10.ダメです
その日、窓を確認した時にはエレフはオアシスに立っていた。いつもより整えられた服はおそらく正装で、繊細な容姿とマッチしていた。月の光を浴びて静かに佇むその姿はエキゾチックな色気を漂わせている。静かにしていれば。後ろには、いつもよりオシャレな紐と布をつけたクルークも座り込んでいる。私も花冠とネックレスをつけ、気持ちを落ち着かせて玄関へと向かった。
「お待ちしておりました」
私の姿が泉から完全に現れたタイミングで、エレフが頭を下げる。真っ直ぐな紫は私を捕らえ、この1年――と30日――の間、彼がどこまで真剣に取り組んできたのか告げていた。
あんなふざけた手紙を残していたエレフだが、私だって調べてきた。エーデルシュタイン王国にある、金と水の貧富の差。彼はその「水」の問題に取り組んでいた。毎日の飲み水が十分ではなかった貧困層の人々は、水不足による体調不良が多いそうだ。詳しいことまで調べていないが、脱水症状以外にもそういう病気があったらしい。一例によると、呻くほどの腹の痛みを訴えていた男性がおり、薬を買う金がない家族はなんとか溜めたコップ2杯ほどの水を飲ませたところ、痛みから解放された。この水が何か特別なものかというと、そうでもない。水分か、水に含まれる成分が足りていなかったんだと思う。人に限らず、水と摂らないと生きていけない生き物は多い。
エレフセリア王子は、枯れる心配のなさそうな水場から水を引っ張ってこれるよう水道管を引いたようだ。ただそれを「貧困層のために」ということが、なかなか富裕層は納得できなかった……なんでやねん。色々ツッコミどころ満載だ。エーデルシュタイン王国が比較的若い国とは言え今更やん。他の王族は何やっとったねん。王族の提案に対して反対する貴族がいると実行するのが難しい環境ってどないやねん。……まあ、王族が好き勝手できない体制でもあるということか。それに一言で「新しく水道管を引いた」と言っても、費用もあるし、どうやってどんなルートで引くかとか、簡単なことではないことは分かる。結果、エレフはそれをやり切ったわけだ。もちろん、1人の力ではない。王や王妃、兄、姉、弟、宰相、相棒、国民、みんなが頑張った結果。それの中心であり、舵を取ったのがエレフセリア王子ということだ。
「フォンテ様。どうか僕を眷属にしてもらえませんか?」
私はエレフに負けないように、彼の瞳を見つめ返しながらゆっくり口を開いた。
「ダメです」
「――っな、何故ですか。理由を教えてください」
一瞬大きく瞳が揺らいだが、すぐに冷静な声色になった。けれどその表情からは熱烈さを感じる。たった一言で諦めるほどの熱ではないようだ。
でも私にだってきちんと理由がある。そりゃあ最近新しい担当場所【イエロ】が追加された。めんどくさくて確認に行っていないが、十中八九穴掘り作業があるだろう。それを1人ぼっちでするのは嫌だ。でも、エレフを眷属神にするわけにはいかない理由の方がよっぽど重要。
「眷属とは眷属神……眷属神は『神』です。眷属になるということは、『人』を辞めるということですよ」
「それは重々承知しています! 心からフォンテ様の眷属になりたいと願ったあの時から、すでに覚悟はしていました」
「ではあなたは、私に『眷属になるために死を選べ』と言えと?」
「え?」
「エレフには、あなたを大切にしてくれている家族がいます。命を救ってくれる相棒がいます。慕ってくれている民がいます。そんなあなたを神にすることは、私にはできません」
エレフのことを思って、オアシスには王と宰相が来た。エレフの手紙を見た人が、それを本にした。その本の存在を知った兄が、エレフに教えた。手紙だけでも分かる、エレフが周囲からどんな風に思われているか。手紙にこそ出てこなかったが、王妃や姉、弟とも仲が悪いわけではないはず。
