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 電車の中は空調が効いていて涼しいを通り越して肌寒いくらいだ。

 だというのに、さっきから背中をじっとりと嫌な汗が伝い落ちているのは、気候の所為だけじゃない。


「……なんで……」


 ノースリーブの肩にさらりと触れる感触は見た目のイメージより柔らかく、くすぐったい。


「…………なんで……」


 反対側の肩には見た目通りに柔らかく、緩く波打つ感触がこれまた電車が揺れるたびに肌をくすぐる。


「………………なんで、こんなことに……?」

「まったくもって、何故なんでしょうねぇ?」


 おまけの正面からは絶対零度の冴え冴えとした視線と、むくれ切った可愛い妹の拗ね顔。

 桃香の拗ねた顔はまだいい。

 何故なら可愛いから。可愛いは正義。なので桃香は正義。

 だがしかし、視線だけでこちらを殺しかねないブリザードビームを送ってくる金髪碧眼は可愛くない。

 いかにも私が悪いと言わんばかりの視線だが、電車に乗るなり私の腕を引っ張って自分の隣へ無理矢理座らせたのは本来今日の集まりに呼ばれてすらいないバカ殿野郎であり、反対側にさも当然のように腰を下ろしたバカ殿の金魚の糞みたいな男である。

 その上電車が走りはじめるなり、二人して人の肩を枕に寝始めたのだ。


「すみません……私がうっかり口を滑らせたばっかりに……」


 桃香の隣で小柄な身体を更に縮めるように竦ませている倉田くらたいちごちゃんが眉尻を下げる。

 代議会所属である彼女は、桃香の親友で、今日のお出かけにも当然のように呼ばれていたわけだが、そのことをうっかり代議会の仕事中に一緒に作業していたお友達に話してしまったのだそうである。

 それを耳ざとく聞きつけた一之宮いちのみや先輩が、篠谷や梧桐君を問い詰め、強引に今日の同行を認めさせたのだという。

 待ち合わせ場所に着いた途端、誰より早く来て待ち構えていたらしい一之宮先輩と吉嶺よしみねに笑顔で出迎えられた私の身にもなって欲しい。

 思わず桃香の肩を押して回れ右するところだった。


「苺ちゃんは悪くないのよ。ただちょっとびっくりしただけで……」


 涙目で震えているいたいけな後輩を宥めつつ、その横で唇を尖らせている檎宇ごうをちらりと見る。

 檎宇に会うのは先日家に送ってもらった時以来だが、今日は待ち合わせ場所に着いてすぐに一之宮先輩とひと悶着があったため、まともに会話ができていない。

 まあ、会話できていたところで何を言うべきかも未だまとまってはいないのだけれど……。


 津南見への拗らせた感情を自覚したのはつい先日、檎宇に指摘されても受け入れられなかった感情は、桃香のもたらした津南見の言葉で誤魔化しようがない程はっきりしてしまった。

 恋と呼べるような可愛らしいものではないし、どちらかというと妄執に近い。おまけにゲームの真梨香ボクのこともある。

 この先津南見に近付けば、また私は私でなくなってしまうかもしれない。それが怖い。

 津南見のこと、檎宇にだけは話した方がいいかもしれないと思いつつ、上手く説明できる自信がない。

 それに他にも人がいる状況で前世だのゲームの話はしない方が無難だろう。

 そう考えて、今日のところは津南見の事は一旦置いておくことにした。

 せっかくみんなで遊びに来ているのに、1人だけ欝々と悩んでいては、迷惑だ。

 そう意識を切り替えて、苺ちゃんへを顔を向ける。


「ちょっと肩が重いけど、目的地に着いたら容赦なく落とすから気にしないで」


 にっこり笑ってそう言えば、両肩にもたれた頭がビクッと震えた気がした。



 そうこうするうちに電車は目的地である海辺の駅に着いた。

 ちなみに両肩の二人は突き落とされるより早く起きてきた。

 ちぇ……。


「いやぁ、よく寝た。ごめんね? 昨日まで石榴と一緒にあちこちのパーティーだ、会合だで連れ回されててさ。石榴も疲れてたから多めに見てあげて?」

「そんなにお疲れでしたら今日も来なくて良かったんですよ? そもそも呼んでませんし」

「貴様ら、俺を差し置いて葛城と海に行こうなどと企んでおいて、そんな抜け駆けを俺が許すと思うなよ」

「抜け駆けっていうか、普通に生徒会メンバーで遊びに行くんだから殿サマの許可とかいらねーし」


 起きた途端、双璧vs篠谷&檎宇で何やら言い争いが始まった。

 梧桐君もほかの執行部メンバーも慣れたもので、4人の舌戦をスルーしながら海までの道筋を確認したりしている。


「生徒会メンバー以外もいるじゃないか。倉田は代議会うちの者だぞ」

「イッチーは俺と桃ちゃんの友達枠だからいいんだよ」

「じゃあ俺たちはその倉田さんのお友達枠ってことで」

「えぇぇ?!! あ、あたしが吉嶺先輩たちとお友達?!! そんなとんでもないです!!??」


 吉嶺がぱちーんと効果音が聞こえてきそうな気障ったらしい仕草で苺ちゃんへウィンクをする。

 苺ちゃんは顔を真っ赤にして手をパタパタさせている。小動物っぽくてとても可愛いが、困っているのは歴然なので私は吉嶺をジト目で睨み付けた。


「純情な一年生を誑かすのは止めてください。そんなんだから双璧のイメージがいつまでたっても女性関係が派手だって言われるんですよ」

「ちょっとまて、橘平はともかく俺はもうちゃんとしてるぞ!」


 聞き捨てならないとばかりに一之宮先輩が眉を吊り上げる。

 確かに一之宮先輩の方は親衛隊も解散して、甜瓜先輩以外のメンバーには一人一人きちんと話し合いの上で円満に関係を清算したと三年のもと親衛隊員の枇杷木びわぎ先輩から聞いた。

