーこそ、体は大丈夫か?」
「実はまだちょっと痛むけどね。でも、それこそひどい怪我にはなってないよ。擦り傷がほとんど」
そう言ってソフィーが微笑んだとき、二人分のコーヒーが運ばれてきた。琥珀色の香りが、ふわりと二人の頬を撫でる。
二人はわずかに沈黙して、カップを持ち上げた。
ゆっくりとコーヒーを一口飲んで、リオンは溜息とともに切り出した。
「竜は売ることにしたよ。あれは俺だけの手柄じゃないから。売ったら金は三人で分けよう」
「ちょっともったいない気もするけど」
「まあでも、俺の手には余るよ」
「取っておいても良いとは思うけど……でも、所有者になったリオンがそう言うなら」
強すぎる本の所有者になっても、使いこなせなければ意味がない。だから、リオンの判断は妥当なのかもしれない。ソフィーはそう考えることにした。
(それとも、リオンは三人で報酬を得る形にしたかったのかもしれないけど)
一緒に書架に潜ったのだ。誰かに偏ることなく三人で分けたいと、リオンは考えたのかもしれない。そうするには、お金というのはちょうど良いものだ。
そんなことを考えながら、ソフィーはコーヒーをまた一口飲んだ。
「それで、セティはどうした?」
「まだ閉じてる。今日帰ったら開いてみるつもりだけど」
「昨日は開かなかったのか?」
心配を表情に出さずに、ソフィーは微笑んで頷いた。
「きっと無理しすぎたのね。それまでも開きっぱなしだったし、休息が必要なんでしょう。少しすれば開けるようになると思う。きっと大丈夫」
「そうだな。あいつも本なんだから、そうだよな」
「ええ」
セティが開かない心配は、リオンよりもソフィーの方がずっと大きいはずだ。そのソフィーが「大丈夫」と言うのだから、リオンだって頷くしかない。
リオンはコーヒーカップを下ろすと、揺れる琥珀色を見つめる。
「それで、セティが開いたら、また一緒に書架に潜るつもりか?」
リオンの言いたいことがわかったのか、ソフィーはわずかに動きを止める。コーヒーの香りが、鼻をくすぐる。
小さく息を吐いて、ソフィーはコーヒーカップをおろした。顔をあげて、リオンに向かって頷く。
できるだけ、なんてことないように。当たり前のように。
「そうするつもり。だってわたしは探索者だもの」
リオンはもちろん、ソフィーのそんな態度にごまかされてくれなかった。
「あのシジエムって名乗った本、写しって言ってたんだろ? だったら、次は原本が来るかもしれない。あいつだけじゃない、他にも……いるんだろ、きっと。
そして、みんなセティを狙って来るんだ」
ソフィーはそれでも、なんでもないことのように肩をすくめた。
「探索者だもの、危険は覚悟の上。ううん、それだけじゃない。わたしはセティの所有者でいたいの。だから、そういうのも全部、覚悟したい」
ソフィーの態度は軽いようでいて、言葉は決して軽くなかった。
強い意思のこもった鳶色の瞳が、まっすぐにリオンを見つめる。リオンはその瞳を見返して──そして、わざとらしく溜息をついた。
「ソフィーの覚悟の強さはわかったよ。ただ……次も俺を呼べよ」
今度はリオンの青い瞳が、まっすぐにソフィーを見つめる。その真剣さに、ソフィーはそっと目を伏せてしまった。
「そうね、考えておく」
「ごまかされないぞ」
リオンはテーブルに両手を置くと、身を乗り出した。目を伏せるソフィーを無理矢理覗き込む。ソフィーは困ったように眉を寄せた。
「竜がどのくらいの値段で売れると思うんだ? こんな美味しい話、俺にも噛ませろ」
「それこそ……危険でしょ」
「俺たちは探索者だ。危険は覚悟の上、だろ?」
リオンがウィンクする。
本当は、リオンはただソフィーとセティを心配しているのだ。リオンはそんなことは言わないけれど、その気持ちはソフィーにも伝わっていた。
だからこそソフィーは、リオンを巻き込んで良いのか、危険に晒して良いのか、迷っていた。うまく言葉が出てこなくて、うつむいて意味もなくコーヒーカップを眺める。
何も言わないソフィーの代わりに、リオンは声を潜めて言葉を続けた。
「俺はセティの事情も知ってる。約束通り秘密は守るけど、その代わりに俺も連れていけよ。良いか、これは脅しだぜ?」
ソフィーのためらいを知っているからこそ、リオンはこんな言い方をするのだ。ソフィーは小さく息を吐いて、顔をあげた。
「降参。わかった。次に潜るときには声かけるから」
「ああ、楽しみにしてるからな」
リオンは明るく笑った。つられて、ソフィーも微笑んだ。
「まあ、まずはセティが開いて、それに怪我も治ってからね」
「抜け駆けはするなよ」
「もう、わかってるから」
ソフィーの表情に安心したのか、リオンはまたカップを持ち上げてコーヒーを飲んだ。
リオンがそんな態度だから、ソフィーは結局「ありがとう」とは言えないままだった。




