第5章ー6
そして、航空機が全金属製が当たり前となると、小銃や軽機関銃の対空射撃では痛くもかゆくもないという事態が、近々起こる共、想定されていた。
対空能力の向上と共に、現在不足している対物威力の向上の為にも、13.2ミリ口径の92式重機関銃の部隊装備が急がれることになっていた。
だが、それで足りるのだろうか、土方歳一少佐は疑問を覚えざるを得なかった。
野戦部隊用に用いられるのは、高射砲1種と対空機関銃1種に過ぎない。
存分に対地上支援を行う我が空軍を見ているせいか、ソ連空軍が同様の戦術を採るのでは、その場合に下手をすると我が海兵隊や陸軍は何とかなるのだろうか。
実際、土方少佐の懸念を、他の多くの者も覚えたので、対空脅威への対処方法が急がれることになる。
当時は、敵機の早期警戒方法についても、空中聴音機が精一杯だったが、レーダーが欧米で研究され出すと、日本も少し遅れてレーダーの導入に奔った。
また、高射砲や対空機関銃のバリエーションも増えることになるのである。
そんなふうに土方少佐が思っている間にも、話は進んでおり、空軍と海軍(航空隊)が、様々な基本方針を話し合っていた。
エンジンや航空機関銃等、共用できる物は共用する。
その一方、独自の機種開発はお互いに進めることを認める。
これは、どうしても空軍と海軍航空隊では、要求する仕様が異なるためだった。
実際、財政難にあえぐ大蔵省からは、艦上戦闘機は陸上戦闘機を転用する等、できる限りの機種開発共用まで求められていたが、空軍と海軍航空隊は、その一線を超えるつもりは基本的に無かった。
もちろん、共用できる場合は別であるが、機種開発はお互いに独自性を保つ。
これは、海軍が特にこだわった。
何故なら、師匠筋の英国では、海軍(航空隊)の機種開発を、空軍が握ってしまったからである。
日本も同じでいいのでは、と大蔵省は言っていたが、軍部には軍部の論理がある。
陸軍傘下の空軍に、海軍の航空機開発を握られるというのは、海軍が、陸軍傘下の空軍の傘下に更に入るようなもので屈辱だという感情論まで、(海軍内部ではだが)飛び出していた。
ちなみに、この基本方針でも、日本は(敢えて言えば)戦術空軍として発展せざるを得ない、というのが確認されている。
さすがに、飛行艇は、その航続距離等の要求や、他ではそこまでこだわりが無かったことから四発機の独自開発を行っているが、1940年代が終わるまで、陸上機は日本は双発機の開発に止まり、三発機以上の機体は、英米からのライセンス生産に止まっている。
四発の陸上機、要するに戦略爆撃機の開発を求める声は、空軍内の一部に根強くあったが、日本の航空機の開発、製造能力から、高望みであり、本来の任務、防空、地上部隊の近接支援等を優先させるべきだという声の前に、最終的には押さえつけられてしまったのである。
もっとも、戦略爆撃機を1930年代の日本が保有したとして、どこを爆撃するのだ、爆撃目標が事実上ない、というのも皮肉な現実ではあった。
いうまでも無く、中国本土に大工業地帯等、当時は無いといっても過言では無かった。
かといって、中国の都市爆撃は、これまでの反日宣伝の経緯等から言っても、余程のことが無い限りしたくないというのが、日本政府上層部のみならず、日本軍上層部の総意でもあった。
それなら、日本が第一の仮想敵と考えているソ連はと言うと、戦略爆撃の大目標たる工業地帯はウラル山脈の西の方に集中している。
むしろ、日本の方が、ソ連が戦略爆撃を行ってくる場合に備えて、それへの対処(特に皇居に爆弾が落とされたら切腹モノである。)を優先せねばならないというのが、現実だった。
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