若菜④
「殿。奥様は……とても頑張っておられます。
御子のために……必死でございます」
「……本当に……大丈夫なのか……?
あの時のように、力尽きは……しないか……」
光る君は縋るように女房を見つめ、女房もまた涙を浮かべて頭を下げた。
「奥様は、強い方でございます。
どうか、信じてお待ちくださいませ」
紫——
あの優しくて、細くて、穏やかな紫が。
俺のために。
俺との子のために。
今まさに、命を削って闘っている……。
光る君は震える指で唇を押さえ、声にならぬ嗚咽を堪えながら、廂の外でただひたすらに祈り続けました。
——どうか、紫を。
俺のたった一人の妻を、守ってくれ。
夜は深まり、産屋の灯だけが静かに揺れ続けておりました。
「あなたを残して、どこへも行かぬと言ったのは、この俺だ。
だから、あなたも……俺の傍を離れないでくれ……
どうか……どうか無事で……」
光る君は廂の柱に額を押しつけ、嗚咽がこみ上げる喉を必死に押し殺していた。
夜の帳が薄れ、東の空がわずかに白んでゆく——その刹那。
産屋の奥から、張り裂けるような静寂を破って。
「……ひっ……く……!オギャア――!」
小さく、しかし世界の色を一変させるような確かな産声があがったのです。
その瞬間、光る君の息が止まり、次いで全身から力が抜け落ち、膝から崩れ落ちるように座り込んだ。
「……生まれた……?紫……!紫……!!
生きて……生きていてくれたのか……!」
産屋の内では、女房たちの歓声が華の乱れ咲くように続く。
「奥様、お生まれでございます!」
「男君にございます!まことにおめでとうございまする!」
「奥様……ご無事で……ようございました……!」
光る君の頬を、堪えきれぬ安堵の涙が次々と伝い落ちる。
紫の上の命が助かったという奇跡が、ようやく心に降り積もるようです。
ゆっくりと几帳が上がり——
そこには、薄い血色ながら確かに息をする小さな赤子と、
汗に濡れて横たわる紫の上がいた。
「……あなた……よかった……」
掠れた声。
それを聞いた光る君は、喉の奥から何かが壊れるような声で返した。
「紫……紫……!
よかった……無事で……。
生きて……俺に、この子を……愛の証を……」
言葉にならぬ想いがあふれ、光る君は紫の上の手を取り、その手のひらへ深く額を押しあてた。
紫の上は涙に濡れたまま、かすかに微笑む。
「ええ……あなたとの……子です。
あなたのために……私、やっと……産めました……」
光る君は声にならず、ただその指を強く握った。
赤子は小さな手を緩やかにぱたぱたと開き、か細い泣き声をあげている。
光る君は腕に抱かされた赤子を見つめ——
その小ささに、息を呑んだ。
時を遡る前に二度、遡ってから一度子はいたとはいえ。
赤子をこの腕に抱いた経験は、ほとんど無いに等しいのだ。
「……こんなに……小さいのか。
紫……抱き方は……これで、間違っていないだろうか……?」
紫の上は、出産を終えたばかりとは思えぬ穏やかさで笑みを浮かべ、光る君の腕をそっと整える。
「少しだけ……はい、こちらを支えて。
首をしっかり……そう、これで怖くありませんよ。もう大丈夫です」
その手に導かれ、光る君の腕の中で赤子は泣きやみ、むしろ安心したように小さく息をついたのです。
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