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ep100 愛しいお兄さま

男爵館から戻った俺は、支部長を伴い街はずれの拠点へと戻っていった。

理由はひとつ、シェリエたちが連れていかれた先を調査するためだ。


「それなりの軍勢が馬車を引き連れて移動したとなれば、必ず人目に付きます。我らの手の者を使えば足跡は簡単に掴めると思います」


支部長の言葉を信じ、焦れる気持ちを抑えながら俺は待った。


勝手の分からない俺が動いたとしても、余計に足を引っ張る可能性がある。

実際に男爵館でも俺はやらかしてしまったからね。


あの婦人は俺に同情して情報を教えてくれたけど、周りの男たちはいぶかし気に俺を見ていた。

もしかすると、『捕縛の網を逃れた関係者がいた』と訴え出られている可能性もある。


今や二番目の兄とその関係者は、公式に反逆者として扱われているのだから……。


だが俺たちのもとに、予想以上に早く望んだ情報が飛び込んできた。


「リームさまっ! シェリエさまの居場所が判明しました。ガデルにある辺境伯直属兵の駐屯地、そこに設けられた監獄に囚われていらっしゃる模様です!」


あそこか……。よりによって最も警戒が厳重な場所じゃないか。


あの場所は元より、犯罪を犯した兵や脱走兵、捕虜なんかを収監するために設けられた場所で、脱獄どころか侵入すら難しい場所だった。


「ありがとう。まず最初に確認したいけど、ここまで情報を集めた過程でアスラール商会に足が付く可能性は?」


「大丈夫です。こんなことはよくある話で日ごろから必要経費を使ってますからね。人を介して動いていますので、その点はお気兼ねなく」


「では、領都でちょっとした騒ぎを起こすけど大丈夫かな?」


「はい、もし差し支えなければ、ルーデル様の残党による仕業と、噂に色付けすることも可能ですが?」


「ははは、それはありがたいな」


流石にこの人も商会長から支部長を任せられるだけあって優秀だな。

不審な動きもそれであれば上手く誤魔化せるし、残党ならば主の身内を救出に動くのも当然のことだ。

この筋書きなら不審な第三者の存在を訝しがられることもないだろう。


「ちなみにだけど……、その駐屯地に紛れ込むことは可能かな?」


「もちろんです。ガデルの各商会に対し、レイキーさまから臨時で食糧や酒を供出するよう通達がなされています。その輸送部隊に紛れ込めば……」


なるほどね……、今やルセルの兵を含めて本来ならガデルに居ないはずの兵が一千名近く駐屯している。

予定外の兵を食わせていくには、それなりの食糧が必要だし、補給が必要になって当然のことだ。


ましてあの阿呆レイキーは、既に戦勝気分にでも浸っているのだろう。

自身を祝うだけでなく、兵たちにも大盤振る舞いをして人気取りでもしようとしているのか?


「ならばアスラール商会はこの商機に全力で乗っかってほしい。商会長には後で俺からも言っておくし、損失は補填するからさ」


「はい、元より会長からは、そういう場合は今後の投資として『真っ先に、しかも最大限の納入を行って商機を掴むように』と仰せつかっております。

なのでお気遣いは無用です」


そう言って支部長は笑っていた。

その様子を見て、俺は改めて商人たる者たちの逞しさを感じずにはいられなかった。



◇◇◇ ガデルの駐屯地



その日の夜、ガデル各地の駐屯地や辺境伯の館、兵士たちが野営する場所にも続々と物資が運び込まれていた。

もちろん、率先して動いたのはアスラール商会だったが、その動きを見て他の商人たちも我先に物資を提供し、未来の辺境伯たるレイキーの歓心を買うよう動いていた。


戦勝を祝うと称し、この夜は各所で酒が振る舞われ、当直の兵を除き飲酒が解禁されたが、一部の駐屯地では当直の兵ですら酒を飲んでしまっていた。


彼らにとって戦いは久しく縁遠いものだったし、今回の戦いもただ傍観していただけだ。

しかもここは前線ではなく領都であり、反逆者の率いた兵も全滅し、ルセルが率いた精鋭騎兵が五百騎も駐屯しているという安心感もあった。


そして当の直属兵が駐屯する地でも……。

地下の牢獄に通じる入り口には厳重な柵が施してあり、常に二人以上の兵が複数箇所で歩哨に立ち警戒に当たっていた。


「おい、どういうことだ! 向こう側の奴ら(当直兵)まで酒を飲み始めているじゃないか! 

