ep46 再来訪した使者
リームがアリスたちを伴いフォーレに行った日から二か月が過ぎようとしていたころ、孤児院で十五歳となった孤児たちの卒業が、翌月に迫っていた。
十五歳となり成人と認められ、新たな旅立ちの節目も、浮かれている大人たちばかりで、卒業する孤児たちの表情は冴えなかった。
彼らにとって卒業とは、苦難の人生を送る始まりに過ぎないこと、その残酷な運命を知ったからだ。
マリーのような特別な事情を言い含められた娘と上級待遇以外の孤児たちは、15歳になって初めてそれを知る。
卒業を目前に控えてた時になって、彼らにとって莫大な額の『養育費』を支払うよう求められるからだ。
当然支払いができない彼らは、しぶしぶ斡旋された奉公先で働くことになる。
上級待遇にも関わらず、容姿に秀でていたマリーもまた、残った子供たちを養うためと諭され、娼館に行くことを無理やり同意させられていた。
そんなある日、孤児院の前に一台の馬車が停まった。
「おやおや、大貴族の覚えもよく王都で羽振りをきかせている商人さまが、何を好んでまた辺境の孤児院までやって来たんだい?」
リームの件では色々としてやられた院長は、嫌みの一つでも言ってやりたかった。
だが相手はそれを平然と受け流した。
「なんだ? 折角リーム殿の件でいたくお喜びの依頼人が、わざわざ俺に謝礼を託してきたというのに、それを断るとは殊勝な話だな」
そう言うと彼は、背負っていたリュックから重そうな袋を取り出しテーブルに置いた。
その時した、袋の中の金貨が奏でる独特の音を老婆は聞き逃さなかった。
「なんだい、それを早く言ってくださいよー。
事前に言っていただければ、おもてなしの準備を整えてお待ちしていたのに……」
露骨に態度を変え、金貨の詰まっている袋を手にしようとした。
だが……、そこでアイヤールは袋を引いた。
「まだだ、これは俺の話が済んでから、だな」
「なんだい勿体ぶって……、で、話とは?」
『この婆、ただ強欲なだけで交渉の基本も知らないとみえるな』
目の前でコロコロと態度を変える老婆に、アイヤールは笑いを押し殺していた。
「まずはリーム殿だが、残った孤児たちのことを考え懸命に仕えているよ。その結果、依頼主にいたく気に入られてな。夜な夜な寝所に招かれていらっしゃる」
「そうかい、リームは出来の良い子供だったからね」
まるでそんなことは関心がない、とでも言いたげな様子で院長は淡々と応じただけだった。
『こいつ……、作り話とはいえ、俺の言った言葉の意味を本当に理解しているのか?』
そう思うとアイヤールは無性に腹が立ってきたが、外見上は涼しげな笑顔を浮かべたままだ。
「懸命に務めるリーム殿に情が移られたのか、依頼主はひとり屋敷に囲われている彼の寂しさ紛らしてやろうと考えられた」
「そりゃあ……、情け深いお方じゃないかい。リームも果報者だよ」
『ならお前がやってみろ!』
アイヤールは再び湧き出た心の声を嚙み締めた。
「それでリーム殿には、日中の寂しさを紛らわすために友人を、と考えられたわけだ。
そしてリーム殿にどんな友人がいいかお尋ねなさった」
「ちょっと待ちな! それってまさか……」
「ああ、やっと察してくれたか。
今回俺は礼金を渡しに来たと同時に、リーム殿が望むご友人を引き取りに来たってわけだ」
アイヤールがそう言うと、老婆は複雑な表情をして押し黙った。
リームの言う友人が、誰であるか察しがついたからだ。
「で、今回もまた俺に商談を命じられたという訳だ。
最初に忠告しておくが俺は商人だ。前回と同様に利のない話であれば降りると予め依頼主からは了承を得ている」
そう言うと院長の表情は一気に赤くなった。
前回、意に沿わない決断をさざるを得なかった経緯が、まざまざと頭に浮かんだからだ。
だが、今回は前回と事情が違う。
「私たちを脅す気かいっ! 今回はたかが友人の話だろう? そうそう何度も思い通りになるとは思わないでおくれ」
「そうだ! いい歳をした男が、寵愛する子供の機嫌を取りたいと考えた内容だ。
いいか、恋愛感情は時として常識を越える。思いに焦がれる者は時として俺たちの想像すら及ばんほどにな」
「くっ……、それでリームは誰を指名したんだい」
「誰を……、ではないな。誰たち、だ。アリスという姉のように慕った少女と、カールという兄のように慕った少年、そして彼が密かに思い焦がれていたマリーという少女だ」
「冗談じゃないよ! カールは既に教会の衛兵として仕えることが決まっているし、二人は……」
「二人はどうした? まさか衛兵や修道女になると決まっている訳でもないのだろう?
