第4章 第1話
第4章 もみじの願い
週末の金曜日、いつものように店は大盛況。
「5番さんモーニングセットふたつですっ! あっ、トーストはあたしがやりますよっ!」
笑顔でカウンターに戻ってくるもみじさんに、さくらさんは不思議顔。
「あの泥棒ネコ、今日はやけに張り切ってるわね。何かいいことでもあったのかしら?」
「さあ……」
「マタタビでも食べたのかしら」
「さくらさんって結構言うね……」
いいこと、だったのだろうか。
昨晩。
ツインフェアリーズの看板を外した僕たちは、そこに1枚の写真を見つけた。
それは産まれてすぐの僕ともみじさんの写真。
そしてふたりを囲む仲睦まじい父と母の写真。
「お兄ちゃんだったんだ! やっぱりだっ、やっぱりお兄ちゃんだったんだよっ!」
喜んでいるのか喚いているのか、ただポロポロと涙を流す彼女。
僕は混乱する頭を必死に整理するのだが、目にした事態はあまりに予想外で、あまりに唐突で、納得が現実に追いつかない。
「やっぱりって、もみじさんは知ってたの? 僕たちが双子だって」
「んっ、ううん。知らなかった。でも、何かあるって思って。だからここに来て監視して…… ううん、ごめん。ウソ言ってた。監視じゃない、調べてた」
暫くののち。
看板を元に戻すと、彼女と一緒に駅まで歩いた。
道すがら、少しずつ頭の整理がついてくると、事の重大さが重くのしかかってくる。
「ねえ、やっぱり店の名前を変えるのはやめようよ! ツインフェアリーズって一平さんとあたし、ふたりのことだよね。あたし、頑張るよ」
「でも、会員制にしてもうまくいくとは限らないんだよ。看板さえ下ろせば……」
「イヤだよ」
一瞬、感情を剥き出しにした彼女は、しかしすぐにいつもの微笑みに戻る。
「あのね、あたしね…… お兄ちゃんがいるんじゃないかって、ずっと思ってたんだ……」
地下道への入り口で僕らは立ち止まる。
「どうして? お母さんがそう言ったの?」
「ううん、そうじゃないけど。でも、そうかな?」
彼女は突然の事実にも、何故かとても嬉しそうで。
「ほら、あたしには父がいないじゃない? だから子供の頃よく聞いたのよ、お父さんはどこにいるの? って。母はいつも、お父さんはいないって言った。そして自分は処女懐胎だって主張した。マリア様と一緒だって。あたしね、幼い頃は信じてたのよ。バカでしょ。よその家とは違うけど、自分の家だけは特別だって、本当に信じてた……」
彼女は突然、近くの自販機に歩み寄ると硬貨を投げ入れる。
「ねえ。どれがいい?」
「じゃあ、暖かいミルクティで」
「ははっ。嬉しい! じゃ、あたしも一緒の!」
彼女から(夜の紅茶・濃厚ミルク)を受け取るとふたりプシュッと缶を開ける。
「次は僕のおごりな」
「うん、分かった」
彼女と同時に口を付ける。
その紅茶は充分熱くて、何故かふたり笑い合う。
「それでね、母は多忙だったでしょ!? 幼い頃からあたしはいつもひとりだった。寂しかった。だから兄弟が欲しいってワガママ言った。母は弟がいいか妹がいいかって聞いたけど、あたしはお姉ちゃんかお兄ちゃんがいいって無茶言った。そしたら母はね、「もみじにお兄さんがいたら、きっと優しくてもみじを可愛がってくれたでしょうね」って言ったの。あたし今でもその時のことを覚えてる。なんだかとっても不思議だったから」
「もしかして、たったそれだけのことで兄がいるって気がついたの?」
「ううん、気付いてなんかいない。ただ、いたらいいなって思うようになった。お姉ちゃんでも弟でも妹でもないの。お兄ちゃんがいたらいいなって、ずっと思ってた…… 小学生に上がる頃には母がマリア様とか、もう信じてはなかったけど、でも同時に父の話はしちゃいけない、ってことにも気がついた。だって母はバツイチか、未婚の母か、いずれにしても辛い話よね。だから父のことも、お兄ちゃんのことも、家族のことはもう、話さなくなった……」
