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氷蓮の戦う理由

 

 「いちち~…あんなに強く引っ張る事ないじゃないかよ~…」


 赤くなっている両頬を押さえながら加江須は涙目で仁乃の事を見て文句を言っており、一方彼女は猫のぬいぐるみのにゃん吉を抱っこしながらそっぽを向いている。


 「あんたが私をバカにするからでしょ。自業自得よ。ねえにゃん吉」


 机の上に置いてあるホットミルクを口に含む仁乃。

 加江須も頬を片手で擦りながら、せっかく淹れてもらったミルクを飲む。


 「ん…うまっ」


 ただ牛乳を温めただけだと思っていた加江須であったが、口の中に広がるほのかな甘みが美味であり、ただ牛乳を温めただけではこんな味にはならないだろう。

 もう一口飲んでから作り方を聞く加江須。


 「甘くてうまいなコレ。ホットミルクってただ牛乳を温めるだけで作るんじゃないのか?」


 「それもあるけど私のコレは違うわよ。寒いときや寝る前には良くホットミルクを飲むから色々と試行錯誤して作っているのよ」


 自分の淹れたホットミルクが好評で少し有頂天となり、ふふんと胸を張って得意げに笑みを浮かべる仁乃。その際、彼女の大きなバストが揺れるのを見て加江須が手元のミルクを見て呟く。


 「よく飲んでいるねぇ…。だからそんなに……」


 「ん、何がそんなに、なの? 何の話してるのよ?」


 「い、いや、何でもない!」


 慌てながらミルクを口に流し込んで誤魔化そうとする加江須。その際、まだ熱いミルクが勢いよく口の中に流れ込んでしまいむせてしまう。


 「ぐっ、ゴホッゴホッ…」


 「ちょっと大丈夫。何をそんなに慌ててるのよ」


 机の上のティッシュを取り、それで口のミルクを拭ってあげようとする仁乃。その際に机の対面にいる彼女は身を乗り出し、豊かに実っているモノが揺れ動く。

 それを見て思わず目をそらしてしまうと、ここで仁乃もようやく先程の加江須の発言の意味が分かった。

 

 「……別に牛乳飲んでいるから大きな訳じゃないわよ。……変態」


 「べ、別にそんな事言ってないだろ」


 「じゃあ今、あんたは私のどこ見てミルクこばしたのよ?」


 それを言われると加江須は視線をそらして黙り込んでしまう。よく見るとうっすら頬も赤くなっており、その反応が全てを物語っていた。


 「……スケベ」


 胸を隠すようにしながら中々突き刺さる一言を放つ仁乃。

 しかしこの時、恥ずかしさと同時に仁乃は少しだけ喜びも感じていた。


 「(こ、この反応……やっぱりこいつも男だから大きい方が良いのかな? だ、だとしたら少し私は有利になるかも…)」


 今まで自分の胸の大きさに嬉しさを感じた事なんて仁乃には無かった。大きい事で色々と不便に思う事もあれば、同性からの妬みの籠った視線を向けられる事もしばしば。そして異性からは下劣な種類の視線を感じることだってあった。勿論、小さい方が良いなど言えば余計に同性相手に嫉妬されかねないのでその大きな胸の内に隠して黙っていたが……。