 枇杷木先輩自身は今では代議会で甜瓜先輩の後を引き継いで文化部長会会長を務めているが、一之宮先輩との私的な付き合いはきっぱりと止めたと言っていた。


「一之宮先輩の場合は毎日のように生徒会室に来ては妙な冗談ばかり言ってるからじゃないですか?」


 親衛隊との関係が切れた後、一之宮先輩の代議会での仕事は増えたはずだ。

 だというのに、先輩はなぜか放課後になるたびに生徒会室に来ては篠谷と嫌味の応酬をし、梧桐君の淹れたお茶を堪能し、そして私を代議会に勧誘するのだ。

 それも一見すると口説いているように聞こえる際どい言い回しや誘惑でもするような色気のある流し目を使いながら。


「周りで見てる執行部員からすれば、一之宮先輩は相変わらずなんだなって誤解されても仕方ないですよ」


 そう言ったら、なぜか一之宮先輩だけでなく篠谷や梧桐君、錦木さんたちまでもが深々と溜息をついた。


「え? 何??」


 そんなにおかしなことを言っただろうか?

 それともまさか、みんな一之宮先輩のあれがジョークじゃなくて本気だったと勘違いしてるのだろうか。

 確かに一之宮先輩の言い方には妙に熱がこもってるなと感じることはあったけど……。


「おい」


 地を這うような低い声に振り返れば、猛禽に似た目を爛々とさせてこちらを睨み付けてくる一之宮先輩と目が合った。

 なんだかわからないけど、怒ってる……?

 獰猛な気配に思わず一歩後ずさる。

 けれど、逃がすまいとするように引き寄せられたかと思うと、顎を指で捕らえられ上を向かされた。

 不機嫌も露わな美貌が眼前に迫って……。


「痛っ!!」


 目の中で火花が散ったかと思った。


「何でいきなり頭突きされなきゃいけないんです?!!」

「うるさい!! 自分で考えろ!!」


 抗議の声も逆ギレで返された。

 周囲に理不尽を訴えようとしたが、溜息と共に目を逸らされた。

 唯一目を逸らさずにいてくれたのは桃香だけだったけど、肩を叩かれ、諭すようにこう言われた。


「今のはお姉ちゃんが悪いと思う」

「え? ええ??」

「流石に一之宮先輩に同情しちゃうよね」

「梧桐君まで?!」

「葛城さんはもう少し人の言葉を素直に受け取るようにした方がいいよ」


 桃香と梧桐君にまでそんなことを言われて、途方に暮れる。

 素直に、と言われても、一之宮先輩に対して過去の私の態度を考えれば、嫌われる要素はあっても好かれる要素は皆無の筈だ。

 生徒会副会長としての能力を買われて勧誘されていると思うのが自然ではないのか。


「まあいい。どうせ長期戦は覚悟していたからな。いくぞ」


 一之宮先輩は一転して疲れ切ったような表情で歩き出す。

 何か悪い事をした気分だ。

 そんなことを思いながら海までの道を歩いていると、一之宮先輩が前を向いたまま声をかけてきた。


「葛城、浜辺に着いたらビーチバレーでもビーチフラッグでもなんでもいいから俺と勝負しろ」

「何ですかいきなり?」

「俺が勝ったら今日のお前の時間を一時間俺の寄越せ。話がある」

「それは……さっきの頭突きされた件と関係がありますか?」

「……ある。……何だ篠谷? 何か言いたそうだな?」


 先輩が私の後ろを歩いていた篠谷をちらりと振り返って、言ってみろとばかりに視線で促す。


「……その勝負、僕も参加してもよろしいですか? 僕が勝ったら、僕が真梨香さんの時間を頂戴します」

「いいだろう? 言っておくが手加減はしないぞ」

「当然です。僕も本気で行かせていただきます」


 なんだか私の頭越しにバチバチと火花が散っている様子で、口をはさみづらい。

 そもそも私が勝った場合一之宮先輩と篠谷の時間を一時間ずつ貰ったとしても、使いようがない。


「葛城が勝ったら俺たちが二人でお前とお前のとこのちんくしゃに何でも好きなものを奢ってやる」

「やりましょう」


 我ながら現金だが、桃香に美味しいものを買ってあげられるなら勝負し甲斐がある。


「負けませんよ!」


 やる気が湧いてきた所で、ふと周囲を見回す。

 いつもならこんな話をしていれば飛びついて割り込んでくるはずなんだけど……。

 見わたした先、後ろの方で梧桐君と話しながら歩いている檎宇が見えた。少し離れていたからこちらの会話が聞こえていなかったのだろうか。


「……?」


 一瞬、顔を上げた檎宇と目が合ったような気がしたのに、檎宇はそのまま梧桐君との会話に戻ってしまった。

 何か大事な話でもしているのだろうか。邪魔しちゃ悪いかな。


「後で改めて誘えばいいか」


 勝負の話をすればきっとノリノリで混ざりに来るに違いない。

 そう気を取り直して、視線を前に戻した。

 前方には真っ青な海が見えてきていた。 


水着まで行かなかった……(+_+)

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