第3章 第1話
第3章 ふたりの妖精
朝、とてもハッピー気分だった。
その、とんでもない異変に気づくまでは……
金曜の朝は録画しておいた深夜アニメで始まる。
「一平くんって朝のニュース見ないの?」
「さっき見たじゃん」
「旧・国営放送の素っ気ないやつ? あれで終わり?」
「うん。ネットもあるし要所が分かればいい。あとはアニメタ~イム」
「ふうん。好きね」
文句言われるかと思ったけど、あっさり頷いたさくらさんはトーストを食卓に置いて自分も席に着く。
「さくらさんはミルクティーでよかったよね」
「あ、うん。ありがとう一平くん」
「何言ってるの? 他は全部さくらさんじゃん」
食卓にはハムエッグとミネストローネスープ。
この前まで菓子パンだけの素っ気ない朝だったのに、なんだかグッと文明開化した。
「で、このアニメって面白いの?」
「面白い、と思う。結構笑えるラブコメで、主人公がハーレム状態になっていくんだ」
アニメのタイトルは
『あたいの胸が小さいのは全部お兄ちゃんのせいだからねっ!』。
主人公の妹がヒロインで、可愛いけど貧乳属性って設定だ。
しかしこのアニメ、さくらさんには地雷のような気も……
「ふう~ん、面白くなかったら虚偽申告罪で訴えるわよ」
「ひどいなあ……」
困った僕を楽しげに見つめると、彼女は紅茶を一口啜る。
「ところで一平くん、わたし考えたんだけど……」
「ん? (このミネストローネ、すっげえ美味いっ!)」
「一平くんは高校生ロボットコンテストって知ってるわよね」
「ああ勿論。年に一度のロボオタの祭典だよね。うちの学校はロボット部が無いから関係ないけどね」
「そうね。でも、あのイベントって優勝は総理杯もらえるって知ってる?」
「ああ、勿論。毎年TV見てるから。父も好きだったし」
「話では、あの決勝戦当日、総理は半日会場にいるらしいの」
「ふうん……」
「それで総理杯授与してカメラに向かって総括を述べるのよ」
「ふう~ん………… ん?」
「流石は一平くん、気がついたみたいね」
総理が半日もそこにいて、しかもTVカメラの前に立つって、それって!
ロボコンと言ったら旧・国営放送が誇る国民的な高視聴率番組だ、こんなチャンスは滅多にない。
「ああ、分かったよ、作戦を実行する最高の舞台ってことだね。でもそのためには……」
「そうよ、来週になったらロボット部を立ち上げるわよ!」
「気楽に言うね」
「一平くんが開発中のアンドロイド・聖佳ちゃん(おりこう)だったら決勝まで楽勝で進めるわ。だってあの子は一平くん好みの女の子なんでしょ? ホント最初はぶっ殺そうかと思ったわ!」
「やめてよ。僕の大切な聖佳(かわいい)なんだからっ」
「やっぱりなんかムカッと来るわね。でもまあいいわ。あの子は素直すぎて全然リアリティがないから」
昨日も少しだけ彼女の人工知能の改良をしたんだけど、確かに会話をしても飽きてくるんだよな。どうしてなんだろう。その辺父は凄いと思う。晶子ちゃんは本物の人間と喋っているみたいに感じるもんな……
さくらさんはお上品にスープを飲みながらチラリとテレビを見る。
画面ではヒロインのライバル、金髪のおっぱい美女が主人公を誘惑している。その魅力にぐらり揺れる主人公を妹がなじる。スケベ、ヘンタイ、おっぱい星人、大きかったら何でもいいの?
