番外編 愛野黄美の苦悩 2
幼馴染の死がフラッシュバックして一通り苦しんだ後、黄美はまるで死人の様な虚ろな顔で家の外をフラフラと歩いていた。特に行く当ても目的もあるわけでもない。自宅で入浴を終えた後はまた自室に引きこもろうとしたのだが、部屋の中で体育座りをするとまた冷たくなっていく幼馴染の事を思い出してしまいまた発狂しかけてしまった。
気分転換でもしようと思い何も考えず外に出てフラフラと幽鬼を連想させるかのように歩き続ける黄美。
「………」
ぼーっと視線を俯かせて地面を見つめながら歩き続けている黄美。前をほとんど見ておらず、前方確認を怠っている周囲を見ていない歩き方は余りにも危険であり、そのまま車が走行している道路をふらふら~っと横切ろうとする。
信号は赤になっているにも関わらずそのまま道路を横断しようとする黄美。
「危ねぇ!!」
不意に背後から女性の声と共にぐいっと腕を引かれる。引き寄せられる力に一切抗う事もなく背後から地面に倒れ込む黄美。
地面に尻もちをついて倒れる黄美に対して通り過ぎて行く車の開かれた窓から『バカヤローッ!』と言う男性の野太い怒声が聴こえた気がする。
黄美の耳元に届いた男性の声が鼓膜内で反響していると、彼女の胸ぐらが何者かに掴まれて彼女の体が地面から無理やり起き上がった。
「何やってんだてめぇ! 危ねーだろうがよ!!」
黒髪のポニーテイルの少女が自分の胸ぐらを掴みながら派手に怒鳴り散らす。
見た感じでは自分と同じぐらいの年齢、整った顔立ちに死にそうな自分とは違い瞳に光を宿している女の子が立っていた。
「たくっ、信号赤なのにふらふらと歩きやがって。偶然傍に俺がいたからよかったけどよぉ…」
「……」
「おい、何か言えよ。なにシカトしてんだよ!」
注意を入れているにも関わらずまるで反応を示さない黄美に苛立ちを感じて胸元を引っ張る少女。しかし相も変わらず黄美はぼーっとしたまま虚ろな瞳をしたまま黙っている。
「ちっ…薄気味悪ぃヤツ」
そう言うと少女は黄美の胸ぐらから手を離して彼女の事を解放してやった。
手を離された黄美は踏み止まる事もなくそのまま背後に背中から倒れ込んだ。
「……ちっ」
地面に倒れ込んで仰向けのまま呆けている黄美に舌打ちをひとつすると少女はそのままその場から立ち去って行った。
そのまま地面に背を着けたまま黄美の頭の中ではこんな事を考えていた。
――『あのまま車にはねられていたら……カエちゃんと同じ所に行けたのかな……』
あろうことか彼女は助かった事を喜ぶのではなく、むしろあのまま車にはねられていれば自分も死んだ幼馴染の元に行けたのではないかと考えていたのだ。
黄美にとって幼馴染の加江須を失った事は生きる気力を削ぐには十分すぎた。
本当は大好きで大好きで仕方が無い幼馴染だった。しかし天邪鬼な性格が災いして思ってもいない罵詈雑言ばかりを浴びせ続けた。挙句の果てには待ち望んでいた彼からの告白を踏みにじり自分から台無しにして、そして幼馴染を死なせてしまった。
好きな人を失った事、そして死に追いやった事、その二つの重責が黄美の精神を日に日に蝕んでいった。まるで毒のように少しずつ心身を追い詰めて行ったのだ。
そして数時間前の風呂場での幻覚、その結果精神が限界を迎え始めたこの瞬間、黄美はついには今の危うかった人身事故で自分が死んだらよいのではないかとすら考えるようになってしまっていた。
「…そうよ。カエちゃんを死に追いやっておきながらどうして私は今でも生きているのかしら?」
冷静に考えれば自分が今ものうのうと生きていいはずが無い。大好きな幼馴染を死に追いやっておいて、今までの事に対する謝罪すらもせずに彼との関わりを終わらせておいて何故自分は今も生きているのだろ。
「そうだよね。死ななきゃ…私だって死ななきゃ……」
そう言うと彼女は立ち上がって道路を見渡す。
しかし死のうと決心する時に限って何故だが車は走って来てくれない。左右を見ても全然車がこの道路を走り去ってこようとはしない。まるで自分の死を認めさせてくれない様に。
「……別に死ぬ方法は交通事故以外にもあるよね」
そう呟くと黄美はその場からふらふらと歩き出し始めた。
しばし歩き続けていた彼女はある場所で足を止めた。
彼女が足を止めて視線を向けるその先は広々とした川が続いていた。この川は中々に深くまだ小さな頃にはよく親にも溺れるからあまり近づいちゃダメだと教わった事もある。
「…カエちゃん、私も今から……」
そう言うと彼女はそのまま目をつぶって眼下の川の中目掛けて勢いよく飛び降りる。彼女は微塵の躊躇もなく自らの命を投げ捨てたのだ。
――バシャァアンッ……。
激しい着水音と共に川の中へとドンドンと沈んでいく黄美。
「(苦しいよぉ…ごほっ、でもカエちゃんは今の私よりも痛くて苦しい思いをして死んだんだ。だから私も……)」
最初は窒息の苦しみと恐怖を感じながら水中で手足を動かしながら沈んでいた黄美であったが、次第に苦しみがなくなり意識も薄れ始めて来た。
「(ああ…意識が…無くなって…きた…)」
しかし不安は微塵も感じはしなかった。むしろこれで愛しい幼馴染と同じ元まで行けると思うと幸福すら感じた。
そして数秒後、黄美の意識は完全に闇の中へと沈んでいった。
◆◆◆
「………え?」
薄れて消えて行った黄美の意識は再覚醒し、閉じていた瞼が開かれて視界が光に包まれる。
「なに? どうなったの…?」
仰向けに倒れていた黄美は上半身を起こして周囲を確認すると息をのんだ。
「ど、どこなのよ此処は…?」
意識を取り戻した黄美が目覚めた場所は摩訶不思議な空間であった。
自分の周囲360度全てが真っ白な何もない空間であり上下左右に何もない空間が果てなく続いている。
本当に何も無い、人も物も何も存在しないのだ……。
「……え?」
ゆっくりと体を起こして改めて周囲を確認して見るがやはり理解不能な状況であった。
意識が戻る直前まで自分は水中の中に居たはずだ。それがどうして次に目が覚めるとこんな出口も無い謎の場所に横たわっていたのだろうか?
