ディザイア過去編 獣から人間へ…
この世界に存在する異形ゲダツ。奴らは様々な人間の持つ悪感情が集合した存在である。
奴等は生まれた瞬間から人を喰う事に対して疑念など抱かない。しかしそれは野生の動物達とは少し異なる。何故ならば野生の獣が他者を喰うのには理由がある。ライオンや虎が他の動物を襲うのは空腹を満たす為や縄張りを守る為などだ。意味もなく殺戮をしてそのまま死体を放置する事は基本ない。だがゲダツは人を喰らうのは決して生きていく為ではない。仮に人を喰らわなかったとしてもゲダツ達は生きていく事も出来るのだ。では何故連中は人を捕食する事を止めないのか?
そこに理由などはない。何故ならばそもそも人を襲う理由だってゲダツには存在しないのだから。
人の負の感情から生まれたが故か奴等は人をただ本能に従って襲い続けている。そこには敵意もなければ悪意すらもない。だからこそゲダツは質が悪い存在なのだ。自由気ままに生きていくうえで必要のない人間の捕食を行い続けるのだから。もしも一番近い表現があるのであれば〝遊ぶため〟とでも言おうか。
そう考えれば獣の様な外見をしているゲダツもその中身はトチ狂っている人間に似通っているのかもしれない。まあ元々は人間達の醜悪な感情から生まれているのだから納得できる理由なのかもしれないが。
だが一番に厄介な点はゲダツによって人が殺された後に起こる異常な現象であった。
ゲダツに襲われた者はそれまでこの世界で生きて来た足跡を綺麗さっぱり消し去られてしまうのだ。
ゲダツにその命を奪われた者はその瞬間にその歴史までもが喰い殺されてしまうのだ。その人物の住んでいた町、住んでいた学校、そして同じ屋根の下で暮らしていた身内ですらもその人間の事など全て忘れ去ってしまう。それが例え……血の繋がった我が子であろうともだ……。
しかも不味いのはただその人物が忘れられてしまうだけではない。その結果二次被害が発生してしまうのだ。
例えばの話をしよう。ある町で暮らしていたひとりの人物がゲダツに襲われてその命を奪われ、結果その町の誰からも最初からそんな人間は居なかったものとされる。その犠牲者がまだ少ないのであればそこまで問題は起きないだろう。だがその被害者がひとり、まらひとりと次から次へと急速にゲダツに襲われ続けその都度襲われた人間の歴史が世界から消えてしまえばどうなるか? 記憶の綻びは徐々に大きくなり、ついには辻褄がまるで合わなくなるかもしれなくなる。そうなると最終的には個人の歴史が消えるだけでは済まなくなるのだ。その人物たちが暮らしている町だって次第に違和感が増えて行き、そして混乱が招き寄せられ、最後には町そのものが消えるまでに事態は取り返しの付かない展開にまで行き着く事になる。しかも厄介な事にゲダツの存在は一般人には認識する事が不可能なのだ。
姿が見えない異形、しかもその異形に襲われた者は忘れ去られてしまい世界はこのとてつもない脅威に対して対抗はおろか気付きすらしない。
このままでは冗談でも言いすぎでもなく世界は滅びの一途を辿る事となってしまうだろう。
だがそんな世界の窮地を人類に救う事は出来ない。だからこそ、その世界を天高くから見守っている神々が手を打つ事にしたのだ。
神界と呼ばれる世界からこの地上世界を見守る神々は直接手を出す事は出来ない。何か脅威が襲い掛かって来るたびに神が人類の為にと力を奮ってしまえば人類は堕落して頑張ると言う事を放棄し、ドンドンと衰退していく。だから神々の取った解決方法はある意味一番適切とも言えた。
――『死んだ人間から神の力の一端を与えてソイツに解決させよう』
神々の誰かがそう言った。その人物が誰だったのかは誰も憶えてはいない。しかしこの案は他の神々も大いに賛同した。元々ゲダツは人間の感情が招いたいわば人災だ。神が直接手出しできないなら人間に戦わせる力を与えて対処させるべきだと思い、そして〝転生戦士〟と言われる存在が生まれたのだ。
人間を理由もなく目的もなく襲い続けるゲダツ、そんな身勝手な化け物から世界を守るために戦う転生戦士、この構図はもう長い間続いていた。
そして今日もある町で1人の転生戦士とゲダツが互いの命を削り合って戦っていた。
◆◆◆
「コイツいい加減に倒れろよ!!」
「グルルルルルッ!!」
ある町の中で1人の転生戦士が必死にゲダツと戦っていた。神々から与えられた神力を用いてゲダツに必死に攻撃を繰り出し続ける転生戦士であるが、相手のゲダツは動きが中々に速く攻撃を直撃させられずにいた。しかし何箇所かは負傷しており血が滴っている。だが全身の負傷の具合から考えれば転生戦士である青年の方が傷の数は多く不利なのは彼の方であった。
そして遂にこの二人の勝負にも決着がついた。
「グガアアアアアアッ!!」
「うぎゃああああ!?」
