表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】源氏物語溺愛逆行絵巻―紫の上を失った光る君は、もう一度春へ戻る―  作者: 木風
第十六帖 若菜

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

61/68

若菜①

挿絵(By みてみん)

須磨か。


時を遡る前、泣きながら連れて行ってほしいという紫の上を京において行った。

紫の上を置いて行ったことは、光る君の最大の過ちだったともいえます。


今思えば、離れられるわけもないのです。


むしろ——

『紫と二人でいられるなら』という確信すら滲んでいた。

須磨の荒波も、孤独も、紫の上となら耐えられる。

むしろ、誰にも邪魔されぬ静かな暮らしを、紫に与え、寄り添いながら過ごせるのかもしれません。


「流刑ならば、なおさら。

私は紫の手を取り、喜んで共に参りましょう。

二人で静かに過ごすのも、この喧騒にいるより悪くはございません」

「……なに?本心でそう申しておるのか」


帝の声に、初めて揺らぎが生まれた。

威光ですら届かぬような意志の強さに、広間の者たちがざわめきを飲み込む。


『帝ですら屈させる愛』というものを、まざまざと見せつけられたからだ。

やがて帝は深く息をつき、負けを認めるように静かに目を閉じた。


「……そこまで言うなら、よい。この話は、もうよそう。

そなたの意志に負けた」

「ありがたく存じます」


光る君は深く礼をし、その背に迷いは一片もなかった。

広間を出てゆくその姿は、ただひとりの妻のために世界を曲げてしまう男の、それでいて静謐な強さを湛えていた。


――そして。


帰邸した光る君に、紫の上はそっと歩み寄り、肩に落ちた雪を払ってあげながら、ふと視線を落とす。

彼の肩に降り積もった白は、まるで今しがた受けた帝の圧など、何ひとつ残していないかのように淡い。




「もし本当に……須磨へ下られることになったら……

あなたはどうなさったの」

「心配せずとも、あなたを必ず連れて行くよ」


光る君が即答すると、紫の上は胸の奥でひそませていた思いを、そっと水面に浮かべるように口を開いた。

その声音は震えていない。むしろ静かに澄んでいて、光る君は自然と眉を寄せ、紫の上の手を取り胸に抱き寄せた。


紫の上はかすかに微笑み、指先を光る君の衣に絡めながら首を振った。


「……いいえ、違うのです。須磨が怖いのではありません。

あなたのそばにいられるのなら、どこでも」

「では……?」

「——私、海を見たことがないのです」

「海を……?」


光る君の呼吸が止まった。

そのあまりに純粋で、清らかな告白は、心の奥深くを不意に突くようです。

紫の上は光る君の胸元に頬を寄せ、柔らかな声で続けた。


「えぇ。あなたが聞かせてくださった、夕暮れの浜の色、

月を映す波のきらめき、風の音……

どれも物語の中で知っているだけで、想像するしかなくて」


顔を上げた紫の上の瞳は雪明かりを映し、涙にも似た透明な光を帯びていた。


「だから、行けと言われたなら……その時は、あなたと一緒に海を見たいの。あなたの悲しみや、歓びが宿った場所を。

あなたの隣で、あなたの見た景色を、同じように見てみたい」


光る君の胸に、熱とも痛みともつかぬ感情がこみ上げる。

なぜだろう。

どうしてこの娘は、いつも自分より先に、自分の未来を考えてくれるのだ。


光る君は紫の上の指を包み込み、その額にそっと唇を落とした。


「……紫。あなたと見る須磨の海は、

きっとこの世で一番美しいに違いない」

「ふふ。私も……あなたと同じ気持ちです」


紫の上は目を細め、光る君の胸の中で静かに息をついた。

光る君はその身体を強く、永遠を誓うように抱き寄せる。

紫の言葉も、その温もりも、すべてを胸の奥深くに刻み込むように。


その夜、本来なら恐怖と孤独の象徴であったはずの『須磨』は、

二人にとって『いつか共に見に行く未来の景色』へと静かに姿を変えた。


——二人の愛は、運命すらも凌駕したのです。

ブックマーク、☆☆☆☆☆、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