63話、赤鬼
ーーーー天文二十四年五月十三日・此隅山城ーーーーー
「但馬守護山名右衛門督である。」
「大内兵部卿家臣、陶兵衛少尉にございます。此度は、上洛の案内及び、通行を認めていただき忝のうございます。」
「うむ。大内殿とは縁戚であり、先の騒乱でもこちら方に御味方して頂いた。上洛のお手伝いをするのは当然のことじゃ。」
「ありがたきお言葉にございます。」
「いやいや、十騎駆け藤三郎殿が、この但馬に訪れたのは誇るべきことじゃ。」
「ははっ。右衛門督様にお話がございます。」
「なんであろう?」
「我が大内が尼子を滅ぼし、それと同時に山名様方は、尼子が支配していた因幡、伯耆を平定なさりました。」
「であるな。それがいかがしたか?」
「はっ。私の臣湯浅五助の縁戚のものが備後御調郡を治めておりまする。我らは安芸国側から備後を攻めます故、右衛門督様には伯耆国から備後攻めをして頂き、備後を大内と山名で半国で分けるというのはどうにございましょうか?」
山名祐豊も、尼子に掠め取られていた伯耆、因幡を取り戻しさらに半国と言えど備後半国を取り返せるのだ。山名としても良い提案であろう。
しかし、これには訳がある。もちろん、他勢力に、所属するふたつの軍が共闘するのは足並みが揃いにくいというはあるが大内に降らなかった新宮党を中心に尼子旧臣は、備後国へと落ちのびている。しかし、安芸国側は、大内の息がかかかった国人が、多くいるため東へ東へと逃げるしかないのだ。
ということで、大内側からすると尼子旧臣がひしめき攻めにくく、治めにくい備後東半国より西半国の方が良いのだ。
「相分かった。備後は、代々我ら山名が守護を勤めて来た領地。半国と言えど取り返す機会があるのならばそれに乗らない理由がどこにあろうか。」
「英断にございます。」
目先の利益より、後手の利益だ。
ーーーーー天文二十四年五月十五日・丹波国ーーーーー
「赤井兵衛大夫が家臣、荻野悪右衛門(直正)にござる。」
「丹波の赤鬼と称される御当主の弟殿自ら出迎えてくださるとは。」
丹波の赤鬼は少し驚いた様子だ。もちろんお前の名は、後世に知れ渡っているから知ってんだよ。
しかし、この時はまだ荻野氏を名乗っていたのか。
「貴殿は?」
「申し遅れました。大内兵部卿家中陶兵衛少尉にございます。」
「十騎駆けしたという、兵衛少尉殿にございますか。本当に若武者でござたっか。」
「いやいや、我が馬廻衆のおかげにございます。」
「ご謙遜を。兄、兵衛太夫がまってまおります故、黒井城に。」
「案内お願いいたす。」
ーーーーー丹波国・黒井城ーーーーー
「黒井城城主赤井兵衛大夫にございます。」
「大内兵衛少尉が家臣、陶兵衛少尉にございます。」
「この度は、ご城主殿の弟殿、直々のご案内忝のうございます。」
「いやいや、兵部卿様の御家臣をどうして無下に出来ましょうか。」
「赤井殿は、細川家中内藤と、領地を巡って争っておられるとか。」
「そうにござる。長年丹波守護代内藤とは争ってきましたが、細川家中松永備前守がその子を据えて以来、松永備前守とは決着が着きますせぬ。」
「お察し致す。しかし、赤井家には赤鬼殿がおられるでは無いですか。」
「悪右衛門のことにございますな。しかし、我らだけではどうにもできず、、、。」
「であれば後続の兵部卿に、支援を頼まれると良い。大内としても三好の増長は防ぎたい所。私からも兵部卿に話を通しておきましょう。」
義隆は、それなりに有能な人だ。三好の脅威も十分分かっていることだろう。赤井家も有力国人といえど、強大な細川に対抗するには後ろ盾が欲しかっただろうからな。
俺としては、何としても三好家との争いに巻き込まれたくないから頑張れ赤井家!
「折角、ここまでこられたのです。おもてなしをせねば。皆の衆、宴じゃ!酒と肴をもってこい!!」
え、僕2日酔いなんですけど、、、。
「十騎駆け殿、たらふく呑まれよ。出雲の酒も美味いと聞きますが、丹波の酒も美味にございますぞ。」
荻野直正が、酒を注いでくる。
「かたじけない。悪右衛門殿の、杯も空にございますな。お注ぎいたそう。」
「ありがたく。」
2人で乾杯をして、酒を煽る。
「先程は、有事の際は、大内様のお助けが入ると申されたが、本当に大内様は来て下さるのでしょうか。」
「来ますとも。この兵衛少尉、いずれは出雲守護代となりましょう。その時には、出雲の兵を率い、悪右衛門殿をお助け致す。」
「それはなんと心強い!ならば、兵衛少尉殿が窮地の際は、悪右衛門がお助けいたしましょう。」
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