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13. ごめんね……

 以前、ここ森の泉で火だるま状態の鹿を見かけた。鹿が怪我をしていたので、念話で話しかけて泉の水を飲むよう促した。それは記憶にある。その鹿はあくまで鹿と思わしき生き物が燃えていたのだ。つまり、今私が窓越しに見ているそれのようなものではない。


『女神よ、不在か?』


 そう、人の頭くらいの火の玉が浮いているなんて。しかも探されている。なんだろう、シャナのように妖精……だろうか。けれど私の会った妖精たちは必ず小人だった。それに羽が生えていたり、水球が漂っていたり。少なくともそれそのものではなかった。

 迷った結果、火の玉のところに赴くことにした。無視して怒らせて森を燃やされても怖いし……そんな過激なことをするか知らないけど。火って安心するための灯りであり恐怖の対象でもある。そんな相反するものは別に火に限った話ではないけれど、何故か「火」だと過激に見える。何故だろう。

 可視化して泉から出ると、火の玉は『おお』と嬉しそうにパチパチ爆ぜる。色がオレンジに近かった炎の色が赤みを帯びていく。


『貴方がここの女神か。聞いた通りの御方』

「聞いた通り、ですか?」

『失礼。我が名はナール。我が民が貴方に助けられたと聞き、遅れながらも礼を送ろうと参ったのだ』


 この火の玉、名前があるのか。それに「我が民」ということは、配下のような存在が複数いる。それなりに上位の種族のようだ。それはさておき、「我が民」とはもしかして火だるまの鹿のことだろうか。そう問えば「その通り」と肯定される。なんて分かりやすいんだろう。とは言え、私に礼を言われるようなことは何もない。全てフェアリーサークルを残した妖精たちのおかげだ。「妖精の恵み」だったら「クローゼットが用意した特殊な瓶のおかげです」と大義名分があるのだが、あの鹿ちゃんはこの泉の水を飲んだので、本当に私のおかげでもなんでもない。胸を張ることは気が引けたので、フェアリーサークルのおかげだとその旨説明し、礼は妖精たちにと返事をする。


『謙遜を。風の妖精がサークルを残したのもまた貴方の御力』


 ただの清掃活動です。


『彼らに自分たちの力を残すに相応しい御姿を振る舞われたと言う事』


 ただの清掃活動です。

 妖精たちに会ったらお礼を伝えておくと答えれば、貴方にも礼をと譲らない。何回か「結構です」「遠慮なさらず」のやりとりが続いた。この火の玉、義理が固い。


『火の精霊ナールの名に懸けて、必ず貴方に礼を送ると民と約束を交わしたのだ。譲るわけには……』

「火の精霊!?」


 この火の玉、精霊だった!!

 精霊とは、その属性のモンスターや妖精の上位種族。確か本には、人間に存在を確認されているのは風の精霊・ウェントスだけだと書かれていた。つまり目の前の火の玉は、未確認の精霊!

 私が驚いていることに驚いている火の玉ことナールは、『な、何か問題が?』と炎を揺らめかせて右往左往している。ちょっとかわいい。ではなくて、精霊だと言うのなら、頼みたいことがすごくある。


「ではお願いがあるのですが」

『おお、何なりと』

「私に知識をくださいませんか」


 私は何も知らずに泉の女神になった。前任の泉の女神が引き継ぎしなかったせいで、神どころかこの世界のことすら知らない、手探り状態のヨチヨチ女神だ。精霊なら比較的こちらに近い存在だと思うし、人やモンスターより知識を持っているだろう。何よりこんなに真面目そうな精霊なのでしっかり教えてくれそうだ。