「そうよ、そんな女の甘言にのっちゃダメっ! 妹ちゃんの言うとおりだわっ!」
「さりげに見てるね、さくらさん。そんなに面白い?」
「かと言って妹、ってのも倫理上どうなのっ、って感じよね、このアニメ」
「ははっ、さくらさんは第1話を見てないから知らないと思うけど、この妹は実の妹じゃないんだ。母親の再婚相手の子だから」
「なるほどね。実の妹なら、あの頭の堅い、鋼の女の手下たちが倫理違反を振りかざして摘発に来るかもね」
「そうかもね…… ん?」
「どうしたの一平くん?」
「いや、誰か来たみたい……」
朝7時過ぎ。
店の開店は9時だからもみじさんもきらら婆さんもまだ来ないはず、なんだけど。
僕はフォークを置くと一階へと下りた。
「どなたさまでしょうか……」
「おはようございますっ! あなたの可愛いもみじちゃんですよ~っ!」
春らしいピンクのワンピースをお召しになった総理のひとり娘が微笑んでいた。
「ええっ。まだ早いよ! 9時前でいいんだよ!」
「だって今朝はひとりでヒマだったのよ~。サンドイッチ持ってきたの、みんなで食べましょ!」
かくして。
ハムエッグとミネストローネとトーストが並ぶ食卓のど真ん中に、色とりどりのサンドイッチが詰め込まれたバスケットが置かれた。
「さくらさんも遠慮なく召し上がれっ!」
「まさか毒とか、笑い薬とか、ハゲが治る薬とか入ってないでしょうね?」
「ハゲが治っちゃいけないの?」
「知らないの? 最新のハゲが治る薬は男性ホルモンを減らすって言う噂があるのよ。一平くんが女になったらどうするのよ。それでなくても草食系なのに……」
ホントかその噂。
「ふう~ん、でも入ってないわ。最新の(胸が大きくなる薬)なら混ぜてるけど」
「いただきますっ! うん美味しいわっ!」
さくらさん、変わり身早っ!
「一平さんも食べてねっ」
「ありがとう。でも僕の胸が大きくなったら……」
「そんな薬あるわけないでしょ? もう、すぐ冗談を信じる……」
「あなた、騙したわね」
「さくらっちったら本気だったの?」
「本気だったわよ! だいたいあなたはどうしておっきいのよっ、おかしいじゃない、このわたしがこんなに貧相なのに…… って一平くんどこ見てるのよっ! あっ、今比べたでしょ! あのね、重要なのは大きさじゃなくて色とか形なのよ、色と形! 分かる一平くん! って言うかね、大きくするのは彼氏の役目って言うわよね。って、ねえ、聞いてるの一平くん!!」
聞かないことにした。
君子、地雷原に近寄らず、だ。
「そんなことより一平さん、この店のとなりのビルって何ができるの?」
「ん? となりってどっちの?」
ツインフェアリーズはその両隣を高いビルで挟まれている。
店に向かって右手は下層階が店舗のマンションビル。1階はコンビニと不動産屋だ。反対の左手にはオフィスビル。1階にはうどん屋もある。
「どっちのって、どっちも。右側は工事業者が出入りしてるし、左の方のうどん屋さんは店舗移転って書いてあったけど」
「えっ? 何それ。そんなの知らない……」
慌てて席を立つと1階に下りた。あのうどん屋さん結構美味しかったのに。まあ、チェーン店だったし店の人もバイトばかりだから、知ってる人がいる訳じゃないんだけど……
って。
外へ出たとたん、気持ちが声になって漏れる。
「なんだよ、これ……」
店舗移転の張り紙どころの騒ぎじゃない。ビルの前に改装業者のものらしきトラックが止まっている。店はすでにがらんどうで、移転を知らせる張り紙だけが目に付く。慌てて反対のビルへ駆ける。こちらのコンビニは今まで通り平常営業しているけれど、横の階段から業者が上の階に出入りしている。顔見知りの不動産屋さんはまだ開店前。
「あのっ!」
「ん、なんだい兄ちゃん?」
「ここ、何ができるんですか? あ、僕はとなりの住人なんだけど……」
「ああここの二階ね。喫茶店だよ。知らないのかい? まあ急だもんな。俺らも無茶言われててさ、いきなり1ヶ月で完了させろとか。ごめんな、こんな朝っぱらからうるさくして。でも、そう言う訳で俺らも犠牲者なんだよ」
どうして気づかなかったんだ?
確かに今週はさくらさんの騒動で忙しかったけど、今週初めには何も変化なかったぞ……
「あのっ!」
僕は反対のビルに駆け戻り、トラックの中でスマホをいじる運転手に声をかける。
「ここかい、詳しくは知らねえけど、喫茶店ができるって聞いてるぜ。急な話でさ、この金土日もずっと仕事さ。今日はちび助の授業参観だってのによ」
なんだこれ、おかしいだろ!
3軒続きで喫茶店つくってどうすんだ!
(もしかして!)
僕の脳裏にあるひとつの推論が浮かぶ。
「くっ、卑怯なまねしやがって!!」
走った。
家の階段を1秒で上った。
「ロボコンは母も楽しみにしてるらしくて……」
「おいっ、これはどういうことだっ!!」
「どうしたの一平くん!」
「どうしたのって、もみじさん知ってるんだろ! なんだよあれ、うちの両隣に喫茶店作ってうちを潰す気なのかっ! 君のお母さんの仕業だよなっ!」




