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【完結】源氏物語溺愛逆行絵巻―紫の上を失った光る君は、もう一度春へ戻る―  作者: 木風
第十一帖 幻

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幻②

同じ刻限。

政務の合間、清涼殿の廊下を歩いていた光る君の胸を、

真冬の川面を渡る冷気のような風が、何の前触れもなく突き抜けたのです。


……紫……?


根拠などない。

ただ、紫の上が、今まさに『助けを求めている』と、確かな声が胸の奥で響いたのです。

時を遡る前の記憶にはない感覚。

——紫の身に迫る『人ならざる危機』を、理屈ではなく身体が察知する感覚。


光る君は、その瞬間すべての政務を投げ捨て、馬を走らせ、

息を切らせて紫の寝所に駆け込んだ。


そして——息を呑む。

紫の上が布団の上で熱に浮かされ、頬を火照らせ、かすかに喘いでいる。

呼吸は浅く、胸元はうっすらと汗に濡れ、夜着に張りついている。


「……紫!」

「殿……!恐ろしゅうございます……!

本日、姫様の寝所に……

またしても『影』が……立ちました……!」


女房が光る君の袖を掴み、涙混じりに訴えた途端、光る君の顔色は、血の気が引くように変わる。

胸の奥で、血が逆流する音がした。

沸騰し、黒く煮え立つ怒り。


その時、薄く目を開けた紫の上の細い指が、無意識に光る君の袖を探るように伸びた。


光る君は反射のように、その手を両手で包み込み、頬にそっと触れた。


「……おにいさま……?」


不安と熱の混じった声に、光る君は喉を震わせて応じる。


「紫……もう大丈夫だ。俺がいる。

あなたから離れない……絶対に、離さないよ」


紫の上はその言葉と温もりに安心したように、その胸にすがるように顔を寄せると——

その瞬間、御簾の向こうで白い影が、憎悪に満ちた揺れ方をしたのです。

光る君の背に、静かながら鋭い殺気が宿り、紫を抱き寄せた腕越しに御簾を睨み据える。


……六条(ろくじょうの)御息所(みやすどころ)……

もし、もう一度だけでも、紫に触れたなら……

俺はもう、貴女を許せない……容赦はできない……


甘やかな愛の夜の翌日に、突然訪れた呪詛の気配。

紫の清らかさと光る君の激しい独占が呼応するように、

六条(ろくじょうの)御息所(みやすどころ)の怨念が、静かに、しかし確実に動き出していた。




紫の上の胸に宿った熱は、その夜、炎に煽られた焔のように一気に高まった。


寝息は次第に乾き、呼吸は浅く荒くなり、指先からは血の気がすべて引いて、唇は生命の灯が遠のく前触れのように淡く青く染まる。


女房たちは慌てて加持祈祷の準備を始めたが、灯した燭台の火はすぐに揺らぎ、寝所全体の空気が水底のように重く淀みはじめる。


まるで——

誰かが紫の上の『息』そのものを、ゆっくりと、確実に奪おうとしているように。


光る君は、すべての雑念を振り払うように紫を抱き寄せ、

その運命の淵から引き戻すように胸に抱きしめた。




そのころ紫の意識は、肉体という牢を離れ、薄く揺れ、

かすかな灯のように、この世とあの世の境をさまよい始めていたのである。


……ここは……どこ……?

この暗がりと、胸を締めつけるような重い香の、その先に——


薄闇の底、枕元の帳の際に、朝霧のように淡い白の衣をまとった女が立っていた。

その顔には、激情も、激しい怒りも、憎しみも見当たらない。

ただ、永い年月をかけて降り積もった諦観と、底知れぬ哀しみだけが、静かに宿っている。


——六条(ろくじょうの)御息所(みやすどころ)

伊勢の遥か彼方より、情念の影だけをこの世に送り込み、

己の魂の奥底の残り火で立っている女。


六条(ろくじょうの)御息所(みやすどころ)は、熱に浮かされた紫の頬へ、冷たい指をそっと伸ばした。

指先は氷のように冷たく、触れ方はあまりにも優しいのです。


「……可愛い子。

なるほど、あの方が、大切にする理由……分かりますわ」


紫の上は、この女を生きて見たことも会ったこともない。

それでも魂のどこかで理解する。この人もまた——

ただひとりの男を、命を削って愛してしまった女なのだ と。

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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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