少女①
あの、最期。
泣くように、懇願するように『出家させて欲しい』と呟きながら、病に弱り、その輝きを失っていく紫の上。
それでも、その儚い姿すら、己の情欲のままに美しく、
愛しく、手放すことができずに。
琴の糸が切れるその瞬間まで、己の腕の中で、自分の手元に縛り付けていたのです。
——それが、俺の『愛』だと、本気で思っていたのか。
光る君の全身に、耐えがたい自責の念が、津波のように押し寄せ、額から、熱い悔恨の汗が流れました。
その時。
「おにいさま……ずっと、朝まで抱きしめていてくれたの?」
熱が去り、朝の光のように澄んだ、あの柔らかな紫の上の声が、奇跡のように耳に触れました。
胸の奥の深いところで、何かが静かに崩れ落ち、そして、
救われるように満たされてゆく。
光る君は、震える手で紫の上の頬へ触れ——
ただ、その存在がそこにあるという奇跡だけで、あまりにも強く息を吸い込んだ。
あぁ——起きてしまった。
いけない。この娘は、本来なら悲劇へと向かう運命を背負っている。
今こそ、手放し、自由にすべきなのだ。
そう思っているはずなのに、腕が、手が、どうしても紫の上の温もりを手放そうとしない。
抱きしめた腕は固く、まるで己の意思では動かせず、紫の上を胸から離すことなどできなかった。
——この腕だけは、もう二度と、紫を放せない。
熱の引いた頬に涙が落ち、光る君はその温度の差に胸を詰まらせながら、新たな決意を胸に刻みました。
そして、晴れやかさを取り戻した紫の瞳に触れた瞬間、
張りつめていた息がふっと抜け、安堵の吐息が漏れる。
「紫……あなたも、もう御年は十七だね。
覚えているかな?初めて出会った時。
庭の藤の花が満開だったのを」
「なぁに、おにいさま。忘れるわけないじゃない」
クスクス、と。
春の野辺に響く小鳥の囀りのような、可憐で清らかな笑い声が、紫の上から聞こえてきます。
あぁ、この声を、永遠に聞いていたい。
そう思わせるには十分すぎるくらい、この世の宝のような愛らしい声です。
その音色を聞くだけで、光る君は、己が背負ってきた罪が少しづつ洗い流されていくような、そんな感覚に包まれました。
「次の藤の花が、再びこの京で満開になる頃。
俺の北の方になってくれないかな」
囀りのように軽やかだった紫の声が、ぴたりと止まります。
ずっと、ずっと心の深くで願ってきたこと。
昨夜、命を削って吐き出した唯一の願い。
光る君の情愛を信じたいのに、確信が持てず、身分差を思って問いただす勇気も出せなかった——あの渇望。
「おにいさま……今、何を……」
「紫。俺は今、生まれて初めて、あなたの口から出る答えを聞くのが怖いんだ。
だから、どうか言葉はいらない、頷いて欲しい」
抱き寄せる腕は、これまでで一番強く震えていた。
守るためか、願うためか、誓うためか。
その指先は、冷たい水に触れたように細かく震え、胸元から伝わる鼓動は早鐘のように激しい。
紫の上も、つられるように耳まで灼けるように熱くなる。
この世で最も優雅で、常に余裕に満ちているはずのおにいさまが、どんな顔をしているのだろう。
そっと視線を上げた紫の目に映ったのは——
まるで童のように頬を赤く染め、瞳をぎゅっと閉じ、愛しさと怖れに揺れる、初めて見る表情だったのです。
こんな顔を見せるのは、この世で自分だけ。
その事実が胸に落ちた瞬間、歓喜とは別に、どうしようもなく愛おしく、守ってあげたいという感情が、鋭く湧き上がるのです。
瞳の奥が熱を帯び、視界が徐々に滲み始めます。
そして紫の上は、小さく、けれど確かに——
二度、三度と頷く。
その瞬間。
光る君は、抱きしめたまま後ろへ倒れ込んでしまいます。
すべての緊張が切れ、全身から力が抜けたかのように。
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