表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】源氏物語溺愛逆行絵巻―紫の上を失った光る君は、もう一度春へ戻る―  作者: 木風
第八帖 澪標

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/68

澪標④

「紫が待っていると思えば、足も早くなるものだよ」


そう優しく応えると、紫の上は朝顔が露に濡れて咲くようにぱっと微笑みます。

しかし照れが勝り、すぐにはらりと視線を畳へ落とした。

その俯いた横顔のあどけなさが、光る君の胸を深く揺さぶる。


……やはり……どうしようもなく、こんなにも……

この人の存在だけで、胸が切実なほどに満たされてゆく……。


忘れられぬ恋。

そして、そして自らも忘れることを拒んだ恋。

それは彼女の一挙一動を、いっそう魅力的に、そして脆く見せた。


その夜。

月光が廂から淡く差し込み、物事の輪郭をぼかし始めた頃、

光る君が書物を静かに閉じると、紫の上は、長い決心を胸に抱いた旅人のように、ゆっくりと近寄ってきた。


重ねた小袖の裾を、小さな指でぎゅっと握りしめ、

上目遣いに、いまにも消え入りそうな声で尋ねる。


「……おにいさま……あの……その……今日は……」

「ん?どうした、紫」


光る君が壊れ物を扱うように優しく問い返すと、

紫の上は顔を茜色に染め上げながら、言葉を振り絞った。


「……今宵は……

一つ寝所で……お休みになりたいの……」


その告白は、あまりにも純粋で、あまりにもまっすぐな魂の願いであった。

だからこそ光る君は、胸の奥が愛しさで締め付けられるような激しい衝動に襲われる。


けれど同時に、彼の心には、鉄の響きをもつ確固たる信念があった。

——あの悲劇的な未来の原因。

——紫の上を蝕んだ真の災厄。

それがどこに潜み、どこから忍び寄るのかを突き止められない限り、まだ、この清純な娘の深い領域には踏み込んではならない。

その禁を、自らに強く、深く課していたのだ。


紫の上は、あまりに若く、穢れを知らない。

焦燥に駆られて傷つけてはならない。

あの胸を焼くような悲しい未来を、この手で二度と繰り返さないために。


光る君は、静かに手を伸ばし、彼女の柔らかな頬にそっと触れて微笑んだ。

すると紫の上は、その指を、溺れる者が藁を掴むように、小さな手でぎゅっと、握り返します。


「……ああ、一緒に寝よう。だが、紫。

今宵は——ただ抱きしめて眠るだけだ」

「……はい。それで十分……」


震える声の奥に、安堵と期待が淡く混じっている。

静かに寝所へ移り、灯を落とすと、闇が二人をやわらかにむ。


光る君は、その小さな姿に胸を打たれながら、そっと背に腕を回し、細い肩を自らの胸へ引き寄せた。

紫の上は、驚いたようにかすかに息を飲んだが、すぐにその緊張は解け、まるで探し求めていた場所に辿り着いたかのように、目を閉じて、光る君の胸板にそっと頬を寄せてくるではありませんか。


「あったかい……」


その、偽りのない、素直な言葉が、光る君の心の奥深くを、一瞬にして溶かしてゆく。

鼻先をくすぐる朝露のような髪の香。

胸もとに伝わる、小さく規則正しい息づかい。

触れた肌の熱から伝わる、喜びで早まる鼓動。


光る君は、この世で最も貴い宝物を守るように。

決して傷つけまい、壊さないようにと、ただ優しく、強く抱きしめながら、その耳もとに囁く。


「紫……この腕の中で安らかに眠るあなたを見るのが、

こんなにも幸せだとは思わなかった」

「……わたしも。おにいさまのそばがいい。

今も、昔も……ずっと……ずっと、このまま……」


羞恥と安堵と、芽吹いた恋の確信に震えながら、

紫の上は光る君の胸に身を委ね、そのまま静かに瞼を閉じ、静かに眠りにつくのであった。


光る君は、自らに課した禁を貫き——

ただ、このうえなく清らかな愛おしさだけを胸に、抱きしめるだけ。


紫の上は、燃えるように自覚した恋心を胸に抱えながら——

この腕の中で、人生で初めての揺るぎない安らぎを知る。


その夜。

宵闇が曙光に変わるまでのわずかな時間のあいだに、

二人の未来は、誰も知らぬところで、確かに大きく動き始めていたのです。

ブックマーク、☆☆☆☆☆、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