第2章 第3話
その小綺麗な洋食屋は、近くなのに初めて入る店だった。
窓側のふたり席に向かい合って座ると、揃って一番安いセットを注文する。
「あのね、正直に言うね。あたし、監視するためにバイトしてるじゃない。だから今日は一平さんがどんな人なのか調べようと思ってきたんだ」
「……だと思ったよ。でも、それなら店でもできるだろ」
「ううん、店じゃ無理。ゆっくり話せないし、さくらさんもいるし。だからホントは一平さんのお部屋が一番よかったんだ。家の中の調査もできるし」
ここまでハッキリ言われたら逆に悪い気はしないから不思議だ。
「で、どうだった、今日の調査結果は?」
「成果なし。一平さんはいい人で、特別な何かがあるようには見えない。岩本さんに聞いた話でも二次元厨で理数ができるって以外、たいした情報なかったし」
「岩本の野郎、情報リークしやがったな」
「あ、彼には言わないでね。情報ソース減るから。それでね、もうひとつわからないこと、教えて欲しいんだけど」
「ああ、何でもどうぞ」
「アンドロイドの『晶子ちゃん』って、何がすごいの? あたしその方面詳しくなくて全然わからない」
「ああ、今回の強制捜査の発端になったアンドロイドだね。彼女はね、そうだな……」
もみじさんは敵の娘だ、教える義理はない。
でも、僕が話さなくても調べればわかることだろう。だったら僕からきちんと話そうと思った。
「自己学習型の人工知能、ってわかるかな」
「ええっと、何となくは」
「周りの環境や人間との積極的なコミュニケーションを通して自ら学習していくロボット知能のことなんだ。彼らロボットは言語や映像、触覚センサー、匂いセンサーなど、いろんな入力デバイスを通じて学習し、本物の人間に近い反応を会得していくんだ。でもね、今のロボットには人間と同じ土俵では獲得できない分野がある。わかるかい?」
「えっと、人間と同じ学習ができない分野、ってこと」
「そうそう」
「う~ん…… 聴覚センサー、視覚センサー、触覚、嗅覚………… あっ、わかった、食べ物のこと!」
「正解だよ。すごいな、この質問にヒントなしで答えるなんて」
「えへへへへ~っ。もっと褒めて!」
結構いい性格してるな、こいつ。
「じゃ、エライエライ」
「えへへへへへ~っ なんか嬉しいなっ!」
「それでだね。父が開発した晶子ちゃんの最大の技術的ブレークスルー、それは彼女が人間と同じ食事を食べて、それをエネルギーにしていることなんだ」
「えへへ~~」
「それだけじゃない。味覚もあって特定の栄養素が不足すると機能不全を起こしたりもする。ある意味ロボットのくせにめんどくさい仕様なんだけど、そのおかげで彼女は食べ物の美味しさや不味さ、量が多いとか少ないとか、好きとか嫌いとか、食べ物に関するうんちくとか、そんな他のロボットは絶対に学習し得ないことを会得したんだ」
「えへへっ」
「人間の会話って食べ物に関することが多いよね。会話ってお菓子を食べながらとか、食事しながらする機会も多いしさ。特にうちは喫茶店だったから、お客さんとの会話に食べ物の話ができるのはすっごい武器だったんだ。最近では自分で料理して味見もしてたんだよ」
「えへへ~っ、すごいね。それで、その晶子ちゃんの人気が沸騰してリアルに告白する人が出てきたってわけね?」
「そういうこと。勿論、外見も二次元美少女キャラだったし、人工知能も凄く洗練されていたから、その辺も大きいんだけどね。そうそう、髪型はもみじさんと一緒の赤毛のツインテ!」
「わあ~っ、それは一度見てみたかったなっ」
と、給仕が注文の品を持ってきた。
目の前に現れたのはハンバーグランチ。デミグラスソースが鉄板の上で踊るように跳ねて、ハンバーグからはじわっと肉汁が滴って、その香りが空腹を刺激する。
僕らはそれを楽しみながら。