月が見える空を見上げてそう語った彼女は、急に僕を振り向いて。
「あっ、そうだ! さくらさんにちょっと時間かかるって連絡した方がいいよ。急にもみじがお母さんの話を聞いて欲しいとか困ったことを言い出した、とか言って。口裏合わせるからさ。さくらさんって絶対勘が鋭いからね。好きなんだったら気をつけた方がいいよ、あのタイプには嘘は通らないよ」
「かもな」
僕は彼女の忠告通り、さくらさんのスマホに連絡を入れる。
さくらさんからの返信を確認すると、彼女はどうして僕の店に来たのかを語り始めた。
彼女が言うには、二次元愛禁止法に対する朝風総理の思い入れは凄かったという。元々は総理のブレーンが立てたアイディアらしいけど、法律の効果や注目度はたいしたことないのに、もみじさんに熱く語ったこともあるらしい。確かに、あの女の政策は成功続きだ。それは総理が冷静にブレーンの意見を聞いて、決めた方向性を貫いているからだと、もみじさんは言う。でも、政府にとって二次元愛禁止法は重要な法案ではなかった。なのにあの女は固執した。そのくせ、その試行初日の摘発内容も、その後の対応も、あまりにお粗末すぎる、と言うのだ。
確かに、摘発されたのは父ただひとりで、店は閉店後1週間で再開。その父もたいして悪党だった訳じゃなく、あっさり国外追放で終わってる。そんなことをわざわざ記者会見で自慢したりして一体何をしたかったのか? その上、三つ葉に転校生が来るという話、そしてツインフェアリーズ再開のニュースに涙する姿。その何もかもが普通と違ったと彼女は言う。
「だからあたしはツインフェアリーズに来たの。きっと何かあるって感じたから。勿論それが何かは分からなかった。でも、母が一平さんに三つ葉に来るよう仕向けたって知ってもしかしたらって思った。ううん、もしかしたら、じゃない。きっとそうだって不思議な確信があった。だからあの安い時給で頑張ってるんだよっ!」
泣いているのか笑っているのか、彼女はもう一度甘いミルクティーをグイッとあおる。そしてその大きな瞳は未来を向いた。
「あの看板を下ろすなんてあたしにはできないよ。だってあのお店があったから、あたしはお兄ちゃんに会えたんだもん! 大切にしなくちゃ。あたしが守らなきゃ。あたしね、ツインフェアリーズってとってもいい名前だって思う。だから頑張るから、母に抵抗しようよ。あたしはお兄ちゃんサイドに付くからさ」
彼女と別れて家路を歩きながら考える。
もみじさんは僕の妹……
突然妹って言われても、ピンとは来ない。
彼女はしっかりしているし、優しくて可愛い。
そんな彼女が何度も何度も僕を『お兄ちゃん』と呼んでくれる。
何故だろう、正直…… 嬉しい。
しかし、それは同時に彼女のお母さんが、僕の母だと言うことだ……
朝風総理が僕の母……
いったい、あの事件は、あの摘発は何だったんだ?
母が父を捕まえて国外追放したってことになるんだぞ。
ともかく父と話をしたいけど、その手段がないことに考えが及ぶ。
そして何よりさくらさんのこと。
この事実は話せない。とてもじゃないけど無理だ。
僕はさくらさんと一緒に、あの女への復讐を誓ったんだ。
そんな僕が、あの女の息子だと知ったら……
僕は憎まれる。
僕は恨まれる。
いや、多分そうじゃない。彼女はそんな人じゃない。彼女は心根のとても優しい人だ。
だからきっと、彼女は僕から離れてしまう。
そうして、彼女の計画は、彼女の切ない願いは、失敗すらせずに終わってしまう……
「さくらさん、僕は絶対裏切ったりしないから!」
不意に、あの時の言葉が口をつく。
そう。
このことは、絶対に隠し通さなきゃ。
彼女の願いが叶うまで。




