ep110 待ちわびた知らせ
新しい年が明け、リームが十四歳になったある日のことだった。
トゥーレの城門脇にある大樹の枝に、茶色と灰色の布が結ばれていることに気付いたアスラール商会の男は、さり気なく枝に近づくとそれを手に取った。
そして二枚の布の代わりに、黒い布を結わえなおすとその場を立ち去った。
それから三日後……。
この知らせは商会を経由して、宛先とされた人物に届くことになった。
◇
この日俺は、アスラール商会が新たに物資の集積拠点とした街でゲートを開き、フォーレへの輸送と販売品の受け入れを支援していた。
トゥーレやモズが大っぴらに拠点として活用できなくなった今、ガーディア辺境伯領で第五の都市とされたアスラが今や流通の拠点となってなっている。
この街を新たな拠点して定めた理由は主に三つ。
ひとつ、版図が拡大されたルセルの勢力範囲外で、最もトゥーレ(フォーレ)に近い街であること。
ひとつ、アスラは隣接する鉱山とともに発展し、様々な鉱物の集積地となっていること。
最後は、その名の通りアスラはアスラール商会発祥の地であることだ。
今やブルグとなった三男も、豊富な鉱物資源を抱えるこの街だけはルセルに譲らなかった。
そのため辺境一帯を譲られたルセルの領地のなかで、この一角だけは伸ばされた舌のように奴の領地に食い込んでいた。
そういった事情でトゥーレにも比較的近く、俺の移動もなんとか許容範囲内の距離だった。
まして、ここに拠点があれば頭の痛かった二つの課題、鉱物の仕入れとフォーレで生産された製品の販路、この二つの課題も解決できる。
更にもともとアスラール商会発祥の地であったアスラは商会ネットワークの中心であり、街の行政府にも顔が利いた。
今やアスラール商会はアスラ最大の商会として、街の統治機構から様々な便宜も図ってもらえるほどに存在感を表していた。
今やフォーレとの交易の新たな拠点となった街の商業区画には、アスラール商会の本店と商会直営の販売店が軒を連ね、フォーレで製造された加工食品や各種製品が売られるようになった。
鉱物も近隣の鉱山から一度アスラに集積されるため、アスラまでは輸送の手間なく入手可能で、そこからフォーレに送ることが可能となっていた。
融通や利便性、販路、鉱物の仕入れと、一挙に解決できる立地、それがアスラだった。
そして……。
「リーム殿、トゥーレから報告が入りましたぞ!」
そう言って商会長が四畳半に飛び込んできた。
「教会からの知らせです。布には七日後を示す符牒が記されていたようです。
もっとも、これは今から三日前の話になりますが……」
タイムロスが出るのは仕方のない話だ。
俺が魔法を頼りに移動するならまだしも、馬を使った都市間の連絡手段には限界がある。
「なら俺は今回の輸送に目途がついたら一度フォーレに戻り、あちらからトゥーレに向かおうと思うけど、商会長はどうする?」
俺がわざわざフォーレに移動するのは、アスラからモズを経由して南側からトゥーレに向かうより、ゲートを抜けてフォーレに転移し、そこから魔の森を駆け抜けて北側から入る方が目立たないからだ。
今や『リュミエール』を警戒するルセルは、トゥーレの南側に位置するモズとの街道上に関所を設け、往来を警戒して目を光らせている。
だが、餓狼の里で獣人たちを殲滅したと思っているのか、それとも広大な境界線をカバーしきれないのか、北の魔の森側は警戒網にも穴がある。
「アスラに集積された開発用物資や商品もあるので、私も久々にトゥーレに顔を出そうと思っています。
各支部長たちの成長振りも見たいですしね」
俺たちがトゥーレやモズを引き払ったと言っても、それはあくまでもフォーレとの取引部門を引き払っただけの話で、アスラール商会は今も変わらず各町に拠点を残し、商売に勤しんでいる。
商会長も今や軸足はフォーレとアスラに移し、トゥーレとモズには拠点長を配置して運営を任せている状態だった。
「ならばトゥーレにて三日後、期日の前日にいつもの宿でどうかな?」
「承知しました。私は早速荷をまとめ、今日中に出発して彼方で準備を整えておきます」
そう言うと商会長は、準備のため再び四畳半の中からアスラへと戻っていった。
「クルト、とうとう目的を遂げることができたのかな?」
俺は一人そう呟いて嬉しさの余り表情を崩していた。
もし俺の期待通りなら、俺たちの計画は一気に前進する。
結局シェリエも一年近く待たせてしまったしね。
その日の夕刻、予定されていた搬入出を全て終えたのち、アスラでアリスやマリー、シェリエなどへのお土産を買ってから俺はゲートを開き、夕闇に包まれ始めたフォーレへと戻った。
◇◇◇ 三日後 トゥーレ
商会長との約束の日、俺は早朝にフォーレを出て、先ずはノイスにあるアスラール商会の拠点に向かった。
なぜならトゥーレでは日中に城門を抜ける際に審査がある。