ゲダツは一気にダメージ覚悟で突っ込んできて青年の肩へと喰らい付いたのだ。
鋭利な牙が深々と体の中へと刺し込まれて悲鳴を上げる青年。凄まじい痛みだけでなくまるで炙った鉄の棒を押し付けられるかのような灼熱感を伴う激痛に喉を震わせてしまう。
「離せ、はなせぇぇぇぇぇ!!!」
自分の肩に食らい付いているゲダツの頭部を何度も殴って振りほどこうとする青年であるが、まるですっぽんの様に口を決して肩の肉から離そうとしないゲダツ。
それどころかギチギチと肉が裂ける音と共により深く牙は突き刺さり、更に両足の爪までもが横腹を抉って突き刺さり青年は更に悲鳴を大きくする。
「いだああぁあああああぁあぁぁ!?」
身体の数か所から感じるこの世の物とは思えない激痛は喉を枯らすほどに叫び声を延々と放ち続ける。万力の様に喰い込む牙に涙まで零れ落ちて行く青年。
そして遂にゲダツは喰らい付いていた肉を嚙みちぎってしまった。
「が…ああ…?」
肩から大部分の肉を食いちぎられた彼は今まで激痛に喚いていたが、ゲダツが自分の肉ごと離れたと同時に呆然とした顔となり、そのままグルンと白目をむく。しかも離れる際に腹部に抉り込んでいた両足の爪も肉を引き裂いてしまい大量の鮮血が噴水の様に舞った。
「ちく…しょう……」
その言葉と共に青年の体温は一気に冷たくなり体もピクリとも動かなくなった。しかし命尽きても未だに抜け殻となった器からは赤い果汁が地面へと広がって行き、その地面の上で広がる真っ赤な液体をゲダツは舐める。
獣同然の思考しかなくても鉄の味がとても甘美に感じる事は出来、しばし血を舐めた後はその血を零し続けている青年の体を喰らった。
◆◆◆
物言わぬ肉塊となった青年の体を貪るゲダツ。
――『これは…錆びた鉄の臭いかしら? でも不思議と落ち着くわね』
鼻につく鉄のむせ返る臭いがとても心地よく感じられる。
――『それに口の中の人間のお肉…これもとても美味しいわぁ』
口の中で細かく噛み千切った肉を咀嚼する。
じわっとした血が噛むほどに沁み込んでとても美味だ。
――『あら? 私…さっきから随分と物事を考えれるようになっているわね』
ここで自分が何やら纏まった思考が出来ている事に気付くゲダツ。
今までは頭の中では漠然とした考えしか浮かばなかった筈だが今は頭の中で一つ一つ考えを整理した上で処理できている。
そして次に気付くのは自分の肉体が何やら変化している事であった。
「……これって人間の体よね?」
今までの自分は漆黒の体毛で覆われている大きな体格の獣姿であった。だがふと自分の全身を見てみるとあれだけ数えきれない体毛は全て抜け落ち、しかも身体のサイズも縮んでいる。しかもただ縮んでいるだけではないのだ。今まで四足であった自分は今は二足の足で立っている。そんな今の自分の風体は完全に人間の女性そのものだ。
「……私って性別はメスだったのね」
今まで唸っていただみ声とは異なり美しく落ち着きのある女性特有の美声が口から放たれる。
まだ獣の頃は自分が雄か雌かすらも分かっていなかったし興味も無かった。そもそも生殖能力だってないのでどちらでも構わないとすら考えていた。
「それにしても私はどうしてこんな姿に変身しているのかしら?」
自分の肉体に起きた変化の理由を頭に手を当てて考えるゲダツであった女性。もしも思い当たる節があるとすればあの転生戦士の青年を喰った事が原因だろうか? 今にして思えば今まで人を喰い続けて行くうちに思考力が少しずつ変化して行っていたような気がする。そして今回は神力と言う大きな力を持った人間を喰らって糧にした。その結果、神力と言う膨大なエネルギーが自分の肉体に変化をもたらしたと言うのだろうか?
「……考えても分からないわよね」
そう言いなが彼女はまだ食べ残して地面の上で転がっていた右腕を拾い、ソレを指の方から齧って行き胃袋の中へと治めて行く。その姿は獣の時よりも遥かにおぞましく狂気的であった。
「がりっ…がりっ…ごくん…ふう」
骨を噛み砕き全てを呑み込むと口元に大量に付着している血を腕で拭う。
全ての肉を喰い終わると自分の姿を改めて確認する。鏡などの反射物は周辺に無いので顔を確認する事は出来ないが、瞳に映る自分の肉体は中々に男を誘惑しそうな扇情的なものであった。
「でも困ったわね。この場から移動したいけどさすがに全裸で行動するのは不味いわ」
元は体毛で覆われていたとは言え全裸だったからだろう。この人間の女の姿となり体毛も全て抜け落ち完全な裸だ。正直羞恥心はあまりないがこのまま人の多い場所へ出れば問題になるのではないかと思い途方に暮れる。
その中で一瞬だけ自分はゲダツだから姿は見られないのでは、と言う考えも浮かんだが今の彼女は何故だか裸で過ごす事が落ち着かなかった。
そんな人間的な思考と共にまずは衣服を確保する事から始める事にするのであった。