 チラリと加江須の方に視線を向けると、彼は気まずさから未だに視線を横に逸らしている。


 「(せっかくこいつが家に居るんだからもっと何か話さないと…。このまま黙り込み続けているなんて勿体ない!)」


 そう決心して仁乃は加江須に声を掛けようとするが、それと同時に加江須のスマホに電話が掛かってきた。


 「あ、悪い電話だ」


 自分のポケットから着信音を鳴らしているスマホを取り出すと、ボタンを押して通話を始める加江須を見てタイミングの悪さに内心で軽く嘆く仁乃。


 「もしもし…氷蓮か?」


 電話をかけてきた相手はつい先程に番号交換をした氷蓮であった。

 加江須の口から氷蓮の名前が出てきて、口には出さずとも余計な邪魔をして…と電話の向こう側に居るであろう氷蓮に不満を募らせる。


 そんな仁乃の心情など知らずに加江須は氷蓮と通話を続ける。


 「どうした氷蓮、わざわざ電話してまたゲダツでも出たのか?」


 『あー…そこまで外れてねぇかな。ちょっと話したいことがあってな。それはそうと本題の前に個人的にお前に聞きたい事があるんだけど』


 「聞きたい事? 一体なんだよ?」


 一体何の事なのかと思いながらも氷蓮の疑問を尋ねる加江須。


 『お前と仁乃ってさ、付き合ってからどれくらい経つんだ?』


 「ぶっ!? 何言ってるんだお前は! 俺と仁乃は付き合っている訳じゃ…あっ……」


 思わず声を大にして答えると、すぐ近くに居た仁乃の存在を思い出し視線をゆっくりとそちらへと傾ける。

 加江須の視線の先では、突然の彼の言動に仁乃が恥ずかしそうにしながら俯いていた。


 「(あ、あいつ、いきなり何のつもりだよ!?)」


 とても彼女の事を直視していられず電話の方に集中する加江須であったが、それは仁乃の方も同じ心境であった。

 電話の内容は仁乃の聴覚にもちゃんと届いており、仁乃にも氷蓮の言葉がすべて筒抜けであるのだ。


 「(ひょ、氷蓮ったら…で、でもアイツがそう言うってことは客観的に見られると私と加江須はそ、そういう関係に見えているという事なのかしら…)」


 そう解釈をすると仁乃の頭からは煙が立ち上り、ますます加江須の顔を見ることが出来ず黙って俯き続ける事しか出来なかった。しかし顔は上げてはいないが電話の内容だけは聞き逃すまいと耳の方はちゃっかり澄ましていた。


 「氷蓮、まず誤解しているようだが俺と仁乃はそう言う関係じゃない。同じ学校の仲間だ」


 『バカ、俺が言っているのは恋仲かどうかじゃなくお前とあのツンデレ娘が知り合ってからどれくらい経つのかって話だ』


 「何だ…紛らわしい」


 どうやら自分の早とちりであったようだが、氷蓮の方も少しは質問の仕方を考えてほしいものだ。


 「仁乃と出会ったのは10日も経ってないよ。それがどうかしたのか?」


 『え…マジか……』


 「?」


 氷蓮が何を訊きたいのか分からず首を傾げる加江須。

 会話を盗み聞きしている仁乃の方も氷蓮の質問の意図が分からず内心では不思議がっていた。


 「どうしたんだ氷蓮? 俺と仁乃がどうかしたのか?」


 『いや、別に…(まだ出会ってほとんど経っていないのに仁乃のヤツはコイツに惚れてんのか? この短い期間にそれほど大きな出来事があったのか?)』


 電話の向こうでそう考えていた氷蓮であったが、そういえば以前河原で加江須が仁乃に人工呼吸をしていたシーンを思い出した。


 『(ああアレで…いや、それよりも前に何かトキメク事でもあったってのか? …まあ、今はこの事はいいだろう)』


 とりあえずは加江須と仁乃の関係がどういうものか気になり質問したが、彼女が電話をした本題は別にある。

 

 『まあその事はもういい。それよりお前に話しておいた方が良い情報があってよ』


 少し寄り道をしてしまい、すぐに本題を話し始める氷蓮。


 『さっきも言ったが俺の考えではゲダツは縄張りを持つ個体も居る。それでよ、実はあと1体潜んでいる場所に目星が付いている場所を知っていてよ…』


 「なっ! どうして分かれる前に言わなかったんだよ…」


 『しょうがねぇだろ。公園でその場所を言っていたらそこにお前は向かっていたんじゃないのか。そうなると場所案内のため俺まで付き合わされかねねぇからな。お前と違って連戦なんてごめんだ』


