第4章 第2話
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「一平くん、5番さんのコーヒー早くして!」
さくらさんの声に今に戻される。
「あっ、ごめんごめん」
「どうしたの一平くん、昨日から何かヘンよ。ツインフェアリーズの看板を下ろすって言ったり、やっぱりやめるって言ったり、突然聖佳ちゃんを「さん」付けで呼んでみたり、まったく妹は最高だぜっ、って叫んだり…… そう言えば食卓に置いてあった2.5頭身デフォルト彩華ちゃん(かわいい)を自分の部屋に連れ込んだでしょ? もしかして昨晩はあのデフォルトフィギュアでハアハアしていたの? ちょっと引くわ」
「してねえよ! やっぱ食卓に嫁を置いとくのはどうかと思っただけで」
「今頃気がついた? そうよ、ああ言うものはさりげなく自分のベッドに隠しておくものよ。それはそれでドン引きだけど」
もみじさんの言うとおりだ、さくらさんチェック鋭い……
「そう言うさくらさんだって、昨日は聖佳と一緒に寝てたじゃないか! 百合はいいのか?」
「わたしは聖佳ちゃんに男の扱い方とか男の手懐け方とか、男の騙し方を教えていただけよ」
「ちょっと待てよ、聖佳に僕を手玉に取らせようとしてるの? それはひどいよ、聖佳は僕の可愛い妹なんだよ!」
「違うわよ。この店に立ったときのためよ。もしかして一平くん、聖佳ちゃんがわたしみたいな悪女になるのが怖いの? だったらもっと悪魔にしておいてあげるけど?」
「やめてよ。それにさくらさんは悪魔じゃないし!」
「お世辞でも嬉しいわ」
「……はい出来た、5番さんのモーニングよろしく」
さくらさんが去っていくと入れ替わるようにもみじさんが戻ってくる。
「14番さんクリームソーダとアイスコーヒーですっ。しかしホントに一平さんとさくらさんって仲がいいね」
引き上げてきた食器やグラスを皿洗いマシンに並べながら彼女は微笑む。
瞬間、また昨晩のことが脳裏を蘇った。
彼女はふたりの仲を秘密にしようと言ってくれた。
理由は三つある。
第一に、彼女もさくらさんの気持ちを推し量ってくれた。僕があの女の息子だと、さくらさんが知ったらどう思うか、と。
そしてふたつめにはあの女の立場だ。あの女が摘発したツインフェアリーズは「昔の男と我が子の店」、即ち身内の店だった訳で、そんなことがバレたら、あの女は世間の非難を受けるだろう。
最後の三つ目。これが一番悩ましいことなのだが、そもそも僕の父も、あの女も、どうしてこのことを隠し通してきたのか? その理由が分からない以上、そこには何かがあると考えざるを得ない。
昨晩、このことについてもみじさんと色んな推理をした。
ふたりとも子供のことを想って隠してくれているとか、互いに相手に会わない約束があるとか、お互いが憎しみ合っているからだとか……
勿論、どれも想像だし答えなんて分からないけれど、僕は最後の理由、お互い憎しみ合っているからじゃないかと睨んでいる。あの女は父を摘発したし、父は「リアルなんてもう懲り懲りだ」が口癖だったから。しかしもみじさんは、アンドロイド晶子ちゃんの存在を理由に、そんなことはないよ、と言う。確かに昔のあの女は晶子ちゃんにそっくりだった……
「どうした一平ちゃん、考えごとかの?」
「あ、ごめんなさいきららさん。えっと、クリームソーダとアイスコーヒーでしたよね」
「クリームソーダはもみじちゃんが作ってるから、アイスコーヒー頼むよ。それにしても、何か悩み事かの? この年寄りでよかったら何でも聞くよ?」
「あ、大丈夫です。アイスコーヒーですよね」
からんからんころん……
入ってきたのは赤毛のボブにベレー帽を被った、おしゃれなサングラスの女性。
「いらっしゃいませ!」
「さくらさん、ちょっと待って!」
案内に向かうさくらさんをもみじさんが呼び止める。
何だろう?
もみじさんは慌てたようにその客の元に駆け寄り、言葉を交わす……
「一平くん一平くんっ!」
「どうしたのさくらさん、そんなに慌てて!」
「どうしたもこうしたも、ほらあの女、あの女よ、きっとあの女があの女なのよ!」
「落ち着いてさくらさん、そりゃあ、あの女はあの女でしょ? That woman is that woman. 邦訳すると『あの女はザッとした女です』」
「いや、そう言う冗談じゃなくって。ほら、あの女よ、朝風明希よっ!」
「ええっ?」
もう一度彼女に目をやる。
ベレー帽を被った赤毛のボブ、サングラスを掛けたシャープな顔立ち。もみじさんに案内され、窓際の席へと向かう彼女は確かにあの女、朝風総理だ……
「一平くん、慎重にね。もみじさん言ってたでしょ、ここでバイトしてるのバレたって。だから見に来たのかも知れないわ。ここは様子見よ、あくまで客として丁重に扱いましょう」
「あ、ああ……」
「うまくいったら、あの女の情報とかも取れるかも、って、ちょっと一平くんっ!」
あの女はもみじさんに案内された席へと座る。
何だろう、この気持ち……
気がつくと僕は彼女の前に歩み寄っていた。
「あっ、マスター。実は……」
「もみじがお世話になってます。わたくし……」
「何しに来たんだっ!!」
「っ!」
「いっ、一平さん!」
「何しに来た! 僕らを嘲笑いに来たのか? 僕らをバカにしに来たのかっ! 僕たちは……」
「ちょっ、ちょっと一平くん。あの、申し訳ありません。ちょっ、一平くんこっち!」
「僕たちはな……」
「いいから一平くん、ちょっとこっち」
「あのな、僕たちはっ………………」
バタン
さくらさんに腕を引っ張られて休憩室へ連れ込まれると、体中が熱くなっているのが分かった。ダメだ、すごく興奮している。って、心配そうに僕を覗き込むさくらさんの瞳…… いけない、つい声を荒げてしまった。店で大失態を演じてしまった。急に頭のてっぺんから冷めてくる……
「どうしたのよ一平くん! いくらあの女だからって、いきなりあの態度はないわ。一平くんらしくないわよ、気持ちは分かるけど落ち着きましょう、ここに座って!」
「あ…… うん。ごめん。 混乱した……」
「一平くん、そんなに怒ってたんだ」
「あ…… そうだね。自分でもビックリだよ。制御が利かなくて……」
「ちょっと待ってね」
いや、多分違う。
取り乱したのはきっと知ってしまったからだ……
休憩室を出たさくらさんは、すぐに戻ってきて、僕の前にグラスを置いた。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう」
いつか飲んだ、少し甘いレモン水。
いけない、さくらさんに、もみじさんに、お客さんに、みんなに迷惑を掛けた……
「さくらさん、僕、謝ってくる」
「あの女なら帰ったわよ。もみじさんが一緒に出たわ」
「…… ごめん、店のお客さんに頭を下げてくる」
僕がゆっくり椅子から立ち上がると。
「分かったわ。じゃあ、わたしも一緒にいくわ」
「さくらさん…… くっ……」
「どうしたの? 一平くん大丈夫? もしかして泣いてるの? 座って! もうちょっとゆっくりしましょうか!」