「なるほどねっ、まさに今みたいな状況で食べ物の話ができないとか、それ以前に一緒に食事ができないとか、恋人アンドロイドとしては重大欠陥ってわけね。よく分かったわ。まあ、それがために強制捜査になったんでしょうけど。でも……」
彼女は何か考えるように、ゆっくりハンバーグを咀嚼すると。
「お父さんって有名な研究者だったんだよね。それなのにどうしてメイド喫茶のマスターなの? どうして研究機関とか大学でバリバリに研究してなかったの?」
「ああ、それは…… 元々は国立先端研究所に勤めてたんだけど、やめたらしいんだ。それ以上のことはよく知らない。ただ、研究機関は好きじゃなかったみたい……」
隠している訳じゃない、本当に知らない。父はそのことについて僕に話そうとはしなかった。
「……不思議ですね」
「そうだね」
「あ、このトマトすっごく美味しいっ!」
彼女は僕とふたりきりの時もずっと微笑みを絶やさない。一緒にいてとても楽しい子だ。たぶんそれは誰に対しても同じなのだろう。彼女には笑顔がよく似合う。
「ホントだ、しゃくしゃくと甘いね。でもさ、もみじさんなら美味しいものなんか食べ飽きてるんじゃないの?」
「確かに最近はそうかなっ。でも、中学までは地元の公立だったから給食食べてたよ。家のご飯はメイドさんの料理で美味しいけど、週に1日は自分で作るし」
「へ~え……」
微妙な特権階級だな。
「そうそう、これも絶対聞こうと思ってたんだけど、一平さんとあたしの母って何か関係ありません? たとえば、誰かの知り合いが母、とか?」
「あたしの母って、朝風総理だよね」
「もちのロンドンパリですよっ」
「まったく関係ないよ」
「じゃあ、過去に会ったことがある、とか?」
「う~ん、会ったことはないな。でも見たことはあるよ。一回だけ。うちの店に来たことがあるんだ。あれは確か僕が小学2年の時だったかな、店に国会議員が来た~、って騒いでたことがあってね。ドアの影から見た」
「えっ、どうしてドアの影?」
「うちはメイド喫茶だよ、小2のガキが店にチョロチョロ出て行くわけないだろ。父さんと話してるのをドアの影から見ただけさ」
「それだけ?」
「うん、それだけ。他には会った記憶はないよ」
「じゃあ、その時の印象は?」
「う~ん…… 怒ってた、かな。そう見えただけかも知れないけど。それだけ」
僕は覚えていること全てを話した。何も隠してない。と言うか、隠すほどの記憶がない。あの時の記憶、それは綺麗なお客さんが怒っていた、父は後ろ姿しか見えなかった。それだけ……
「母がお店で怒るなんて、あたし見たことないよ。あたしもよく母と外食するけど、店員さんが注文間違っても怒る人じゃないですよ。あ、一平さんがウソ言ってるとか、そう言う意味じゃなくて…… って、何か楽しい話しましょうか! そうだっ、テーマパークとか好きですかっ?」
彼女はまたハンバーグを頬張りながら。
僕も彼女に釣られるように食べながら。
彼女は僕のことを聞くだけじゃなく、自分のことも洗いざらい喋った。僕は聞いてないのに勝手に、だ。好きなラノベのこと、学校では生徒会もやってること、習っていたバレエとお花はやめちゃったこと。毎月月末はアイスクリームを食べること……
ハンバーグを綺麗に平らげると、目の前にデザートのムースとコーヒーが運ばれてくる。
「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ…… っと」
彼女はコーヒーにありったけの砂糖とミルクをぶち込むと。
「あたし、甘党なんだ。甘いものならいくらでも食べれるよっ」
「その割には痩せてるね」
「ははっ、エネルギー効率が最低なのかなっ?」
そう言いながら一口啜る。
やおら彼女はひとつ深呼吸をして、急に僕の方へ改まった。
「あの、一平さん。実は、これが今日の本当の本題です」
彼女から微笑みが消えて、今までとちょっと違う雰囲気が漂う。
「ん? 何?」
思わず僕も姿勢を正した。
「三つ葉に来ませんか!」




