愛理の説得
屋上で自己紹介を終えた愛理は、他の人には聞かれたくないとのことで屋上を出てそこに繋がる階段の所で二人だけで話をしたいと持ち掛ける。当然も様に仁乃は反発しようとしたが、加江須は彼女の事を手で制し、愛理の頼みを聞いて二人は一度屋上を出た。
屋上の扉を閉めると、愛理は加江須と向かい合って話を始める。
「久利君…あなたって黄美の幼馴染で合ってるよね? まずはそこから確認したいんだけど…」
愛理がそう言うと、加江須の表情は僅かに歪んでいた。
今までは何食わぬ顔をしていたその表情が変化し、愛理が質問の答えを聞く前にその事について指摘してきた。
「どうしてそんな顔をするのかな? なんだか黄美の名前を出した途端に変わった気がするのは私の気のせい?」
「別に何でもないよ。最初の質問の答えに関しては……一応イエスだ」
「一応…ね…」
加江須のどこか歯切れの悪い答え方に片方の眉を上げる愛理。
「最近、私の親友である黄美の様子がおかしいの。彼女の幼馴染である君なら何か知っているんじゃないと思ったんだけど…」
「………」
何も言わずに無言のままでいる加江須。
そんな彼に対し愛理は一方的に話を進め始めた。
「いつも明るいあの娘が最近気力を削がれた様な顔をするようになったの。話しかけても上の空、周りがきちんと見えているのかすら疑わしくて心配なんだ……」
「………」
「理由を尋ねてもあの娘は何も言ってはくれない。まるで生気すら吸い取られた乾いた瞳を向けるだけ…もう見ていられないよ」
そう言うと愛理は加江須の詰め寄り、加江須の事を見上げて鋭い視線を向ける。
その眼はまるで自分の大切な人を壊された人間が、その犯人を目の当たりにして向けるようなナイフのように尖っていた。
「私も色々と考えてね、黄美がああなった原因……私はキミにあるんじゃないかと思うんだけど…ちがう?」
「さあな…」
短くそう答えると、愛理は加江須の胸ぐらをつかんで今まで抑えていた感情を声に出してぶつけ始めた。
「お願いだから何か知っているなら教えてよ! 最近黄美は幼馴染であるキミの事を話題に上げるとすごく苦しそうに笑うんだよ!! それにキミと黄美が何やら廊下で話し込んでいたって話も聞いているのよ!!」
「それでどうして俺が原因だって思うんだよ。まったく関係のない事で悩んでいるかもしれないだろ」
「それはないよ」
まるで考え込む事もなく愛理はバッサリと即答で返してきた。
「今のキミの反応…幼馴染が苦しんでいるのにまるで他人の様な物言い、そんな言い方をするのは本当の他人か――その原因となる人物かだよ」
そう言うと愛理は加江須の胸ぐらから手を放すと、彼女との間に何があったのか必死の形相で聞き出そうとする。
「教えてよ、黄美とキミの間に何があったのか……」
愛理はそう言いながら拳を握り震わせていた。
それは自分にはどうにもできない悔しさと、目の前の少年が原因ではないかという怒り、その二つの感情が現れていた。そのぐちゃぐちゃな自身の感情を胸の内に必死に押しとどめていると加江須が口を開いた。
「アイツと俺は確かに幼馴染だったよ。だがその関係をアイツが切った、話はそれで終わりだ」
よほど話していたくないのか、そう言うと加江須は屋上のドアを開いてその場から立ち去ろうとする。
しかし加江須が仁乃の元へ戻ろうとすると、愛理が腕を掴んでそれを止める。
相当力を籠めているのか、女性に捕まれているとはいえ少し腕に痛みが走った。
「離してくれないか? 腕が痛いんだが……」
「離すと思うの? 私はまだ何一つとして納得してないよ」
そう言いながら愛理は加江須の瞳を睨みつける。
彼の黄美を突き放すような物言いに愛理はとても我慢が出来なかった。いや、それ以上に彼の発言に誤りすらあると思った。
「黄美の方からキミとの関係を切った? そんな訳ないでしょ! 彼女はキミの事を強く想ってくれていると言うのに!!」
愛理は必死な声色でそう訴えるが、加江須の方こそ今の愛理の発言の方にこそ大きな誤りがあると思い彼女の言い分を全否定してやる。
「アイツが俺を想ってくれている? どうしてお前にそんな事が言えるんだよ?」
今まで冷たい表情をしていた加江須は、今度は逆に熱くなって厳しい表情へと変わった。
「お前はあくまで黄美とだけ友人をしていた関係だろ。俺とは今初めて会話をしておきながらまるで俺の全てを知っているかのように原因を俺だけにあると決めつける。お前は俺と黄美がどういう関係でどう過ごしていたか本当に全て丸ごと十全に知っているのか?」
「そ、それは…」
「アイツとは確かに昔は仲の良い友達だった。だがある日を境にアイツは俺を貶し、存在を否定し始めついには俺と幼馴染である事すら汚点と罵った!」
――ドンッ…!
