57話、元服の儀
山中兄弟の諱の"護"に持ってきました。
天文二十三年七月十三日
今日は、俺の直臣である山中甚太郎・甚次郎兄弟、工藤千代丸の元服を取り行うことになっている。
甚太郎、甚次郎が元服するということで大内家臣となった立原久綱が駆け寄せた。
3人の元服は、天之御中主神を祀る降松神社で取り行うことになった。
「これより元服の儀を取り行う。山中甚太郎、工藤千代丸、山中甚次郎の3名は前へ。」
「「「ははっ!!!」」」
「まず、山中甚太郎。」
「ははっ。」
「これより甚太郎という名をすて、鷹之助護満と名乗れ。」
「山中鷹之助護満。より一層藤三郎様に忠を尽くしまする。」
「うむ。」
「次いで、工藤千代丸。」
「ははっ。」
「そなたは、次郎三郎護経と名乗れ。」
「ははっ!この工藤次郎三郎護経、藤三郎様にお命を預ける覚悟にございます!!」
「最後に、山中甚次郎。」
「ははっ。」
「甚次郎の名を廃し、鹿之助護幸と名乗れ。」
「鹿之助護幸、、、藤三郎様の元で武者働きいたします!」
「以上3名、そなたらはこの藤三郎の直臣だ。これからも、頼むぞ。」
「「「ははっ!!!」」」
こうして、俺の直臣3人が元服した。
鹿之助はもちろん、史実からです。
鷹之助満護は、鷹のような俯瞰で戦場を見回して貰いたく考えました。満の字は、父親満幸から。
次郎三郎護経は、次郎三郎は吉川が代々名乗った通称であり、元春は少輔次郎を名乗っているため吉川の本来の当主である外を暗に示しています。
鹿之助は、鹿のように何度でも立ち上がって欲しいとの意を込めて史実通りにしました。




