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高嶺の花なんかじゃないんだからねっ!  作者: 日々一陽
第4章 もみじの願い
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第4章 第9話

◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 案内されたのは優雅で荘厳な個室だった。

 重厚な濃い茶のカーテンから覗く街の灯り、壁に掛けられた印象派の絵画。

 6人が座れる大きく丸い円卓がたったひとつの贅沢な空間で、僕ともみじは向かい合って座った。


「あの、お願いね。母はね、絶対悪い人間じゃないから。政治家の顔と普段の顔は違うから。ちゃんと見てあげてねっ! ねっ、お願いだよっ!」


 もみじはさっきから何度も同じ言葉を繰り返す。


「大丈夫。分かってるから」


 言葉の端々からもみじの気持ちが伝わってくる。

 彼女は幸せな家族が欲しいんだと思う。

 それは僕だって同じだ。

 僕だって、どうしてお母さんがいないんだろうって思うことはあった。友達が羨ましいって思ったこともある。だけど父は、その足りないピースを晶子ちゃんで埋めようとしてくれた。それが分かっていたから僕も黙ってた。


 だけどもみじは正面からぶつかってる。

 きっと今日のことも彼女がお膳立てしたのだろう。

 自分に母がいて、兄がいて、そのふたりが仲違いして憎しみあってるなんて彼女には耐えられないんだろう。それくらいのことは僕にだって分かる……


 だけどあの女はもうひとつ許せないことをした。

 絶対に許せないことを。


 コンコン


 ノックの音に反射して席を立ち、ドアを開けたのはもみじだった。


「入って入って! えっと、紹介するね、朝風明希あさかぜあき、あたしの母です」


 背はもみじさんより少し低いだろうか、さらりとした真っ赤なショートボブはテレビで見るよりずっと綺麗だ。政治家と言うより女優のように整った顔立ち、くりっとした瞳は理知的で力があるけど、でもどことなく疲れてくたびれた感じがする。


 ベージュのスーツは新調したものだろうか、深く頭を下げた朝風明希。

 思わず僕も立ち上がる。


「えっと、この前は失礼しました。赤月一平です。もみじさんにはお店を手伝ってもらって大変助かってます」

「あ…… えっと、もみじの母です。いつももみじがお世話になってます……」


 彼女は言葉少なにそれだけ言うと、もみじに促され椅子に掛ける。

 拍子抜けだった。

 これがあの女? あの鋼の女?


「えっ、えっとね。コースで頼むけどそれでいい?」

「ちょっと待って」


 もみじを制止するとテーブルに置いてある白いメニューを開く。

 最初のページにあるのがディナーコース。Aコースでお一人様3万円、Bコースでも2万円。しまった、考えてなかった!

 僕は慌ててアラカルトメニューを見る。なんだこれ! 前菜が5千円から、メインの魚料理や肉料理に1万円以下のメニューなんか数えるほど。ちょっと待て。デザートが安くて3千円。カレーとかは? 何かあるだろ安いヤツ! 僕はページを捲るけどそんなのない。ってか、そもそもこの部屋、個室だよな!


まずい、そんな金持ってないって!


「なあ、ちょっ、ちょっと」


 僕はもみじを部屋の外に連れ出すと小声で。


「あのさ、場所変えない?」

「えっ、予約してるし、室料発生してるよ」

「質量発生って、相対性理論か?」

「違うよっ、室料だよっ、お部屋代だよ! 1万円だよっ!」

「3人で割ったら3334円、おつり2円!」

「細かいね。でも、テーブルの上にあったお花が5千円」

「げえっ! オレはすでに死んでいる!」

「大丈夫だよっ、お金は全部払うからっ」

「そんなわけにはいかないよ。じゃあ、あとで払うからさ」

「気にしなくても母が払うと思うよ」

「もっとだめじゃん! ああ~っ、なぜ気がつかなかったんだ、バカバカバカッ!」

「だったらさ……」


 もみじはまるで用意していたかのようにポシェットから白い封筒を取り出した。


「使って。あとで返してくれたらいいから」


 受け取った封筒の中には5万円が入っていた。


「あ、ありがとう」

「何だか新手の金貸しみたいだね。でも多分、そのお金は使わないと思うよ」


 ノックをして部屋に戻る。

 あの女はメニューを見ていたのか、それを自分の脇に置いた。


「ごめんね。わたし職業柄、普通のお店って使えないの。写真誌や週刊誌の目もあるし。だからこんな堅苦しいところしか使えなくて」

「あ、大丈夫ですよ。えっと、割り勘で」


 僕が一番安いコースを選択すると他のふたりも同じものにした。何か悪いことした気分。

 オーダーを取りに来た給仕はワインやら飲み物やらを聞いてくる。水でいい水で。でも、水にも色々あった。なんだよこれ、水もバカ高いじゃん!


