20 新しい作戦
迫ってくる大鷲の鉤爪に、セティは後ろ向きに倒れながら手を伸ばす。
「氷華の兎!」
氷色の兎が、セティの目の前に飛び跳ねて、大きな氷を出す。それは、さっきまでセティの頭があった場所だった。そして、ソフィーとリオンの目の前だった。
透き通った氷が太陽の光を跳ね返し、きらきらと輝く。
「紡ぎ手の蜘蛛!」
鉤爪が氷を砕く。細かくなって飛び散る氷の中、たくさんの蜘蛛が糸を吐きながら降ってくる。細い糸は空中に溶け込むようにほとんど見えないけれど、時折光を反射してきらりと光った。小さな蜘蛛たちは、その丈夫な糸で大鷲の動きを封じようとする。
ソフィーとリオンが大鷲に手を伸ばす。
それらの手を拒むように、大鷲は高く鳴き声をあげ、激しく羽ばたいた。セティは顔を歪めて、意思の力で糸を絡ませるが、大鷲の羽ばたきはそれよりも強く、蜘蛛と糸を吹き飛ばした。
それでもと伸ばしたリオンの手に、暴れる鉤爪が触れる。
「っつぅ」
舌先に漏れる声を、リオンは堪える。手の甲が切れて、流れ出した血で手袋が濡れる。
「リオン!」
ソフィーが声を上げる。そしてそのときにはもう、大鷲は上空に飛び上がっていた。
もう片手で手の甲の傷を押さえて、リオンは笑った。
「大丈夫。手袋もあるし、傷は深くない」
リオンは真面目な顔になると、深く溜息をついた。
「それよりも、所有者になれなかった。セティがせっかく目の前で足止めしたのに逃した。すまない」
倒れ込んでいたセティは地面から起き上がると、びっくりしたように瞬きをしてリオンを見上げた。
リオンはいつもの明るい表情になって、セティを見下ろした。
「ん? なんだ、そんな顔して」
「いや……」
セティはわずかに目を伏せて、それからまたリオンを見上げた。睨みつけるように。
「俺だって、本を抑えておけなかった。もっと……もっと長い間、あいつを止められたはずなんだ。捕まえられなかったのは、俺のせいだ!」
リオンは手袋を口に咥えて脱ぐと、道具袋から応急処置テープを出して、傷口に貼る。その上から、また手袋をはめた。
ちらりとセティに視線を向ける。
「自分のせいだって言うなら、何が駄目だったのか、わかってるのか?」
「ちょっとリオン、セティは……」
リオンの厳しい物言いに、ソフィーが割って入ろうとする。セティがソフィーを振り返る。
「ソフィーは黙ってて!」
その言葉は思いがけず強く、ソフィーは言葉を呑む。
セティは悔しそうな表情を浮かべている。失敗したのが悔しい、逃したのが悔しい、何よりもうまくできなかったのが悔しい。
それでも、その悔しさを食いしばって、力強くリオンを見上げる。
「本の知識を二つ以上使うのが、思ったよりも難しいんだ。特に、さっきの網を作るみたいな細かいことをやろうと思うと……なんていうか、こう……」
セティはもどかしそうに言葉を切って視線を揺らしたあと、またリオンを見上げた。
「大変……そう、すごく大変なんだ」
認めるのは気に入らないけど、とセティは小さく呟いた。
「そう。じゃあ、別の方法を考えなくちゃ」
セティの言葉に思考を切り替えて考え込むソフィー。対照的にリオンは、にやりと笑ってみせた。
「そうか? 俺はさっきの、良いセンいってたと思うけどね」
「どういうこと?」
「蜘蛛の糸で網を作るだろ、それを罠みたいに固定して仕掛けておくんだ。そして、本をそこに突っ込ませる」
「罠みたいにって……」
ソフィーはその姿を想像して、首を振った。
「どこに固定するつもり? この何もない草原で」
「氷華の兎の氷を使えば良い。それを柱にして、間に蜘蛛の巣を張るんだ」
「それは……」
ソフィーは口ごもってセティを見下ろす。一度に二つの知識を使うのが大変だと、本人が言ったばかりだ。リオンはそれを今からやれと言っている。
リオンはまっすぐにセティを見下ろした。
「お前ができないって言うなら、この作戦はナシだ」
セティはぐいと顎をあげて、リオンを見返した。
「やる。やってみせる」
「じゃあ、決まりだな。罠を作ってる間の囮は、俺がやる」
リオンは道具袋から一冊の本を出した。
「開け、斥候の蝙蝠」
そうして開かれた本は、両の掌を開いたくらいの蝙蝠の姿になって、リオンの周囲をぐるりと飛んだ。
「それが、囮?」
ソフィーが目を細めて斥候の蝙蝠を見る。
「ああ、あの本がセティばっかり狙ってる理由が体の大きさなら、より小さい獲物を狙うようになってるのかもしれない。斥候の蝙蝠が囮になれたら、セティは罠作りに集中できるだろ?」
リオンは斥候の蝙蝠を頭上に飛ばす。そのはるか上に、相変わらず大鷲の影が大きく翼を広げていた。
「ここまでやるんだ、できないとは言わせないぞ」
リオンの視線を、セティは受け止める。受け止めて、ぐいと見返した。
「やってやる。お前こそ、ちゃんと持ちこたえろよ」
「それこそ、やってやるよ。ソフィー、お前はセティの補助をしてやれ」
ソフィーは眉を寄せて、腰に手を当てた。
「ちょっと、勝手に決めないでよ。囮なら複数いた方が」
「まあ、ここは俺に見せ場をくれよ」
冗談めかして、リオンがウインクする。ソフィーは呆れたように溜息をついて、それから仕方ないと言わんばかりの顔で肩をすくめた。
「今回は譲ってあげる。これ以上、怪我しないでよ」
「大丈夫だって」
明るく軽くリオンは笑って、けれどすぐに真面目な顔で空を見上げた。
「次に本が降りてきて斥候の蝙蝠が囮になれるとわかったら、作戦開始だ」