いつ男爵が見回りに来るか分らんのだから、行って奴らに注意してこい!」


「ははは、当の男爵も今は辺境伯ブルグの館で祝宴の最中って話じゃねぇか? 俺たちがそのおこぼれに預かっても悪い道理がなかろう?」


「だが……」


「それによ、次はあのレイキー様が俺たちの主人だとよ、これが飲まずにやってられるかってんだ!」


そう言うと彼は、懐中から酒瓶を取り出すと口を付けた。


「あっ! お前までいつの間に……。くそっ、俺にもひと口寄こせっ!」


亡くなった辺境伯の統治時代から、ずっと平和に慣れた彼らの士気は極めて低かった。

安全な領都に駐留しているという思い込みもある。


緩んだ彼らの近くに曲者が潜んでいるとも知らず、彼らは酒を飲みながら新たな主人になる男の愚痴をこぼし始めた。



◇◇◇ 駐屯地 リーム



俺は商会が手配した馬車から飛び降り、闇に包まれた物陰を縫って移動したあと、なんとか監獄の入り口が見える場所まで移動すると、そこで(真)四畳半ゲート+を発動した。


その後は四畳半の中に潜みながらずっと機会を窺っていた訳だが、兵士たちの会話を聞いて思わず苦笑してしまった。


あの阿呆はそこまで評判が悪いのか?


確かに聞いた話だと、次兄の元には少ないながら三百の兵が集まったが、三番目の兄の元には殆ど集まらなかったという。

なので仕方なく、実家から兵を派遣してもらった兵と無理矢理かき集めた兵で体裁を整えたという話だ。


そのため倍する兵を整えていても、次男には敵うべくもなかったと。


そう言えば……、二度目で俺がルセルとして奴に裁定を下した時も、兵たちは見事に奴を見捨てていたな。

もしかすると今のルセルが奴をブルグに推したのも、実のところそこまで見据えた上でのことだろうか?


そんな思いを抱きつつ、俺は物陰から水魔法を使って岩塩をたっぷりと混ぜた水を彼らの足元に少しずつ、ゆっくりと忍び寄らせた。

そして彼らの足元まで浸すように水たまりができるのを待った。


「おい、何で水がここまで?」


「あれ? おかしい……、ぐげががががぁっ!」


入り口を守っていた兵たちは水を経由して襲ってきた電撃に痙攣し、意識を失った。

その様子を四畳半の中から確認した俺は、素早く外に飛び出した。


「ごめん、死なないようには加減してあるからさ」


そう言うやいなや、次に奥のほうで酒を飲んでいた、もう一方の兵たちにも同様に水魔法と雷魔法で意識を刈り取った。

そのあとで倒れた彼らの周囲に予め収納していた酒瓶を転がすと、瓶の中から酒がこぼれて辺りに酒気が立ち上った。


そこから俺は地下へと侵入すべく動き出した。

鍵を探している時間もないので、強引に地魔法で石が敷き詰められていた地面を抉り、鉄格子の下を潜って中へと侵入した。



◇◇◇ 牢獄の中 シェリエ



私はひとしきり泣いたあと、なんとか冷静さを取り戻すよう努力していた。

そしてこの先、どう行動すべきかを考え始めたのだけど……。


「やっぱり問題はお母さまね……。お兄様を失ったこともあり、こんな場所だと二日も耐えられないかもしれないわ。

でも……、偽りとはいえ、あの男の足元に縋って情けを請うのは……」


それだけは全身から否定したい気持ちで一杯だった。

常々私が死んでも嫌、そう思っていたことを決断しなければならないなか、私の気持ちは激しく揺れ動いていた。


「でもお母さまのためには……。ああ……、せめて最後にもう一度、お兄さまと会いたかったな……」


遂に私は悲壮な覚悟を決めようとしていた。

母を助けるためにあの男に縋る。でも、あんな男の慰み者にされるぐらいなら、その前に自分で命を絶つと……。


その決心をしたとき、私自身の心もまた限界に来ているのだと自覚せずにはいられなかった。

だって……、目の前に大好きなお兄さまが立っているような幻覚まで見えてきたんだもん。


「ああ……、お兄さま……。大好きです。最後に私を強く抱きしめて、少しだけ勇気をくださいな」


思わず私は、言葉と共に手を差し伸べて、幻覚に向かって縋りつこうとしていた。


その時だった。


「良かった! シェリエ……、無事だったんだね? 待たせてごめんよ」


なんという事かしら! 幻覚は私にもう一つご褒美までくれるの?

幻聴でもいい、お兄さまの声が聞けた今、これで思い残すこともなく私は自分自身の心を殺せるわ。


私は最後に思いっきり笑って、お兄さまの幻覚に語り掛けた。


「私はお兄さまが大好きです」


「うん、俺もシェリエが心配で気が気でなかったからね。今から魔法を使って強引にこじ開けるから、ちょっとっだけ後ろに下がってくれるかな?」


どうして? せっかくのご褒美なのに……、私の手を握ってくださらないのですか?

私は困った顔のお兄さまに対し、抗議の意味を含めて手を伸ばし続けていた。


「シェリエ、直ぐに自由になれるよ。だから今は後ろに下がって」


そう言ってお兄さまの幻覚は、私の手を握ってくれた。

暖かい手……、これで私は……。


「!!!」


そこで私は気付いた。

この手は本物のお兄さまでは?


