葵①
夜が明け、空が薄桃色に染まり始めた頃、ついに尼君は静かに最期の息を引き取りました。
その傍らで——
姫は、小さく肩を震わせ、息を殺すようにして膝を抱え、
硬直したまま動かずにおられました。
幼い身に余るほどの悲しみが押し寄せるのを、必死で堪えようとしているその小さな背中は、吹けば散ってしまう朝露のように儚く見えました。
光る君は、その痛ましさに胸を貫かれつつも、安易に声をかけることができません。
それは、紫の上を孤独のうちに死なせた——
自らの罪の重さが、今さらのように喉を塞いだからでした。
「……尼君。お願い……独りにしないで……」
姫は亡骸を乱暴に揺らすこともなく、冷たくなった手を、
自分の小さな掌で包み込むように握りしめ、喉の奥で押し殺した嗚咽を零します。
その細い声が光る君の胸の奥に、鋭い棘となって突き刺さりました。
……間に合わなかったか。
未来を知る者として当然に来ると覚悟していたはずの死。
それでもこの現実はあまりに重く、胸を裂くほどの痛みをもたらします。
尼君は、光る君の昨夜の誓いを、最後の希望として支えにしてくださったのだろう——
『この子を、どうか二度と孤独に沈ませぬよう……』
その願いは、途絶えた息の余韻となって、沈香の香のごとく深く部屋に満ちていました。
光る君は静かに膝をつき、尼君の枕元で深く頭を垂れました。
合わせた両手は、ひどく震えておりました。
必ず……守りたてよう。
この子を……今度こそ、必ず。
それは祈りというより、運命に抗う者の熱い誓約でした。
その時、小さな気配が揺れました。
姫が、涙で濡れたままの大きな瞳で、恐る恐る光る君を見上げたのです。
「……おにいさま……?」
その声は、わずかな希望と圧倒的な恐怖が入り交じった、
胸が張り裂けるような響きでした。
光る君は思わず手を伸ばしていました。
自らの意思よりも早く、魂だけが先に動いたのです。
「姫……」
たったその一言で、姫は堰を切ったように、光る君の胸元に飛び込みました。
喉を詰まらせ、声にならぬ嗚咽をあげて泣き崩れます。
尼君の亡骸に縋りつくのを、幼いなりに必死に我慢していたのでしょう。
その小さな身体は、愛と恐怖と孤独に押し潰されるように震え続けていました。
……こんなにも……
こんなにも深く、こんなにも激しく孤独に耐えていたのか。
時を遡る前——
妻となった紫の上は、泣きたい時でさえ泣かなかった。
寂しいとも、苦しいとも言えず、ただ静かに孤独という毒に侵されていった。
いま目の前で泣きじゃくる幼い姫の姿は、その痛ましい過去と幾重にも重なり、光る君の胸を容赦なく締めつけました。
耐えきれずに、光る君は姫の細い肩をそっと、しかし決然と抱き寄せます。
「もう大丈夫だ……姫、こちらへ。俺のもとに」
「……尼君がいなくなったら……わたし……ほんとうに……
ひとりになってしまうの……」
その言葉は、刃のように光る君の胸を裂きました。
もう二度と——
この子に『孤独』などという言葉を言わせてはならない。
その激しい贖罪の思いだけで、光る君は震える腕で姫を強く、
しかし優しく抱き上げました。
姫は抵抗することなく、小さな腕で光る君の背に必死にしがみつき、泣き濡れた顔を彼の胸に深くうずめます。
その泣き声は、胸の奥で凍りついていた光る君の罪を、
鋭く、温かく溶かしてゆくようでした。
「行こう。姫。俺があなたを二度と、一人にはさせない」
その胸に抱かれたまま、姫は震える声で、最も恐れていた問いを漏らしました。
「……わたしを……もう、見捨てたり……しない……?」
その小さく、切実な言葉に、光る君は息を呑みました。
——この幼い子が、どれほど長いあいだ、見捨てられるという恐れと孤独を抱えて生きてきたのか。
胸が焼けるような痛みとともに、抱き寄せる腕に自然と力がこもります。
それは、運命を奪い取る力であると同時に、この子を守り抜く誓いの力でもありました。
ブックマーク、☆☆☆☆☆、リアクション
よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ




