第2章 第5話
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「あのね、わたし、アパートを追い出されるんだって」
歩きながら彼女は。
「ええっ? 追い出される?」
「そう、追放だって。ふふっ、もう笑うしかないわ。あの日、国費特待生の話を断ったでしょ。そしたら何か手違いがあったとかで、今受けている保護も全部ストップしたんだって。それで住んでるアパートから今週中に出ていけって。気がついたらスマホも使えなくなってたし」
「そんな大切なこと、どうして黙ってたんだ!」
「昨晩知ったのよ。昨日家に帰って大家さんに言われたの。郵便も来てたみたいだけど、間違って隣のポストに入ってて。だから今日慌てて役所に怒鳴り込みに行ったの。でも、もう一度、児童福祉の再申請してもらうしかないの一点張り。しかも親を連れてこいだって! 親を連れてこれたら申請なんかしないわよっ!」
さっきまで元気がなかったさくらさんだけど、少しずつ怒りが蘇ってきたようだ。
「元々、国費特待生を断っただけなのに、全部キャンセルした役所の手違いでしょ! それなのに融通利かないんだからっ! それでね、ともかく押し問答しても仕方ないから、当面のアパートを探しに不動産屋に行ったのよ。そうしたら今度は収入を証明するものがない、とか言われちゃって!」
「それで僕を待ってたんだ」
「ええ。それにしても遅かったわね! 何してたのよ!」
僕を見上げる彼女の瞳は、どこか拗ねてるようにも見えて。
「ああ実は、もみじさんとちょっと晩ご飯を……」
「なっ、何よそれっ! あの泥棒猫にまんまと泥棒されてたって言うの! って言うか、一平くん、どうして泥棒されてるのよっ!」
「あっ、えっ? いや、彼女が僕を監視するって言って家の前で待たれてさ」
「ねえ一平くん。その監視員と、どうして一緒に『アニフレ』なんかに行ったのかしら?」
「えっ、どっ、どうして知ってるの?」
「あなたのおでこにそう書いてあるわ! このわたしには何でもお見通しよ!」
「えっ、まさか僕に発信器をつけたりとか?」
「ふふっ、もう、ホントに分からないの? 理数は天才のくせに!」
ちょっと慌てた僕を彼女はひとしきり可笑しそうに笑って。
「一平くんが持ってるその袋、中身はなあに?」
「あっ!!」
左手に持っていた青い『アニフレ』の袋。もみじさんに買ってもらった魔法少女・彩華ちゃん(らぶりい)のフィギュアが入ったそれを彼女はさっと奪い取る。
「ねえ見ていい?」
「見ていいって、勝手に取り上げて言うセリフじゃないよね!」
しかし、僕の言葉を軽くスルーして悪戯っぽく笑う彼女は袋の中を覗き込む。
「えっと…… 魔法少女・彩華ちゃん(おたかい)の最新フィギュアじゃないの! これ、もみじっちと一緒に買ったの? 一平くんもホント好きね」
「あ、ああ、ははは……」
買ってもらった、なんて言えない……
「もみじっち引き連れて(俺の嫁は彩華ちゃん(大好き)だあ~)、とか言いながら買ったのっ? だっ、だめよ一平くん、いくら泥棒猫でももみじっちは女の子よ。目の前で『俺の嫁』買われたらショックよ~。それはちょっと可哀想よっ、って、ぷぷぷぷぷぷひゃっ!」
「さくらさんって結構悪だね。人の不幸笑うなんて」
「ええ、だから言ってるじゃない、わたしは悪魔だって。ぷふふっ! もう、そんな恥ずかしいことは今度からわたし以外の前でしちゃだめよ。わかった? 一平くん!」
「あ、うん」
「さ、着いたわ。ここよ」
『賃貸ランド・MYハウス22』。
ネットやテレビでよく宣伝を目にする大手賃貸住宅仲介屋だ。
賃貸相場は急激な人口減少を背景に『今が底値』と言われている。僕が小さいときからずっと言われ続けている言葉だけどね。教科書によると150年前には土地って普通の人には買えないものだったらしい。今では特に都市部の価格下落が激しくて当時の20分の1以下だと言うけど、それでも家を建てるには莫大なお金がかかる。だから僕ら高校生には賃貸しか手がないのだが……
「いらっしゃい。あっ、さっきのお嬢さんだね。こちらへどうぞ」
黒縁めがねの中年男性が笑顔で僕らを迎えてくれる。
「えっと、先ほどの物件はこちらの光熱費別で8500円の物件でしたね。えっと、雇用主さんの証明は?」
「はい、彼が雇用主になります。必要な書類は……」
僕らが椅子に座ると、その中年店員は僕の服装をじっと見て。
「あの、あなた高校生、ですよね」
「はい、そうですが」
「未成年者は収入証明できないんですよ」
「ええっ! だって、さっき雇用主の証明があればって」
手をついて椅子から立ち上がったさくらさん。
