霧を吹く井戸③
喫茶「雪塚」の扉がギィィ……と開き、霧の中から一人の男が入ってきた。
スーツ姿に鋭い眼光。どこか只者ではない雰囲気を漂わせている。
すると、奥のテーブルにいた老人が驚いたように立ち上がった。
「お、お主は…!」
「おや? こちらは会長さん。珍しいところで会いましたね」
男は動じることなく、カウンターに腰掛ける。
「千鶴さん、ホットコーヒーくれる?」
親しげな様子で話しかけるその姿を見て、悠真は少しむっとした。
(千鶴の知り合いなのか……)
「おじいさんの知り合いですか?」 悠真は老人に聞く。
老人は腕を組み、渋い顔をした。
「あやつはな、悪の副会長じゃ」
「悪の…とは嫌われたものですね」
男――藤木は、肩をすくめながら苦笑した。
「この人は、北町商工会議所の藤木さん。いつも、良くしてくれてるのよ」
千鶴がフォローするように説明する。
「南町通りの会長さんとは、意見がなかなか合わなくてね」
「意見が合わない? つまり……」悠真は眉をひそめた。
藤木が答えた。
「こちらの方は南町通り商工会議所の会長さんですよ」
悠真と千鶴は驚いて老人を見る。
「えっ、会長!? この猿の全身タイツ着てる人が!?」
「うむ!」
まるで誇るかのように、猿のポーズを取る老人。
藤木が淡々と補足する。
「ちなみに、商工会議所の方針を巡って、南町と北町は昔からバチバチなんですよ」
「そうなんですか…てゆうか、この人が会長で大丈夫なんですか!?」
千鶴は驚きながらも慣れた様子でコーヒーを淹れていた。
藤木が一口飲んで、ふぅと息をつく。
「やっぱりここのコーヒーはうまい。さすが千鶴さんだ」
(…おいおい、何気に距離近くないか?)
悠真が警戒していると、藤木がニヤリと笑った。
「さて……商工会議所戦争の決着を、ここでつけましょうか?」
「なんで喫茶店で戦争が始まりそうなんだよ!?」
悠真のツッコミが響く中、喫茶「雪塚」の平和は、今日も危うかった――。




