筑後国筆頭大身
ーーーーーー天文二十四年九月中旬・筑後国ーーーーー
「まずは筑後国の大名格を口説き落とすところからでござるな。我が剛腕で組み伏せて大内との盟結ばせましょうぞ。」
「尼子の旦那!わかってらっしゃる!!」
「左衛門大夫殿、簡単に申されるな。ここ筑後は大内ではなく、大友方の国人衆が多い。いかに、堯将尼子左衛門大夫といえども油断なされるな。」
うん、その通りだ義父さん(おとうさん)。与力である尼子さんを含め、俺の家中は血気盛んな奴らがおおい。本当にこの人、尼子元当主と出雲平定に尽力してたのか?
「まずは、龍造寺殿の元でしょうか?義父上。龍造寺殿は大内方として、大友と争われてきた。」
「最もじゃ。婿殿されども、まずはこの柳川の地を治められるお方の元に。かの御仁が我が方についてくれれば、筑後でも需要な地柳川がこちら側になるだけでなく、大身十五家がこちらにつく。あの方は、兵法に明るく、治世にも優れる。相対せば恐ろしいが、味方であれば心強い。その後の北鎮西支配の強力な駒ともなろう。」
「そのお方とは?」
「近江守殿。蒲池近江守殿じゃ。尾張殿らとの一悶着の際、肥後守護様の元へ落ち延びる時に立ち寄ってな。世話になった。その時は蒲池領内に長法師殿もおったかな。いや今は龍造寺中納言(隆信)殿か。」
「その、近江守殿は、こちら方へついてくれそうなのですか?相良殿。」
「うむ。私もどうなるかはわからぬ。されども近江守殿は義を重んじる武将じゃ。私の手紙と前関白様に頼んで御消息を送ったがそろそろ御家中のものと落ち合えるはずじゃが。」
いや、しかし柳川の城下は栄えている。流石に西ノ京大内領程は栄えてはいないが、九州内では、一、二を争う程だろう。それに城下の真ん中に聳える山城も、堀を張り巡らされ、過酷な山であり数倍の兵を寄せても一月は落ちないだろう。
城に見惚れていると、二十後半くらいだろうか?男が一騎がかけてくる。まるで学者のような男だ。ある壁を書いた最高学府の教授のような。
「相良殿、お久しゅうござる。後ろの御仁らは大内家臣の方々でございますな。お初目お目にかけまする。蒲池近江守鎮漣にござる。」
近江守?あ、この人が柳川城主の蒲池近江守か!当主自ら出迎えに来たとは。それに伴すら連れてない。どうやら、蒲池氏は大内方へと寝返る心づもりのようだな。
「お久しゅうございますな、蒲池殿。自らお出迎えくださるとは。共にありますのは、我が婿、大内宿老、陶出雲介とその与力尼子左衛門大夫、後に続くのは出雲介と左衛門大夫家中の者らにございます。」
「ほう、十騎掛け藤三郎殿と、神宮党の第二将にお会いできるとは、この近江感激にござる。」
「陶出雲介にございまする。」「尼子左衛門大夫にござる。」
「いやぁ、よくお越しになられた。長旅と存じます。まずは我が城へ。湯の用意もできておりますぞ。」
気がきく人だ。こんなふうに見ず知らずの人物にも優しくできる人になりたいものだな
「お言葉に甘えましょう、ご両人。」
「ですな。」
「無論、陶・尼子家中の皆様にも城下の旅籠を用意しておりますぞ。」