「はい。確かにそう申しましたが、未成年者は証明能力がないと見なされるので……」
「そんなこと言われても困るんですっ! 何とかなりませんかっ!」
「いや、困るって言われてもねえ。家主さんとの契約もありますし、こればっかりは」
「そこを何とかっ!」
「いや、わたしも何とかしたいのは山々ですが…… でも、いくら綺麗なお嬢さんのお願いでも、こればかりはどうしようも…… ご両親がご不在なら役所から手当給付証明を持ってきてもらうだけでもいいんですが」
「それができないからお願いしてるんですっ」
「困りましたねえ……」
「ねえ、何とかなりませんかっ!」
「……」
「この通り、お願いしますっ!」
…………
しかし結局。
何ともならなかった。
「はあ~あっ。どうしましょう……」
「ねえやっぱり、国費特待生の申請をしたら?」
「国費特待生は門限厳しい指定の寮に入れられて、バイトもできなくなるわ。一平くんはそれでもいいって言うの!」
「ああ、その時はツインフェアリーズもお終いかもな…… でも、それは僕の問題で……」
「一平くん忘れたの! あなたにはこのわたしを雇用する義務があるのよ! わたしの命令に背くって言うのっ?!」
「あっ、ごめん。そうだった、これはさくらさんの命令だったんだ」
「そうよ。忘れないで。わたしの命令は絶対なのよっ!」
「じゃあさ、その命令をさくらさん自身で撤回すれば?」
「ね~え一平くん、何の権利があって、あなたがあたしに指示できるのかしら?」
さくらさんの背後から(ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……)と黒い炎が燃えさかる。
やばい、激烈に怒ってる……
「ゴメンナサイ申し訳ありませんでしたさくらさまっ! さくらさまにはこれからもツインフェアリーズでずっとずっと働いてもらいます、はい、絶対心からお願いしますっ!」
「もう、分かったらいいわ。しかし……」
ふうっ、と小さく嘆息した彼女は夜空に浮かぶ三日月を見上げる。
「郊外の誰も住んでない空き家にでも住もうかしら」
「ダメだよ、それは絶対にダメだ! よく犯罪とか起きるじゃないか! ましてさくらさんはか弱い女の子なんだよ!」
「ありがとう、ちゃんと女の子扱いしてくれて……」
人口減少の所為で郊外には誰も住んでいない空き家が山ほど転がっている。特に狭い土地に立つ家々には誰も買い手が付かないらしくボロボロのまま放置されている。そこは浮浪者が勝手に住んでいたり、小学生たちの秘密の隠れ家になっていたり。でもほとんどはネコとネズミの住みかになっている。勿論、そんな地域の犯罪発生率は異常に高く、政府も頭を悩ませていた。
「でも、さすがに公園で野宿はイヤだわ……」
「…………」
「「そうだ」」
突然、ふたりの声が重なった。
「あ、一平くんからどうぞ」
「いえいえ、さくらさんから」
「じゃあ、あの…… そのね、図々しいとは思うんだけど、ツインフェアリーズの休憩室で夜を過ごさせてくれない?」
「何言ってるの? あそこにはベッドなんかないだろ?」
「床で寝ればいいわ。荷物は裏の物入れをちょっと貸してくれれば大丈夫だし、鏡もあるしロッカーだって余ってるし……」
「待ってよさくらさん、何バカなこと言ってるんだよ!」
「バカって何よ、バカって!」
「バカだからバカって言ったんだよ! 君にそんな生活させられるもんか!」
「っ!!」
彼女の桜色のくちびるが小さく息をのむ。
「君はツインフェアリーズの大切な看板娘なんだよ! あの女に復讐する大切な仲間なんだよ!」
「…………」
「実はさ、うちの家、使ってない部屋があるんだ。4LDKだけど僕ひとりしかいないだろ。だからさ。あ、勿論。さくらさんさえよければだけど、うちの部屋を使わない? ちゃんとベッドもあるよ…… って、イヤだよね、僕なんかと同じ家とか。どうしようかな……」
「ありがとう……」
「そうだよね。イヤだよね…… って、ええっ?」
「本当にいいのね、一平くん?」
「ああ…… もちのロンドンパリだよ」
「よかった! 実はわたし、最初から一平くんのお家にお部屋はないかなって思ってたの。でも言えなくって。ありがとう一平くん、これからよろしくお願いしますねっ」
「あ、うん。そうだ、代わりに僕が店の休憩室に行こうか?」
「何バカなのこと言ってるのよ! 一平くん、床で寝るつもり?」
「うん」
「居候はこっちなのよ! またわたしに命令して欲しいの?」
「それは勘弁して」
「ふふふっ。そうよね。ホントはわたしもイヤよ、床で寝るのは」
「だよね……」
こうして。
明後日の水曜日にさくらさんは僕の家に越してくることになった。




