24 最後
私は雇い主のローランス侯爵へと、メイドの仕事を辞めたいと自分でお伝えしようと思った。
執事やメイド長には、先んじてお伝えした。残念そうにはしてくれたものの、ローレンス侯爵邸の使用人は給金も良ければ待遇も良い。すぐにでも、私の後釜は見つかるはずだ。
けれど、ローランス侯爵は行き倒れになりそうだった私を救ってくださった方で、大事な命の恩人だ。
特別報酬のあるお仕事もくれる方で、彼に挨拶もなく辞めてしまうことは躊躇われた。
ここに来る時は、あの仕事を頼まれる時くらい。
おそるおそる扉を叩くと、中から入るようにと返事があった。室内へと入り、私は使用人の礼をした。
「……おお。シュゼット」
「失礼します。ローレンス侯爵」
私が顔を上げると、白髪を撫で付けとても優しそうな笑顔を見せてくれた。ジョン・ローランス侯爵はひょろりとした身体であまり背が高くない。
一見頼りなさそうに見えるのだけれど、ノディウ王国でローランス侯爵家は裕福な貴族として権勢を誇っていた。
「ローランス侯爵。私……その、実は辞めさせていただくことになったんです。侯爵様には大変お世話になりましたので、最後のご挨拶に」
「おお! そうなのかね。シュゼット。どうしたんだい。何か仕事場に不満があるのかい?」
ローレンス侯爵は寝耳に水だったのかとても驚いた表情になったので、私は慌てて首を横に振った。
「そんな! ローレンス侯爵邸の仕事に、不満なんてありません。皆様良くしてくださいますし、やり甲斐を持っております。ですが、あの……そろそろ私も結婚を……」
仕事を辞めてクロードと出て行くということは、そういうことだ。言葉にしてしまうと急に恥ずかしくなり、顔が熱くなって来た。
……いえいえ。何の恥ずかしいこともしていないはずよ。先方にとっては使用人が結婚して仕事を辞めるなんて、良くあることのはずだもの。
「そうか。シュゼットもそんな歳なんだね。月日が流れるのも早いものだ」
私が家出してかた2年の月日が経ち、ここで雇ってもらい仕事にもようやく慣れた。多忙な月日が流れるのは早く、ローレンス侯爵も同じように思って居るようだった。
「……ええ」
「だが、すまない。最後にこの一回だけ、リベルカ王国へのお使いを頼まれてくれるかい?」
「あ。ええと……」
実は、クロードには危険だからもうあの仕事は請けない方が良いと言われていた。
けれど、私から言わせると貴族令嬢の振りをして、手紙を届けるだけなのだ。どうしてそんなに警戒しているのだろうと、不思議だった。
「シュゼット。辞めたいと言っているところ悪いけれど、すぐに君の代わりを見付けるから。この一回だけだよ。頼む」
ローレンス侯爵の都合もあるだろうし、いきなり仕事を辞めると言い出したのは、他ならない私だ。後任がすぐには見つからないから、これだけはと言う気持ちも理解出来る。
どうしようかとは心の中で葛藤した。クロードにはもうやってはいけないと言われているけれど、彼はきっと私の意志を尊重してくれるだろう。
そうよ。ここまで何回も引き受けたって、危ないことなんてひとつもなかった。
ローレンス侯爵には……今までとてもお世話になっていたもの。
これだけは、引き受けよう。
「……わかりました。お引き受けします」
「ありがとう……! シュゼット、助かったよ……」
一度大きく頷いた私はローレンス侯爵に手を握られて、彼には最後の恩返しをしようと思った。
◇◆◇
ローレンス侯爵から頼まれた最後の特別な仕事となる行きの往路。
……飛空挺内は、とても暇だった。
私はいつも通り偽名で乗船し、貴族令嬢の格好で日々を過ごす……仮病を使って先に仕事に向かってもらったクロードには、部屋に置き手紙をして。
だって、彼には絶対に反対されると思った。ローレンス侯爵から指定された日程的に、言い争う時間がなかったのだ。
すぐに帰ることが出来るから、説明すればわかってもらえると思う……クロードにはすっごく怒られてしまうだろうけれど、それでも良い。
私の気持ちではこのお仕事だけは、絶対にしておきたかったもの。
いかに様々な術を使うことの出来る勇者クロードとあろうとも、先に出発してしまった飛空挺にたどり着ける訳はないはず。
私は手紙を渡して渡されてトンボ返りすれば良いだけの話だし、そんなに難しい仕事ではないのだから。
そろそろ、リベルカ王国に到着するといういつもの放送が鳴った。
……はーっ……短時間だけれど、そろそろ地上に立てるのね。やはり、空の上に居ると平衡感覚が狂う気がする。
これでこの仕事もすることもないしもう終わりなのねと思えば、なんだか寂しい気もした。
特別報酬は美味しかった……一人暮らしとなると何かと物入りで、臨時収入があれば急な出費にも安心でメイドには贅沢品だって買えたからだ。
私はいつも通りに用意されていた馬車に乗ろうとした時、背後から誰かに抱きつかれ鼻に布をあてられて薬品を嗅がされた。