奉公に出すにしろ、身請け金などたかがしれている」
「飛びっきりの値がつく上玉を、おいそれと譲れる訳がないんだよ!
そんなことをしたらこっちも大損こいちまうだろうが」
「誰がそんな値を付けるんだ? たかが奉公人にリーム殿以上の値が付くはずもないだろう」
「馬鹿な事言わないでおくれ、娼館ならあの何倍もの高額で引き取ってくれるさ」
『ふん、語るに落ちたな。自分から人身売買を行っていると言っているようなものだろうが』
これまでも彼は、この老婆が激発しやすいように挑発し続けていた。敢えて噓の話としてリームが主人からそういった扱いを受けていると話したのも、実のところアリスたちに話が及んだとき、老婆が口を滑らしやすいよう、呼び水として『設定』を作っていただけだ、
そして……、老婆はいとも簡単に売り言葉に買い言葉で応じてしまった。
「ほう? それはおかしな話だな。
本人が卒業後に自分の意志で娼館に行くのなら、その額をお前たちが気にする必要もないだろう?
この国ではヒト種の奴隷売買は王法によって固く禁じられている。借金奴隷以外は、な」
「だから二人は借金を返すために行くんだよ!」
「ほう? ならばその借金というのを俺が肩代わりしてやるよ。それとも何か?
孤児院とは莫大な『養育費』を不当に本人に請求し、それをカタに子供たちを売り飛ばす奴隷商なのか?
その場合はもちろん、国の認可は受けているんだよな?」
「ちっ……、それはあの子たちが他の孤児たちのために、自ら望んで……」
そこまで言って老婆は回答に詰まった。
無許可で奴隷商まがいのことをしているとなれば、罪を受けるのは自分たちだと分かっているからだ。
そのためにも送り出す子供たちには、残った子供たちを養うためと重々言い聞かせ、あくまでも本人が望んで娼館に行き、その対価は孤児院に寄付するという形になるよう誘導していた。
これまでも世間を何も知らない子供たちは、孤児たちの暮らしが良くなるのであればと願い、自ら望んで娼館へと売られていった。
「ほう? では本当に同意しているのかどうか、俺の前で本人たちに確認してみたらどうだ?」
そういわれた時、逆転の機会を見出した老婆は醜く笑った。
それがアイヤールの罠だとも知らずに……。
「必要ないね。私たちは孤児院で暮らす子供たちの親代わりでもある。
親として本人の意思を確認している以上、何の関係もない商人風情が口を挟む権限はないんだよ!
出直して来るんだね。もっともそのお方が、わざわざ『お友達』のために『政治』で手を尽くされるとも思わないけどね」
そう言って老婆は傲然と胸を反らした。
敢えて前回は言い込められた言葉も使って。
どう考えても彼女の言葉は正しく、本来ならばアイヤールが入り込む余地などないものだった。
本来ならば……。
だが今のアイヤールには前回の訪問時とは異なる秘策もあった。
当然のことながら、今の彼も前回と同じ立場ではない。
アイヤールは優雅な所作で懐中に手を伸ばすと、不敵な表情で対する老婆に向けて笑いかけた。
これまでのやり取りで、既に老婆を陥れるための罠は張り終えていた。
彼にとって、ここからが『交渉』の本番となるのだから。