怒りをこらえきれずに壁を叩いてしまう加江須。
その行動を見て愛理の身体がビクッと揺れて少し怯えるが、そんな彼女に構わず尚も加江須の怒りが口から零れ続ける。
「今の今まで俺を侮蔑し続けていた女だ。そんな奴と関係を切って何が悪い!!」
「でも、本心じゃない!!」
加江須の怒声に負けぬぐらいの愛理の叫びが廊下に響き渡る。
「あの娘は…黄美は少し天邪鬼な所があるんだよ。キミだって幼馴染していたんなら何となく分かるでしょ。キミに随分と酷い事を言っていた事は彼女の性格から何となく分かるよ。でも…決して本心で言っていた訳じゃ……」
「本心ではない。だから何だよ?」
加江須は愛理のその言葉をまるで馬鹿にするように小さく笑って掃き捨てる。
「本心でないなら人を傷つける事が許されるとでも? なら俺が本心でもなくアイツを逆に傷つけていたとお前が知ったらどうする。お前はそんな俺を笑って許せるのか?」
「そ、それは…でも…」
この時、愛理は自分の考えが甘かった事を思い知らされた。
そう、彼女は加江須の言った通り実際に二人のやりとりをその眼で見たわけではないのだ。天邪鬼な黄美のこと、素直になれずに少し酷い態度を取っていたんだろうと…その程度の認識であった。今彼が述べたような相手の存在すらを否定するほどまでの事を言っているとは思いもしなかったのだ。
「キミが黄美の心無い言葉で傷ついたことは私が謝るよ。でも、お願い…一度あの娘と話し合ってあげて…」
愛理はそう言って加江須の瞳を見つめて懇願する。
それくらいしか…自分のできる事が思いつかなかった…。
「なんで…なんでそこまでアイツの為に…」
黄美の為にこうして必死になる愛理に加江須はそう呟く。
「決まってるよ…大切な…友達なんだ」
愛理はそう言うと顔を下へと向けて俯いてしまう。
そんな彼女を見ていて加江須は苦虫を嚙み潰した様な表情をする。
――今更なんだよ。今更アイツと話し合って俺の何が変わるって言うんだよ……。
どうして自分は今、こんな状況に陥っているのだろうか……。
転生前、彼女は自分の告白を振ったじゃないか。それだけならまだしも、自分の存在すら受け入れずに放り捨てた。だから黄美の事をもう幼馴染として見る事をやめようと思った。
だが彼女との関係を切った後から次々と面倒な展開へと広がり始めた。今までとは打って変わりかつてのあだ名で自分を呼ぶ黄美。そして今も彼女の為にと自分の元へとやって来た愛理。
「どうすればいいんだよ…」
それは愛理に言ったわけではなく、加江須が自分自身に対して送ったメッセージであった。
「あいつは何で今更俺と幼馴染であろうとするんだよ。何で…なんで……」
「……好きだからだよ、キミの事が……」
愛理が彼の疑問に答えるようにそう言った。
だが、その言葉を彼は受け止めることが出来なかった。
「好きだから? はは…違うさ。あいつは俺の事なんてなんとも思っていない筈だ。俺がどうなろうとも――」
そこまで言葉が出て来た時、加江須の脳裏に1つの記憶が蘇って来た。
それは自分が転生する前、車に撥ねられ瀕死の状態で転がっていた時の事だ……。
周りを全く見ずに逃げるように走り続け、そして間抜けにも交通事故に遭った。
体が冷たくなり、周りの音も聴こえなくなり、誰も自分に近寄ろうとすらしなかった。だがそんな自分の手を取ってくれた人物が1人だけ居た。
大粒の涙を流し、もう何も聞こえない自分に必死に呼びかけていた黄美の姿が思い返される。
「あ……」
そこまで思い返すと加江須の口から小さく声が漏れた。
そう、あの時に彼女だけは死にゆく自分を必死に救おうと自分の手を握り続けてくれた。
あの時は怒りに支配されてそんな彼女に対して憤怒の感情だけしかなかったが、今にして思えば彼女の取った行動は今までの冷たい態度とは一致しない。
もしもあの時、涙を流し自分に懸命に言葉を投げかけていた黄美が本当の彼女だとしたら……。
「……俺は」
加江須の頭はドンドンと白くなっていき、目の前の愛理に何を言えばいいのか、そして自分は黄美に何をすればいいのか……分からなかった。
頭がうまく回っていない加江須に愛理はもう一度、今度は頭まで下げて言った。
「久利君…もう一度、もう一度黄美と話してみて。……じゃあ、私はもう行くから…」
そう言うと愛理はまだ何か伝えたいことが残っていそうであったが、しばらくは一人で考える時間をあげた方が良いと思い階段を下りてその場を後にする。
ひとり残された加江須はそのまま壁に背を着け、そのまま力なくズルズルとその場に座り込んでしまった。
「……黄美、俺はお前に一体何って言えばいいんだ? お前は一体俺に何を伝えたいんだ? 分からない……分からないよ」
気が付けば加江須の瞳からはポタポタと透明な雫が床下に向かって落ちており、ソレを拭おうともせず加江須は汚れる床を無言で見つめ続けていた。




