加江須の怒りといつもの二人
加江須が学園を出た後、彼は仁乃同様のまっすぐに家には帰らず市内を見て回っていた。それにはそこまで深い考えが合った訳ではないのだが、この町ですでに2度もゲダツと遭遇しているので少し不安を感じて見回りに出る事にしたのだ。
超人化した身体能力を駆使して建物の屋根の上などを転々と飛び移りくまなくパトロールを繰り返していた加江須、しかし何も成果は得られずいい加減に帰ろうとした矢先であった。
――何だ…この嫌な気配は……。
自分の立っている場所から南東方向、その方角から嫌な気配を強く感じ取れたのだ。
その正体が何なのかは考えるまでもなかった。過去に2度、今感じている物と同じ気配を自分は肌で感じ取っている。
「…行くか」
足に力を籠めて屋根から屋根を高速で飛び移り続け、禍々しい気配の元まで急行する加江須。
移動から数分後、大きな河原の上空で空を飛んでいるゲダツを肉眼で視認できる距離まで近づいた加江須であるが、そこに居たのはゲダツだけではなかった。
「あれは仁乃…あいつも来ていたのか」
どうやら既に戦闘が行われていたようで仁乃が先に対処に当たっていたようだ。しかし冷静に観察していた加江須の顔色が急変する。
「なっ、不味い!!」
近づきながら加勢しようとしていた加江須であったのだが、空中で仁乃が糸で全身を拘束されてしまったのだ。しかもそのまま彼女は川へと落とされてしまう。
「ッ!!!」
その光景を見て加江須は両手から炎を噴出し、一気にゲダツの元まで飛んでいく。
加江須が近づいている事に気づいていないゲダツは川の中まで仁乃を追おうとするが、それよりも先に加江須の蹴りが入った。
「なにしてやがるんだテメェェェェェッ!!!」
空中で1回転して放たれた回し蹴りがゲダツの背中にモロに入り、そのまま地面へと一直線に叩き落される。
地面に落ちて行ったゲダツになど目もくれず、炎を噴出して最速ターボでそのまま川の中へと潜っていく加江須。
「(どこだ仁乃! どこに……)」
水中の中で血眼になって仁乃の姿を探す加江須。
幸いなことにすぐに彼女を見つけ出すことができ、急いで抱きかかえると水面から飛び出し地面へと着地する。
「しっかりしろ仁乃! おいってば!」
声を掛けて体を揺さぶり、必死に彼女の名を呼ぶ加江須。しかし仁乃は目を開けてくれず加江須の中に得体のしれない恐怖が湧いてくる。それはこのまま腕の中の彼女がもう目覚めてくれないのではないかと言う恐怖……。
しかしそんな彼を挑発するかのよう、背後から感じる腹立たしい視線。
「……てめぇ」
振り返ればゲダツがこちらを見ていた。
仁乃をこうした相手を見て加江須の中でマグマの様な怒りが噴火し、彼の我慢は一瞬で限界点を超えた。
「消えろよてめぇ」
短くそう言って大地を怒り任せに踏みつけ、震脚が発生する。
揺れた大地にバランスを崩したゲダツ、体制を整えた頃にはすでに加江須は目の前に居た。
「消えろぉぉぉぉぉぉッ!!!」
加江須は真っ赤な炎を宿した拳をゲダツの体に打ち込んだ。
――ボオォォォォンッ……
加江須の拳は相手の体を貫くどころか、腕に纏わせた炎がゲダツの全身の至る所から噴き出てその肉体は粉々に爆散する。
仁乃の攻撃を何度か受けても倒れなかったゲダツを一瞬で散り散りに吹き飛ばした彼はすぐに仁乃の元まで駆け戻った。
「仁乃…こ、こういう時はどうすれば…?」
とにかく今の彼女は呼吸をしていない。
心臓マッサージを必死で繰り返して何とか蘇生させようと必死になる加江須。しかし相変わらず目覚めない仁乃に加江須は必死に彼女の名前を呼び続ける。
「しっかりしろよ仁乃! いつもみたいにムキになって何か言い返してくれよ!!」
心臓マッサージを幾度か繰り返した後、彼は彼女に人工呼吸も施し始める。
人工呼吸をしようとした一瞬、少し恥ずかしさと申し訳なさの2つの感情が芽生えるが、彼女の命を救うために躊躇っている場合でもなかった。
「ふーっ…ふっー…」
心臓マッサージを繰り返しながら何度も口を合わせて呼吸を送る加江須。
すると今まで反応の無かった仁乃はビクッと痙攣をし、そして咳をしながら水を吐き出した。
「ごほっ…えほっ…」
「に、仁乃?」
「はあ…はあ…加江須?」
今まで閉ざされていた瞳が開かれ、力のない目で自分を見つめて名前を呼んでくれた仁乃。
弱弱しくも彼女が助かった事を理解した加江須は倒れている彼女を思いっきり抱きしめて安堵の声を漏らした。
「よかった……馬鹿野郎が、心配かけるなよ」
「か…えす…」
抱きしめられた仁乃は同じように自分も震える彼の背に手を回して抱きしめ返す。温かな彼のぬくもりを感じ取れると彼女は安心感から涙が出て来た。
そのまま加江須に抱き着きながら泣きじゃくる仁乃。
「かえ…す…。うう…怖かった…こわかったよ」
「ああ、でももう大丈夫だ。あのカマキリ擬きももういないぜ」
「ぐす…ありがとう。た…助けてくれて…」
嗚咽交じりに仁乃は加江須に礼を述べると加江須はそんな彼女を落ち着かせようと優しく頭を撫で続ける。
しばらくの間、仁乃のすすり泣く声が河原に響き続けていた。