 「…だがゲダツが居ると分かっていながら放っておくのは……」


 もしも野放しにしているゲダツに誰かが襲われると考えると、居場所が分かっているなら今すぐ向かうべきではないかと考える加江須。

 自分の住んでいる町の心配をして黙り込む加江須に対し、冷静な口調で氷蓮が話しかける。


 『なあ加江須…一応言っておくが俺の目的は願いを叶える事だ。ゲダツを倒すと言う共通の目的はあってもお前の様にそれが誰かの為ってわけじゃねぇ…』


 その言葉を聞いて加江須は黙り込む。

 確かに彼女はチームを組む際、自分は正義の為に動いているわけではないと公言している。その事を理解した上で手を結んだ以上、自分が無理強いをさせる訳にもいかないだろう。


 『それに目星が付いているだけだ。必ずソコに以前遭遇した個体が居るとはかぎらねぇよ』


 「ああ、分かったよ…。それで電話の理由はそのゲダツを後日倒しに行こうって事か」


 『そーゆーこった。この電話は後で仁乃の方にも掛けるつもりだ』


 氷蓮の言葉を聞き、仁乃ならここに一緒に居ると言おうとする加江須だが、それよりも先に氷蓮の方が口を開き始める。しかしその口調は今までの加江須との会話の時とは違いどこかおちゃらけた風に聴こえる。


 『あのじゃじゃ馬ツンデレ女の事だからこの話をするとお前と違ってギヤ―ギャーうるせぇんだろうなぁ。たくっ…直接話さなくても話題に上げるだけで頭が痛くなってくんぜ』


 「お、おい氷蓮」


 『出会った当初から噛み付いて来てよぉ。たくっ…あいつの理性はあの無駄にデカい胸の方に吸収されたんじゃねぇのか? オメーもそう思わねぇか加江須』


 電話の向こうで笑いながらそう話している氷蓮。

 加江須は乾いた笑いを返しているが、ソレは電話の内容が面白かったからではない。自分のすぐそばにいる仁乃が恐ろしかったからだ。


 ――ギリギリギリギリギリ……。


 仁乃は相変わらず顔を俯かせているが、先程までとは違い恥ずかしくて顔を下げているわけではない。加江須の耳にも聴こえるほどに強く歯ぎしりをしている仁乃は顔を俯かせ、そして無言のまま手を差し出してきた。


 「……代わって」


 短く、そして低い声でそう言って電話を渡すように意思表示する仁乃。


 「仁、仁乃、少し落ち着けっ……あ、いえ…どうぞ……」


 スマホを後ろに隠して怒りを収めようとする加江須であったが、仁乃の鋭い威圧的な眼で睨みつけられ完全に委縮してしまう。下手になだめようとすれば尚更怒らせてしまうと思い、おとなしくスマホを受け渡した加江須。


 スマホを受け取ると未だに氷蓮の神経を逆なでしている様な笑い声が聴こえてくる。


 『なあ加江須、聞いてんのか?』


 突然相槌がうたれなくなり不審に思う氷蓮。しかし今スマホを持っている相手は加江須ではなく仁乃であり、そもそも仁乃が傍にいる事を知らない氷蓮はさらに彼女を馬鹿にする様な発言をする。本人が聞いているとも知らず……。


 『お前からもあのおっぱい魔人に言っておいてくれよ。デカいのは胸だけにして態度の方はしおらしくした方がいいって――』


 「誰がおっぱい魔人よおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」


 『~~~~~~ッ!?』


 大きく息を吸い込み、そのまま加減抜きで氷蓮の鼓膜を破くつもりで大声で叫んだ仁乃。電話の向こうでは鼓膜に大きなダメージを負った氷蓮の叫び声が聴こえて来た。


 「やれやれ……」


 前もって耳に指を入れて栓をしていた加江須。

 耳を閉じていた状態でもまだ少し耳が痛み、スマホ越しでそんな怒声を叩きつけられた氷蓮の鼓膜を心配しつつ、鬼の様な形相で電話に向かって叫ぶ仁乃から少し距離を置く。


 今の仁乃の顔は今まで一番恐ろしく、あまり彼女の事を怒らせないようにするべきだと加江須はひっそり心に誓うのであった。




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