 私は自分が「元人間」であることは伏せ、引き続き不足で知識がない話をした。私が困った時や知りたい事が出来た時の相談役でもいいから、教えてほしい。

 そう頼むと、ナールは炎を大きくして8の字に飛び回る。


『そんなことで良いのなら、いくらでも力になるのだ』

「本当ですか!」

『では泉の女神よ、我と眷属の契約を』

「え?」


 ナールが言うには、私に付いていくには眷属になった方が都合がいいらしい。相談役でもいいと言ってみたが、私とナールが連絡する手段が、「私の担当する泉でナールから呼びかける」しかない。私からナールにコンタクトを取る事ができないのだ。ナールもいつも声の届く範囲にいるのか分からないので、結局私が困った時に会えないので意味がない、なんてことになるそうだ。……確かに。けれど、泉の女神の眷属でいいんだろうか。一応「水」の属性にあたるのではないかと聞けば、「水」は「火」「土」と相性がいいので問題ないとされた。風は? 念のために担当している泉の話を聞かれたので素直に答えれば、「砂漠にいれば違和感なし」「雪山とは言え温泉が湧くなら確実に火と関係している」との事。……確かに。

 ゆらゆら揺れる炎を見て考える。泉の女神の眷属が火の精霊でいいのかと思うけれど、精霊はまだ人に認知されていない存在。この先いつ水の精霊に会えるのか分からない。それまで現状のまま進めていくことに、不安は当然感じている。それに「肉体の死がいらない」のは大きい。精霊は元々実体のない存在。眷属神になろうと、人と違って「肉体の死」がないのだ。実体のない精霊は他のモノに接する時、自分が属する物や自然、人間が作ったものにその身を宿らせているそうだ。私が見ている火の玉もそれの一つで、ナールが火そのものに宿り、球体を模っているだけだ。ナール本体の姿ではない。

 眷属の契約は簡単だそうだ。互いに契約すると強く考え、名を呼んで触れれば終わり。そんな簡単に眷属神になれるらしい……エレフ。


「ごめんね……」


 あの輝く紫の瞳を思い出す。

 私は火の玉であるナールと向き合った。


「火の精霊、ナール。貴方を我が眷属とする契約をここに結びます」

『泉の女神、フォンテ。貴方を我が唯一の神とする契約をここに結ぶ』


 丁寧な手つきで火の玉に手を伸ばす。瞬間、ぶわっとした熱風に包まれた。神になってから初めて感じる熱に懐かしさを感じる。熱風に不快感はなく、むしろ温かくて心地良い。火の精霊が私の一部になったという感覚だ。その後すぐに風は治まり、またいつもの温度に戻った。束の間の温かさだった。これで、ナールが眷属になったという事か。


『フォンテ様。我が姿を見るか?』


 今宿っている火を解除してくれるらしい。実体のない精霊と、人に見えないものを視ることができる神。私からしたら、精霊はどのように見えるのだろう。その答えはナールも知らない様で、「見て見て」と回っている。犬か。

 頷くと炎が膨れ上がり、捲れ始める。まるで赤い花が開花するようだ。1枚ずつ捲れる花びらのような炎は美しく、芸術のようだった。


「これが、精霊の本体……」


 私の掌の上に、炎色をした靄の塊が浮いている。その中央にはピンポン玉サイズの透明な球体のナニカがある。いや、どちらかというと、その見えないナニカに炎色をした靄が纏わりついていると言った方が正しいだろうか。

 筆舌に尽くし難いそれに見惚れていると、ナールが私の目にどのように映っているのか詳しく聞いてきた。自分の見た目がどんなものなのか気になるようだ。鏡に映る存在でもないので、見た事がないのかもしれない。目を奪われた、と告げれば先ほどと同じように円を描いてくるくる回り出す。けれど私が可視化している時は火の玉でいてくれた方がいい。この状態だと私以外には見えないだろうから、完全に独り言を漏らす寂しい女神ができあがってしまう。ナール本人(?)も快く了承してくれたので、そのように動いてもらうことにする。


「それでは行きましょうか、ナール」


 炎を着たナールから、チカチカと青色の火花が散る。その状態で私の肩辺りに寄って来る。思わぬところで家庭教師が出来てしまった。

 彼には申し訳ないけれど、次会う時までに私だって成長していたい。だから、その時を楽しみにしていて欲しい。

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