初音④
紫の上は、胸に痛みを押し隠し、無理やり微笑む。
いつもそうだ。
幼いながら、思いを隠すときほど強く微笑むのだ。
八つも年下の少女にそんな微笑みをさせてきた——
紫の上のその強さに、光る君は甘えてきたのです。
その事実が、光る君の胸をきしませます。
「随分、大人になったんだね。寂しくはないのかな」
「おにいさま。わたし、もう十三歳よ?」
十三——もう十三。
時を遡る前、紫の上を『初めて抱いた』その運命の年齢に至ってしまった。
早く、この光る君を受け止められる、美しい大人になった姿で自分を受け入れてほしい。
いや、大人にならないで、いつまでも子供のまま、穢れを知らぬ姿でそばにいて。
どちらの願いも本心なのです。魂が二つに引き裂かれるようです。
三年。
紫の上の幸せだけを考え、ただ守り、愛を注ぎ続けた三年。
それでも——
光る君はまだ確信できない。
紫の上が、一片の涙もなく、生涯を豊かに生き切れる未来が、
本当に来るのかどうか。
「おにいさまのやや子……わたし、楽しみなの!
きっと可愛いに違いないわ!」
紫の上は無邪気に笑い、胸の痛みをごまかそうとする。
光る君は、そんな彼女を見つめながら、胸の奥でふたつの願いに引き裂かれる。
——いつまでも、ただこの子を独占していたい。
——いや、いっそ誠実な公達がこの子をさらって幸せにしてくれたなら……
だが同時に思うのです。
自分以外の男に、この子を任せるなど——
できる気がしないまま、変えられない未来がまた一つ、
光る君の眼前に近づいてくるのでした。
「……よく、眠れないのです……」
あれほど気位高く冷たかった葵の上が、今は怯えに震える小声で漏らす。
最初は遠く、ただ肌を撫でるような冷気にすぎなかった。
だが、その気配は日ごとに近づき、濃密となる。
いつ嗅いだか定かでない、澱んだ香の匂いが薄温む風にのり、
葵の上ただ一人を狙うように、粘りつくように迫ってくる。
膚に湿りを残し、指先で触れるような気さえするその気配。
それは、息をひそめ忍び寄る何者かの存在そのものだった。
「不安で……不安で……この身に子を宿し、産むなど……
なんと、おそろしい……!」
褥の上で震える絹の衣擦れにも似た、その嘆き。
「葵。心配は要らない。当分のあいだ、俺がそばにいる。
……俺たちはようやく、真の夫婦になれたのだから」
光る君は静かに囁き、華奢な肩を抱き寄せる。
衣の下の肌の緊張が、手のひらに切なく伝わった。
吐息の触れ合う距離で、額に落ちた髪をそっと払うと、
震える身体を深く、深く包み込んだのです。
だが、どれほど祈祷を重ねようと、怪異の足音は止まらない。
修験者は念誦を上げ、巫女は神を降ろせず、名うての陰陽師ですら調伏の術を失っている。
篝火を焚いても、弓弦を鳴らしても、気配はますます濃くなるばかりだった。
そしてある夜、空気だけを運ぶはずの物の怪が、ついに『跡』を残し始めます。
女のものと思われる、華奢で湿った足跡。
最初は庭先にぽつりと。
次に濡れ縁へ。
やがて廊下をすべるように進み、ついには葵の上の寝所の帳の、ほんの手前で途絶えていた。
葵の上の悪阻がわずかに落ち着いた、束の間の静けさ。
だがその静寂こそ、嵐が息を潜めている証であったと、
のちに光る君は知るのでした。
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