住民や衛兵と顔見知りの者は最低限の審査や顔パスの場合もあるが、よそ者はそれなりに調べられる。
採集班として出ていたころは孤児院の活動として周知の事実だったので毎回顔パスだったが、今はあの頃と事情が違う。
ましてあの一件(トンネル破壊)以来、トゥーレに入るための審査は更に厳重になっている。
だが……、開拓地であるノイスはそういった審査も特にない。
そして一旦ノイスに入れば、アスラール商会より馬と荷馬車を借りて、奴が警戒しているモズ方面を経由せずともトゥーレに直接入ることが可能だ。
今やアスラール商会は供託金を支払い『優先枠』を持つ『開発参加商会』だからね。
その特典として、トゥーレの入城審査はフリーパスとなっている。
なので俺も訝しがられることなく、商会の隊列に紛れ大手を振ってトゥーレに入ることができた。
そして……。
俺が見た新しいトゥーレは大きく様相を変えていた。
表通りは大きく拡張されて商店が並び、かつての貧民街には開発枠参加商人たちが拠点とする倉庫と、移設された駐留兵の駐屯地や詰所が並んでいた。
もちろんその中には、アスラール商会に割り当てられた倉庫もある。
「リームさま、我らはこのまま積み下ろしと積み込みに入りますので、こちらで失礼します。
商会長からは既にいつもの宿を手配していると伝言も入っておりますので……」
ここまで送ってくれたアスラール商会の商隊と別れ、俺はひとり町中へと足を進めた。
今回わざわざ日中を選んでここに来た理由、それはトゥーレの変貌をこの目で見たかったからだ。
以前からずっと定期便を開くため訪れていたが、目立たぬように裏町の倉庫か貧民街の拠点にしか滞在しておらず、たまに町を出歩いたとしても人目に付かない夜だった。
そのため俺にとって久しぶりに見る町の変化は、劇的に映っていた。
『凄い賑わいだな……』
思わず大きなため息を吐いてしまった。
表通りは商店で埋め尽くされているし、以前は裏通りだった部分にも整然と商店が立ち並び、広場は市で埋め尽くされていた。
その光景は前回の俺が二十歳ぐらいの時に見たトゥーレの様相に近く、見慣れた以前の街並みとはまるで別世界だった。
次に進んだ裏町も既に裏町ではなくなっていた。
そこには整然と整備された街路、新に建設された宿屋や飲食店の数々、増えた人口を収容できるよう設けられた集合住宅が立ち並んでいた。
『なるほどね……、俺はここまで大胆にできなかった。だが奴は一気に解決した。その違いか……』
俺は一気に貧民街と裏町の大部分を更地にするような強引な真似はできなかった。
だが奴はやってのけた。
それが正しいか正しくないかは別にして……。
『俺が一歩前に進む間に、奴は二歩も三歩も前に進んでいる訳か……』
そんな事を考えながら歩き、いつしか俺は孤児院、いや、元孤児院だった場所に辿り着いた。
「!!!」
そこは建物が一新され、敷地の中は多くの子供たちで賑わっていた。
「ははは、驚いているのかい?」
呆然とその様子をしばらく眺めていた俺は、後ろから声を掛けられた。
「ここは……、何の施設ですか?」
そう言って俺は人の好さそうな中年の女性に問い返した。
抱いていた疑念を確信に変えるために。
「ここはね、学校といって男爵領の子供なら誰でも無料で学べる場所だよ。
今では男爵様がなされた数ある『英断』のひとつとして、トゥーレの住民ならだれもが知っている話だからね。ところでアンタは他所の町から来たのかい?」
まずいな……、ここでも奴は動いているのか。
ますます奴を称える領民たちは増えている、しかも前回より前倒しで。
「そうなんです、びっくりして。モズから来たんですけど、トゥーレは凄い街なんですね?」
「あははは、ここは男爵様のお膝元だからね。誰もが年々暮らしが良くなってるから男爵様のお陰と感謝しているよ。アンタの町も男爵様の領地になったんだし、この先が楽しみになると思うよ」
そう言ってひとしきり笑ったあと、女性は立ち去っていった。
この先ルセルと争うことがあっても、このままではルセルを崇める民たちと争うことになってしまう。
それだけは避けなければならない。
だが……。
俺が奴の足を引っ張ることは、奴の領地に暮らす人々の足を引っ張ることならないか?
今まで漠然としていた不安が、ここに来て明確に俺の心を苛むようになっていた。
俺は甘い現状認識を改めたのち、商会長が手配してくれている馴染みの宿へと向かったが、その足取りは重く未来への不安を募らせていた。
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次回は10/28に『吉報と凶報』をお届けします。
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