第4章 第10話
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「ごめんもみじ。せっかくの晩餐だったのに」
レストランを出るとふたりでハンバーガーショップへ入った。
朝風明希はこれから仕事があるとかで、迎えの車に乗ってどこかへ行った。
「ううん。あれは母も大人げないよ」
僕がハンバーガーを3個注文するのを黙って見ていたもみじは、ストロベリーシェイクを注文する。混雑する一階席を敬遠し狭い階段を上ると2階席は空席だらけだ。
「ごめんね、やっぱりあれじゃ足りなかったんだ」
「あ、あははは…… 今日の体育はサッカーだったからさ。結構走り回ったんだ」
「あのね。夕方も話したよね、母にはお兄さんがいるって……」
そう言って赤いストローを咥えた彼女は暫く下を向いたまま。
「知ってるでしょ、母の父は朝風源一郎。元総理大臣よ。彼は自分の後継にと息子の啓一郎に期待していた。だけど……」
自分の後ろに誰も座っていないのを確かめると、もみじはとつとつと語り始める。
「啓一郎叔父さんは頭もよくて一流大の法学部も出たんだけど、ともかく女癖が悪くて、3股4股当たり前。結局祖父の勧めで結婚した財閥のご令嬢とも破綻。挙げ句に隠し子まで見つかって、さすがの祖父も愛想を尽かし、祖父の地盤は母が継いだのよ。あたしね、一度だけ、たった一度だけ、酒に酔った母が「なりたくってなったんじゃないっ!」って泣くのを見たことがあるの。ホントはね、母はね、絵本作家になりたかったんだって。だから……」
彼女が言いたいことは分かった。
だからあの女は軽薄な男を許せないのだ。
「分かったよ。君のお母さんが不倫を許さない理由」
「あのね、あたしのクラスに出雲しおりって特別奨学生の子がいるんだけど、彼女がさっき言った隠し子。どうやら母が手を回したみたい…… 彼女とは仲いいんだよ、あたし」
「そうなんだ。分かったよ、君のお母さんのこと」
「…………」
「いいお母さんなんだね」
「うんっ!」
僕は2つめのハンバーガーにかぶりついて、ふと思い出す。
「あっ、そうだ。忘れてた。この5万円返すよ」
僕はさっきもみじに預かった封筒をそのまま返した。
「ねっ、使わなかったでしょ!」
「使わなかったと言うより、使えなかったね」
食事が終わって僕が支払いをしようとしたときには、全ての会計は終わっていた。全部あの女のカードで処理されていた。店の人も、あの女も、僕が何を言っても全く受け付けてくれなかった。「お金の心配はしなくていいのよ」と言うあの女は、どこかもみじさんと被るところがあった。でも、僕はもみじさんの雇用主なんだけど。立場がひっくり返ってる。
「あのさ、似てるね、君たちふたり」
「君たち、って、あたしと母のこと?」
「うん」
「だったら、そんな言い方はやめてよ」
「じゃあ、もみじさん親子」
「もう、あたしのことはちゃんと妹だって認めてくれたのに。やっぱり許してくれないんだ……」
「…………」
「あたしもね、好きじゃないところもある。何て言うかさ、最近は名誉とか栄誉とか名声とか、そんなの気にしてる。お母さんは総理大臣だよ、そんなこと望まなくてももう十分手に入ってるはずなのに。多分だけど、きっとだけど……」
「なに?」
もみじはストローが刺さった手元の紙コップをじっと見ながら。
「あのさ、結婚優遇法って知ってるよね。あたしたちが産まれるずっと前、人口減少対策の切り札として鳴り物入りで施行された法律。でも、フタを開けたらこれがとんでもないアホバカ法で歴史に名を残す大失策となり、当時の内閣はあっさり崩壊。そう、あたしの祖父・朝風源一郎の最大の汚点……」
結婚優遇法。
既に教科書にも載っているその法律のことは政治に興味がなかった僕でも知っている。
婚姻のある者には税負担や住居取得を優遇するばかりか、就職や賃金、果ては残業規制や町内会の分担、人気ゲームソフトの予約までにも便宜を図り、高止まりしていた独身率の低下と出生率の改善を計ろうとした法律。もちろんその代償は独身の人たちが払うことになる。最初、この法律は目に見えて効果を発揮した。法律施行を前に独身率は劇的に低下。出生率も増える兆しを見せた。だけどその裏で起きていた実態は……
「……祖父が作った結婚優遇法は、ただ偽装結婚を劇的に増やしただけだった。形だけは結婚しているけれども生活様式は独身を貫く生活様式。偽装結婚を排除しようと優遇条件に同居を義務づけた政府を嘲笑うかのように『1+1(ワンプラワン)住宅』なるものまで登場した。そう、ひとつの家の中にふたつの家があって、各々風呂も台所も洗面も付いていて、男女が互いに干渉されず全く独立して生活できるっていう謎めいた家。マンションのリフォームも流行ったらしいね。だからブライダル業界と建築業界と節税コンサルタントはとても潤った。でも、所詮は税金を払いたくないだけの、町内会の役員を逃れたいだけの、人気ゲームを1日でも早く手に入れたいだけの、形だけの偽装結婚。その上、出生率は思ったほど上昇しないばかりか、両親とも育児放棄をする家庭が激増、その手があるんだとばかりに本当の家庭を営んでいた人までも偽装家族スタイルに便乗してくる始末。これが最先端の格好いいクリスタルな生活だ、なんて、いわゆる『愛ある家庭の崩壊現象』まで起きた。お陰で社会は大混乱。祖父は無能の汚名を着せられてあっさり退陣、結婚優遇法もたったの2年で廃止。日本の政治史上稀に見る大失態。だから……」
一瞬だけど言葉を切ったもみじ。
僕は彼女の言葉を引き継いだ。
「だからその、おじいさんの汚名を返上したいんだ、彼女は」
「うん、そうだと思うの。今まで150年、誰も成功しなかった人口減少を自分の手で反転させたかったんじゃないかな。でも、母だって薄々分かってるのよ、この問題はもっと根が深いって」
「だったらどうして、あんな人の自由を、人の気持ちを踏みにじるような人口減少対策三法をつくったのさ!」
「さあね。党の公約にもあるし、何か手を打たないと世間や政界の長老たちが納得しないんじゃないのかな。あっ、二次元愛禁止法だけは気合い入ってたけどね…… ねえ、お兄ちゃん。どうかな、みんなであの写真の時代に戻らない? わたしもあの分からず屋のお母さんを何とかするからさ、ねえ、どうかな……」
もみじの願いは当然の想いだ。
今日だって彼女はひとり頑張った。ずっと笑顔を振りまいた。
「だからさ、あたし、ここで知ったこと全部言おうと思うの。だってそこが出発点。そして出来れば鳥海議員のことも……」
「ダメだ。それはダメだ」
「どうして?」
「あ、いやちょっとだけ、言うのはちょっとだけ待ってくれ」