◆◆◆
ようやく落ち着きを取り戻した仁乃は目元を拭い、改めて加江須に礼を言った。
「ありがとう加江須…本当に危ないところだったわ…」
「別に礼なんていいよ。お前が無事で本当に良かった」
加江須が笑いながら仁乃へとそう言うと、彼女は顔を赤らめて俯いてしまう。
どこか様子が不自然に見えた加江須が仁乃に詰め寄り彼女の体調を確かめ始める。
「おい本当に大丈夫なのかお前。もしかしてまだどこか不調な所があるんじゃ…」
「な、何でもないから少し離れなさいよ。か、顔近づけすぎでしょ…」
加江須が詰め寄ってきて彼の顔が近くまで迫り緊張が高まる仁乃。
ふと近づいてきた彼の顔、その口元に視線を移す仁乃。そう言えば意識が戻る直前、自分の唇に柔らかな感触を感じた気がする……。
そこまで考えが行くと仁乃の頭は沸騰しそうになり、ますます加江須の顔をまともに見れなくなる。
「ね、ねえ加江須。少し訊きたいんだけど……」
顔を背けながら自分の予想が正しいのかどうか確認したく加江須に質問をする仁乃。
「あ、あんたさ…もしかして…その……」
モジモジとしながらその先の言葉が喉につっかえてしまい言い切れない仁乃。その歯切れの悪さを不思議そうに見つめてくる加江須の視線がより一層彼女の緊張感を高めてくる。
緊張のあまりセリフが途絶えてしまい、そのまま数十秒の間、口をパクパクと餌を求める鯉の様に開け続ける仁乃。
本当にどうしたのか疑問を投げかける加江須。
「おい本当にどうしたお前? やっぱり体のどこかが……」
「違うから! そ、その…あんたさ、水の中から私を引き上げてくれたでしょ」
「ああ、それがどうした?」
「そ、その時に私は意識を失っていたわけだけどさ…その…私を目覚めさせるために何かした?」
仁乃はそう言いながら背け続けていた視線をチラっと加江須の方へと向ける。
意識が不明であった彼女を起こすために自分がした事と言えば、まずは心臓マッサージをし、その後は口を合わせて……。
そこまで考えが行くと加江須の顔も仁乃と同様に赤くなり、熱を持ち始める。
「いや…あれは仕方がなかったんだよ。お前を助けるためにした事だ」
「助けるためにした事? そ、それって具体的に何?」
「そ、それは…それはだな…」
今度は逆に加江須が言い淀んでしまい黙り込む。
そのまま無言を貫こうと思った加江須であるが、救助とはいえ女性の唇を奪っておいて誤魔化しなどしてはいけないと思い、意を決っして何をしたのかを口にする加江須。
「じ、人口呼吸をした。その…悪い…」
そう言って気まずさのあまりに顔を背けてしまう加江須。
この後、仁乃にまた変態扱いでもされるのかと思っていたが予想とは違う反応を彼女は返してきた。
「そ、そうなんだ。ふ~ん…そっか……」
特に何か不満をぶつける訳でもなくただ静かに納得をする仁乃。逆にその反応が加江須の不安を煽って来た。もしかして怒りのあまり言葉を失っているのではないかと……。
「ほ、本当に悪かった。でもお前を助けるために……」
そこまで言うと仁乃が加江須の唇を指で触り、彼の口を閉ざす。
「……ヘンタイ」
そう言って自分を罵る仁乃であるが、彼女の口元は少し笑っておりそこに怒りは微塵も宿ってはいなかった。
予想外の反応に戸惑ってしまいどう返事をすれば分からなかった加江須。しばらく互いに向かい合って見つめているとここで仁乃の服装に目が行ってしまった。
彼女は水中から上がってきたために制服が水のせいで透け、下着が薄く見えてしまっているのだ。
その事に今更気づいた加江須が赤面してしまうと、急に何を赤くなっているのかと仁乃が彼の視線の先を辿る。
「………はっ!?」
ここで自分の下着が透けている事に気づいた仁乃。
涙目になりながらバッと加江須に向き直ると同時に彼の頬を強く引っ張り、河原に響くほどの怒号を鳴らした。
「この――変態めぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「いつつつつつつ!? いてぇよ仁乃!!」
「うるさいうるさいうるさーい!!! どさくさに紛れて何を見ているのよスケベめ!! 人工呼吸は救助のためとはいえ、今透けているブラを見るのは違うでしょ!!!」
「そんな事言ってもお前が水の中に落ちたからそうなったんだろうが!? 文句ならゲダツに言えよ!!」
そう言って何とか怒りを収めようとする加江須であるが、そんな彼の言い分などに一切耳を貸さずに仁乃の怒りは爆発し続けた。
「乙女の下着を見たのよ。罰として今度イチゴケーキにパフェ、それからイチゴ大福10個奢りなさいよ!!」
「はあっ!? 何でそうなる…いてててててて!!」
「口答えすんなぁ~! このこのぉ~!!」
先程まで流れていた気まずい空気は仁乃の叫びによって完全に消え、そこにはいつも通りの2人が仲良く言い争っていた。
しかし仁乃は口にこそ出しはしなかったが、心の内では加江須にこう言っていた。
――『助けに来てくれてありがとう。これからもあんたが傍にいてくれると思うと嬉しい……』




