薄雲③
御簾が、恐れで震えるようにふるえ、篝火が不自然に伏し、
影が、孕んだ獣のように産屋の四隅から押し寄せる。
その瞬間こそ——
長い苦痛の果てに、葵の上の出産がついに幕を開いたのです。
葵の上は、眉間に深く皺を寄せ、腹を押さえ、身を折り、
生の極限に追い詰められた身体は、耐え難い痛みに弓のように反り返る。
「……あ……殿……
この子が……わたくしから……下りて……参ります……」
その声は、美しい女の最後の祈りのようであり、六条御息所の影が見守るなかの、最初の産声への前兆でもあった。
女房たちが慌ただしく産具を整え、湯を温め、布を重ねます。
そのすべての動作が、迫りくる悲劇の怯えに支配されます。
篝火が、嵐でも来たかのようにゆらりと揺れ、
産屋の隅に溜まる『影』は、夜の底そのもののように濃く沈んで行く。
光る君は、死人の肌のように冷たくなった葵の上の手を、
決して離すまいと固く握りしめ、声にならぬ声で、ひたすら名を呼び続けた。
「葵……葵……ここにいる。気を強く持つのだ……!」
しかし、死と痛みの淵にあるはずの葵の上が、ふと、諦念と安堵を併せ持つ、あまりに美しい微笑を浮かべたのです。
震える指で光る君の頬をかすめ、涙と汗に濡れたその肌に触れた瞬間——
産屋の空気が急にざわりと、魂が抜けるような音を立てます。
次の瞬間、腹の奥で命の重みが、堰を切った大河のように押し広がるのを感じると、女房たちが一斉に産床へ駆け寄ります。
「御子様が……!いま……!」
葵の上の身体は汗に濡れ、苦痛に揺れる瞳の奥には、
この世に子を残すという最期の覚悟が宿っていた。
そして——
夜の闇を裂く、甲高い産声が響き渡るのです。
小さく、頼りなく、しかし確かに、新しい命の叫びそのものの声であった。
その瞬間である。
産屋の隅に固まっていた黒い影が、葵の上の胸から『はじかれたように』激しく引き剥がされ、悲鳴をあげて霧散します。
影が退いた後には、白檀とも血の匂いとも違う、愛執の苦味に似た香りだけがひりつくように残され、影は細くちぎれながら闇へ溶けていきました。
光る君は産声に振り返り、まるで奇跡を目にしたような震える声でつぶやく。
「……生まれた……我らの……」
だがその腕の中で、葵の上の息は浅く、顔色は死人のように青ざめ、唇はわずかに震えているのみ。
光る君はその手を握りしめ、必死に呼びかけます。
「葵、見てくれ!あなたの御子だ!
元気に、強く泣いているぞ!」
葵の上は重い瞼を開き、愛する者を守り切った安堵を浮かべ、
どこか遠い常世を見つめる静かな微笑を滲ませた。
「……殿。ありがとうございます……
わたくしは……最期まで……貴方様の御子を……」
光る君の手に触れた指が、張り詰めた糸が切れるようにふ、と力を失い——
どれほど名を呼んでも、その胸はもう二度と動かないまま、
新しい命の産声が、夜の深みにいつまでも響き続けていた。
闇の帳が降りた後の一室。
灯りの蝋は溶け尽くし、芯は短く傾き、仄紅い残光がちらちらと揺れていた。
六条御息所はその薄闇の中、光る君の身体を、まるで神前の供物でもあるかのように、静かに、しかし貪るように見つめている。
周囲の闇は、二人の秘め事を閉ざす漆黒の檻のように濃い。
六条御息所は、光る君を跪かせたまま、ゆるり、と膝を開いた。
十二単の最後の襲が、重々しい絹擦れの音とともに床に落ち、
白い太腿の内側には、そこに宿る熱と、消しがたい執念の影が仄かに透けて見える。
仄紅い灯りに照らされたその姿は、妖しくさえあった。
「ご覧あそばせ……わたくしの、この身のすべてを、
ここまで熱くしてしまったのは……君のせいですわ」
光る君の顎を掴み、その顔をぐいと上向かせる。
吐息が触れ合いそうな距離で顔を寄せると、彼女の濃密な香が、熟した果実の甘さと、断ちがたい執念の香りを帯びて鼻腔を満たした。
六条御息所は、光る君の唇にそっと触れ、愛おしむように舌で形をなぞり、甘く、妖しく、ゆっくりとその輪郭を奪っていった。
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