39話、尼子の剛
最近は、戦ですし結構真面目に題名考えてます。
わーい
「伝令!尾張守様、高瀬城を攻城中でございます!!」
「そうか。よく知らせてくれた。者共!高瀬城攻城に参戦するぞ!!」
「「「「応!!!!!!!」」」」
ーーーーー陶隆房本陣ーーーーー
「おぉ、藤三郎。参ったか。」
「無事、三郎左衛門殿を降し、参陣致しました。」
「大義だ。」
「して戦局は?」
「さすがは、平内兵衛だ。簡単には落とさせてくれぬな。」
米原平内兵衛綱寛。この男は、容姿端麗であり尼子晴久の寵愛を受けていた。剛将として知られ、配下の兵達も強者揃いだ。史実では、1度毛利氏に降るも尼子再興軍として、この高瀬城に籠り、毛利に突撃を繰り返し、それを撃退している。
「我らが城を囲っても、平内兵衛は突貫をしてきおってな。手をつけられぬ。」
「殿!平内兵衛がまた突撃してまいります!!」
「くっ!迎え撃て!!!このまま平内兵衛にやられよったら、月山富田城を前に兵を死なせてしまう!!!」
「父上、今残っている兵は?」
「4000おった兵が、3000程にまで減らされておる。」
「私の兵も1500のうち動ける者は500程になってしまいました。最早、我ら先鋒だけでは月山富田城にまで辿り着くのは不可能にございましょう。」
「どうする?尾張守殿、婿殿。婿殿が落とした神西城にまで兵を下げるか?」
「その方が良いでしょう。」
「いや、ここは兵を進めるべきではないでしょうか?」
「それこそ、前回の二の舞では無いか!!!ここは、悔しいが兵を引くべきだ!!!!」
どうしたらいいんだ?どうする、藤三郎。考えろ!お前ならどう考える?
甚太郎、目を逸らすな!!!!
’西側より、兵が。数、6000以上。’
「何!?もしや尼子、周辺の城から兵をかき集め我らを挟む気か!!!!」
「最早これまでか?」
ドドドドドドドド
ざわざわ…ざわざわ…
本陣前が急に騒がしくなる。
「伝令!!!伝令!!!!陶尾張守殿は何処か!!!陶尾張守殿は何処か!!!!」
「尾張守はここじゃ!!」
「尾張守様!!某、冷泉左衛門少尉(隆豊)が義弟、平賀慎太郎清恒。援軍に参った!!!兵数、8000!!!!大内兵部卿様御自ら兵を率いられてらっしゃる!!!!」
「慎太郎殿か!まさか御屋形様自ら兵をあげられるとは!!信太郎殿がおられるということは左衛門少尉殿も!なんと心強い!!!」
「御屋形様がか!!!」
義隆が、尼子攻めに加わるとは。確かに、武官の筆頭である陶と、文官の筆頭である相良が婚姻によって家がつながり、亀童丸の代になっても、安泰だからな。
「尾張守殿、四半刻もすれば御屋形様が着陣なさります。」
「あいわかった。皆の衆、御援軍だ!!!」
ぶぉーーーーーー!ぶぉーーーーーーーー!!
「ん!?この音は御屋形様の法螺貝の音だ!!」
8000の兵が現れたのを見た、米原勢は兵を引き揚げてゆく。
「御屋形様、御着陣!!!」
本陣に義隆、隆豊以下諸将が入ってくる。その中には祖父や叔父の姿もあった。
「尾張守、遠江守、そして藤三郎。良くぞ持ちこたえた。さらに藤三郎は、初陣ながら、城を建て、鬼神の如し神西三郎左衛門を討ち取ったと聞いた。さすが次代の筆頭じゃ!!」
「ほう、藤三郎殿、首を上げられたのか。儂もうかうかしておれぬな!」
「三郎左衛門殿は、本陣に着く頃には瀕死でございました。兵たちのお陰でございます。」
「藤三郎、自分の手柄に奢りぶらずにあくまで、謙遜するか。つくづくおもしろき男よ。」
「婿殿、残っておる兵は?」
曽祖父が、父に尋ねる。
「私が率いた4000のうち、3000。藤三郎が率いた1500のうち500の合計3500が今動ける兵にございます。」
「儂らが率いた8000を合わせると11500か。」
「でございますな。」
「さて修理太夫、どう料理するかのぉ。」
いや、義隆さん、めっちゃ笑顔なんですけど。怖いんですけど!!!
あ、目が合った。ニコッてしないで!!!ほんとに怖いから!!!!
冷泉隆豊さんの義弟、平賀清恒。武田晴信、後の信玄の初陣、海ノ口攻城で、父玄信さんが討ち取られ、実姉である隆豊さんの奥さんを頼って大内氏に使えたそうです。三年寝太郎のモデルということもあり、実在は確かではないですが登場させてみました。
ちなみに敵将米原綱寛さんの子孫は幕末に活躍した前原一誠。三年寝太郎の子孫は平賀源内です。
三年寝太郎さんの通称は調べても分からなかったので寝太郎→寝太郎→慎太郎にしました。
カイジは見たことも読んだこともないです。
感想、評価、いいね、ブクマお願いします!!
ご助言、ご指摘もお願いします!!!!
誤字報告も大変助かります!!!!