「お兄さま?」


「そうだよ、だからちょっとだけ後ろに……、ね」


信じられない気持ちで私はフラフラと後ろに下がった。

そして……。

ゴリゴリときしむような音とともに、牢の鉄格子が歪んだ。


「大好きです、お兄さまっ!」


私は牢から飛び出すと、夢中で本物のお兄さまの胸に飛び込み、喜びを噛みしめていた。



◇◇◇  牢獄の中 リーム



シェリエは俺が強引に開いた隙間からいきなり外に飛び出すと、俺に抱きついてきた。

そしてひとしきり俺にしがみついたまま泣いた後、急に何かを思い出したかのように俺から飛び退いた。


「ん? どうした?」


「だって……」


「だって?」


「今の私……、多分ですがその……、あの……、凄く……、く、臭い……、のではないかと思って……」


確かに……、彼女の衣服は各所に染み出していた汚水に汚れ、その臭いが染み付いていたけど……。

こんな事態でこの場所だ、そんなことを気にしていても始まらない。


「こんな場所にずっと居たんだから仕方ないよ。臭くてもシェリエはシェリエだよ、気にしないで、ね?」


「わっ、私……、やっぱり臭い……、んですね? い、いやぁぁぁぁぁぁっ!」


ん、何か変なことを言ったか?

俺は何故彼女が取り乱しているのか、その気持ちが全く理解できなかった。



◇◇◇



リームがシェリエの様子を疑問に思うのも無理なかった。

そもそも彼は常日頃から『女の子の気持ちがわかってない』とアリスやマリーから叱られるぐらい、その方面では極めて鈍感だった。


それは彼と敵対するルセルと同じくらいの酷さで、『痛い』と揶揄される程に……。


「シ、シェリエ……、取り敢えず、ね。先ずはここから脱出しよう。もちろん母君も一緒に」


そう言ってリームは、半ば嫌がる彼女の手を強引に引き、近くの牢で心身喪失状態にあった彼女の母を助けるため動き出そうとした。


「シェリエはひと足先に彼方に行って俺を待っていてくれるかな? 此方を片付けたら俺も直ぐに行くからさ」


「え? お兄さまも一緒ではないのですか?」


「ちょっと此方で細工してから、ね。出たらこの鐘を鳴らしてほしい。俺の仲間たちが駆けつけるよ。

みんなシェリエのことは知っているから安心して」


「じゃあ、これからは胸を張って、大好きなお兄さまと一緒に暮らせるのですねっ!」


シェリエはそう言って目を輝かせ、嬉しさのあまり臭い自分自身を忘れ、再びリームに抱きついた。


「そうだよ、でもシェリエは俺の妹だからさ、人前で『大好き』と言うのは気をつけないとね。

誤解しちゃう人もいるからさ」


そう言いながらリームはシェリエを抱き止め、優しく頭を撫でていた。


「お兄さまは私のことが嫌いですか? 臭いからですか?」


そう言って下からじっと見つめるシェリエに、リームは再びたじろぎ始めた。

また地雷を踏みかねない自分に焦りを覚えて……。


「あ、いや……、臭いのは関係ないよ。洗えば臭く無くなるしさ」


「やっぱり私……、臭いんですね……」


ここでリームは慌てて首を振った。

こういう時に口下手な彼では、どう取り繕っても地雷を踏み抜き『臭い』をフォローすることはできないと理解したからだ。


「俺もシェリエを素敵な女性だと思っていて、大好きだしとても大事に思っているよ。だけどシェリエは母は違うけど妹だからさ……、妹として大好きであって……」


リームは焦りながら、なんとかそう言って彼女を宥めていた。


「でも私は……、お兄さまが大好きです。これは止められませんよ。妹とか、今となっては別にどうでもいいことです」


ずっと極限状態の中にいたことで、今の彼女は清々しいぐらいに振り切れてしまっていた。


だがそこに至って、シェリエ自身もふと気付いた。


自身がずっとルセルに対して抱いていた嫌悪感と、ついさっきルセルと会った後で思わず吐き捨てた言葉……。


『母は違えど妹に対して『愛する』ですって? だからアンタはキモいのよ!』


この言葉を自身と大好きな兄に置き換えたとき、一瞬で全身の血の気が引いた。


「ご、ごめんなさいっ、お兄さま! 

どうかお願いですから、私を『キモイ』なんて思わないでくださいっ。どうか、どうかお願いですっ!

そのようにお兄さまに思われたら私……、辛くて死んでしまいます!」


そう言って突然取り乱した妹に、リームはただ呆気に取られていた。


三度目のシェリエは、二度目を遥かに凌ぐブラコンとして、この日を機会に斜め上を行く形でこじれてしまったようだった。

それに気付いたリームは、苦笑しながら盛大に頬を引きらせていた。

いつも応援ありがとうございます。

次回は9/28に『第四の男の存在』をお届けします。


評価やブックマークをいただいた方、いつもリアクションをいただける皆さま、本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします。

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