混乱に包まれて戸惑っていると背後から女性の声が聴こえて来た。
「あれあれあれ、思ったよりリアクション取らないっすね」
「!?」
背中越しから聴こえて来たどかこ明るい謎の声に慌てて振り向く黄美。
そこにはとても煌びやかな艶のある黒い長髪の女性が立っていた。
「あ、やっと反応してくれたっスね。このままシカトされ続けたらどうしようと思ったっスよ」
そう言いながら謎の女性は朗らかな笑みと共にゆっくりと距離を詰めて来る。
未だにこの場所がどこかもわかっていらず、その上に得体の知れない女性の存在に言い知れぬ恐怖を感じて女性が近づく分だけ黄美も背後に後ずさった。
しかし黄美が一度まばたきをした瞬間、目の前の女性は背後に回り込んで黄美の肩に手を置いていた。
「そんな逃げる事ないじゃないっスか」
「うわあっ!?」
短い悲鳴と共に思わず尻もちを着いてしまう黄美。
そんな彼女の仕草に女性は指を差しながらケラケラと笑う。
「はははっ、そうそう。そーゆーリアクションの1つは取ってくれないとね。いやーノリいいっスねアンタも」
そう言いながら女性は黄美の腕を掴んで体を起こしてあげる。
「だ、誰なのあなたは? それに此処は一体どこなのよ…」
「あっ、やっぱりそっちに意識行きますよね! いや~やっと話に入れそうっスわ」
黄美の腕から手を離して一度自分の長い黒髪をかき上げる女性。
彼女はニシシと笑いながら軽い自己紹介を始めた。
「私の名前はヤソマガツヒノカミと言うっス。さて突然ですがおねーさんは死んじゃったんですわな。ご愁傷様ですわ~」
「え…死んだ…?」
まるで学園の伝達事項を述べられるかのようにあっさりと言われた衝撃の事実に対し黄美の思考は一瞬だけ停止した。しかしそれもほんの一瞬の事ですぐに彼女の意識は再始動し始める。
「死んだ…それは本当に…?」
「ホントホント、周りの景色見てくださいよ。まともな人間が来れる場所とは思えないしょ?」
ヤソマガツヒノカミと名乗った女性の言う通り自分が現在立っているこの場所は普通の場所ではない。この表現が適切かどうかは分からないがあえて言うなら生きているうちには辿り着けない、死後になって辿り着く場所の様に思える。殺風景で何もなく、壁もなければ天井も無く果ても終わりも無い未知の空間。
「そっか…じゃあ私は死んだんだ」
黄美はそう言うと形容のしがたい表情を浮かべて力なく笑った。
本当に死んでしまった事は悲しくもあり嬉しくもある。自分の生命が終わりを迎えてこの場所に来たと言うのであればここは差し詰め〝あの世〟と呼ばれる場所なのだろう。そう思えばこの不可解な空間にも合点がいくと言うものだ。
「ねえ、えっと…」
俯かせていた顔を上げて目の前の女性に確認しておきたいことがある黄美であるが、目の前の女性の名前を忘れてしまっていた。何しろとても複雑な名前をしていたものだから。
相手の方も自分の名前を忘れてしまった事を察して改めて名乗った。
「ヤソマガツヒノカミっスよ。呼びにくければヒノカミと呼んでくれれば良いっスよ」
「えっと、じゃあヒノカミさん。確認したいんだけど私が今居るこの空間はあの世と捉えてもいいのかしら?」
「ぶっぶー。少し不正解っス」
両手をクロスして口を尖らせながら不正解であると告げるヒノカミ。
死んだはずの自分が今居る場所があの世でないと言うのであればここはどこだと言うのだろうか? まさか天国や地獄だとでも言うのか?
もっと詳しく話を聞こうと口を開きかける黄美であるがそれよりも先にヒノカミの方が口を開いて正解を発表する。
「ここは選ばれた者だけがたどり着く〝転生の間〟と呼ばれる場所っス。幸運な事にアンタは二度目の人生を歩むチャンスにご当選したってわけっスよ」
そう言いながらヤソマガツヒノカミはぺろっと舌を出しながら小悪魔の様に微笑むのであった。