 もう、どうにでもなれだ。5万円たたきつけて帰ろう。

 しかし……


「まずは謝らせてください、あなたのお父さんのこと」

「謝るって何をですか? 父は法に基づいて海外追放になったんですよね? どんなに悪法でも法律は法律ですからね」


 イヤミのつもりで言ったけど。


「やっぱり悪法、なのかしら」


 自問するあの女。

 もう、ハッキリ言って凄く拍子抜けだ。あの女はもっとこう、強引でわがままで、押しが強くて独善的で、人の不幸顧みず自己中で上から目線な女だって思ってたけのに。これじゃ肩透かしを喰わされた気分。


「ええ悪法ですよ。そこに山があれば登る人が現れるのと同様、そこに二次元があったら夢中になる人が現れるのは当然ですよ。鉄道マニアだって釣りおたくだってアイドルの追っかけだって、何だってその世界に浸る人はいるわけで、問題は結婚というものがそれらの魅力に勝てないって事でしょ?」

「そうね。一番の問題は周辺じゃなくって本丸ね。だけど歴代の政府はみんなその対策に失敗してきた。結婚優遇法、子育て支援金の拡充、お見合い無償特例法、適齢期残業ぜったい禁止法、美容整形の保険料率をグッとお得法、嫁姑なんでも仲裁相談窓口の整備、毎月がバレンタインデー法、育児学の義務教育化、塾代の所得控除認定、ベビーフードの無税化…… どれもこれも失敗に終わってきたわ。わたしの優秀なブレーンもハッキリ言っているのよ、もはやこれは国民の選択の問題だって。でも、だからこそ、わたしはこの手で少子化の流れを食い止めたかった。政治家として名を残したかった。でもダメね。国民の生活が豊かになっても、時間に余裕が出来ても、流れは変わらなかった……」


「だから、あんなバカげた少子化対策三法を施行したんですね」

「ええ、でもあれは国民へのメッセージ。よほどタチが悪くないと摘発していないわ。逮捕者なんか数えるくらいしかいない……」

「でも父は……」

「ごめんなさい」


 BL禁止法、百合禁止法、二次元愛禁止法。少子化対策三法は許せない法律だ。なぜならそれは僕らの自由を奪う法律。だから僕は彼女を嫌いになった。大嫌いになった。そしてツインフェアリーズの摘発。絶対に許せないと思った。


 だけど……

 ふと、先日の父との電話を思い出す。

 父は、自分の国外追放劇は一種の痴話げんかだ、なんて言っていた。

 国外追放された父のあの能天気な言葉。そして、おフランスの有名大学で研究者に返り咲いている現実。いったい僕の恨みは何だったのだろうか……


 料理が運ばれてくる。

 大きな白磁に上品な盛りつけ。

 前菜はカニの身のカクテルと、きらきらに輝くパテだ。

 手にしたナイフとフォークから伝わるずっしりとした重量感。


「いただきましょう」


 カチャリ


 って、これ……

 ハッキリ言って、抜群に美味い。


「うんっ、このパテ、すっごく美味しいねっ!」

「あ、そうだね」

「じゃあ、あたしの分もあげよっか?」

「いやいいよ、こんなところで……」

「だってここは個室だよ。誰も見てないよっ! あっ、ひとりいるか、邪魔者」

「こら、もみじ。お母さんを邪魔者とは何ですか」

「だってそうだもんっ! てへへへっ」


 いつもの笑顔の彼女を見ると、僕もそれに応えなきゃって思う。


「こっちも美味しそうだな。いただき…… んっ…… このカニもすっごい濃厚!」

「じゃああたしもっ…… ぱくっ…… んっ、本当だわ、美味しいねっ。あのね、このお店のシェフはフランスの有名なレストランから来た人なんだって。すっごい有名なんだって。ねえ、お母さん!」

「ええ、そうね。国賓クラスの人にも安心して紹介しているわ」

「はあ……」


 そりゃ美味いけど高いわけだ。


「……」

「……」


「あっ、そうそう、あのさお母さん、一平さんの店にはね、きららさんっておばあさんがいて、その人がすっごく面白いの! 先週も力仕事を手伝おうとすると、「大丈夫、こう見えても中学生の頃はあんたより若かったんだ」とかいって。ふふっ、当たり前だよね。一平さんも聞いてたでしょ?」

「あ、うん。あれはきららさん流の気配りだよね」

「いつもニコニコしてるしね。ニコニコしてるって言ったら聖佳ちゃんがさあ……」


 もみじは次から次へと話題を振ってくる。

 元々よく喋る子だけど、今日は従来比80%アップだ。

 そんなもみじのお陰で晩餐はいい雰囲気のまま進んで……


「美味しかったね。次のデザートも楽しみっ!」

「あの、一平、さん。食事は足りました? 足りなかったら何か追加とか」

「いえいえいえいえ。大丈夫です。もうお腹いっぱいですよ」


 こんな店で追加注文とか財政破綻するよ。そもそもお腹を膨らまそうって発想が間違いだろ。


「若い男の人には足りないんじゃない? 遠慮とかいらないのよ」

「いえいえいえいえ、ホントにホントに大丈夫です」


 1皿1万円の料理でお腹膨らまそうなんて心臓に悪いよ。帰りに駅前でラーメン喰うから大丈夫だよ、ってな本音は心の中に留めておこう。


「じゃあたしがジャンボパフェ追加しよっかな~っ!」

「そんなメニューあるの?」

「ないよ。でも注文したら作ってくれるよ。だってここには朝風明希がいるんだよ。人呼んで鋼の女、無茶ぶりの女王だもん」

「こらもみじ、やめなさい」

「へへへ~っ。一平さんは?」


 僕や母親の顔色を伺っては次々に話を振ってくるもみじ。

 対して朝風明希は……


 テレビで見る強気で堂々とした受け答え、鋼の女と言われる強固な意志、女性らしく柔和な表情の中に時折見せる鋭い眼光。饒舌で弁が立ち押しが強いイメージのあの女。それが今日の彼女はどうだ。全く普通の母親じゃないか。


 でも……

 もみじの手前ずっと黙っていたけど、やっぱり聞かずにはいられない……


「朝風総理っていつもこんな感じなんですか? 国会とか記者会見とかのイメージと全然違いますよね……」

「ああ、そうね。今は猫被ってるだけよ。もみじが言うとおり普段は怖くて恐ろしい鋼の女よ。男性閣僚も秘書もブレーンたちもみんなビクビクしてるわよ。よく無茶振りするしね。一応、記者会見の時だけはスマイル重視だけど、あれもスタッフの言うとおりにしてるだけ。機嫌が悪いと顔に出ちゃうしね」


 えっ!

 こんなにあっさり認められると拍子抜けだ。

 僕の中にある彼女のイメージが大きく変わっていくのが分かる。

 だけど。

 だったら……


「だから鳥海ちょうかい大臣も徹底的に追い詰めたんですか?」

「えっ!」

「ちょっ、ちょっと一平さんっ!」


 それまでずっと微笑みを絶やさなかったもみじが慌てたようにグラスを置く。


「鳥海大臣はあなたが追い詰め政界から追放したんですよね」

「鳥海大臣は…… 彼は、許せなかった。だってあの男は女を泣かせたのよ。不貞を働いたのよ。わたしはそんな男が大嫌い」

「でも。彼の奥さんは許したんでしょ?」

「彼は一国の大臣だったのよ。不倫が許される? 密会が正当化される? わたしは許さないわ。わたしは……」

「だからって、逃げ場がないところまで追い詰めなくても」

「ダメよ。そんなふしだらな男の裏でどれだけの女が泣いているか!」


「ちょっ、ちょっとお母さん! 一平さんもっ!」

「もみじだって信じていた人に裏切られたら許せないでしょ?」

「いやさ、だからお母さん。あっ、そうだ。あたしデザートのコーヒーを……」

「政治家とか、大臣とか、そんなの関係ない。わたしは許さない!」



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