エレフは黙り込んでしまった。あんなにも家族のことも、国民のことも好きなくせに、自分がいなくあった後のことを考えないなんて。そんなに眷属になりたかったのかな。だからと言って、ここで自殺するなんて言い出したら、絶対に眷属にはしない。その選択肢は違う。
さて、エレフはなんと言うだろうか。
しばらくの間、星を眺めて待ってみる。クルークは立ち上がって水を飲んでいる。前もエレフが話し出すのを待ったなぁ。はっきり言って、私はエレフのこともクルークのことも好きだ。だからこそ、今眷属になって欲しいとは言えない。
「……僕にとって、彼らは何ものにも代えがたい大切な存在です。ですが……フォンテ様を慕う気持ちも、お支えしたい気持ちも、本物です。でもっ……!」
エレフの瞳から、1粒の水滴が瞬きによってはじき出された。……泣かせてしまった。意地悪のつもりで言ったじゃないんだけど。そんなに向き合ってくれるとは思ってなかったよ。でも、それくらいにみんなのことを大切に思っていて、私のことも大切に思ってくれていて、どちらか選べないほどに『自殺』のことは考えていないなら――――いいかな。
「これから、十分にあなたの人生を満喫してください。そしてその時、エレフがまだ私のことを支えたいと思ってくれているのなら……その時は、眷属になってください」
「……――え」
「それまで、命を軽んじることを禁止します」
「――っフォンテ様!!」
感極まったのか、エレフは両手を広げて飛び込んできた。残念ながら私は水の中央に立っていたので、陸地から抱きつこうとしてきたエレフは、文字通り水に飛び込んでいった。これは命を軽んじたことになるんだろうか。
大きな水飛沫から顔を出したエレフは、これ以上ないほどに笑顔だ。せっかくの正装も水浸しになってしまい、巻いていたターバンは水面に浮かんでいる。夜だけど、寒くないのかな。このままでは風邪をひいちゃいそうだけど。「気持ちを抑えられませんでした!」と言いながらザバッと陸に上がったエレフは、いい笑顔でクルークの背に積んである荷物をほどき出す。濡れ鼠のエレフに、クルークはちょっと嫌そうに首を反らした。
着替えでも出すのかと思いきや、何故か簡易的なテントが張られた。そのまま他の荷物を中に運び入れる。
「すみません。着替えて参りますので、少々お待ちください」
そこで着替えるんだ。流石に人(神)がいる前で着替えたりしないよね。でも多分頭は濡れたままだろうし、仕方ない。
「クルーク、すぐに戻ってくるので、待っていてください」
クルークが鼻を鳴らしたのを確認し、部屋に戻ってクローゼットに一直線。中から「火の着いたランプ」を取り出す。ついでに「薪」「枝」「枯れ葉」「扇」も出す。火を起こすのは苦労するから、ランプから火をもらおう。本当はマッチとかチャッカマンがいいけど、ないし。
オアシスに戻って枯れ葉・枝・薪をいい感じに組んで、ランプの火をそれに移す。そのまま扇で風を送って、はい奇跡。神は奇跡を起こせるようで、火が着いた。「火よ早く着け」って念じながらやった甲斐があった。焚き木なんて初めてやったけど、初心者はこんなに早くできない気がするからこれは奇跡だ神の力だ、多分きっとおそらく。
クルークも寒さを感じていたのか、火の近くに腰を下ろしている。こういう時、しみじみと感じる。自分は人間じゃないんだと言うことを。神になると暑さ寒さは感じないし、空腹も満腹もない。本当に、なんで私は神になっちゃったんだろうね。
間も無く、エレフがテントから顔を出した。予想通り髪は濡れていたので、温まってから帰るよう促す。
「いえ、今日はここで一晩を過ごします」
「なんでですか、まだ帰れる時間でしょう」
「フォンテ様の眷属になれるのはまだ先なんですよ。それまでにフォンテ様に会える頻度が下がる気がするので、今のうちに堪能しておかないとと思いまして! 僕が帰るまで付き合ってくださいね!」
何それ。
思わず笑ってしまうと、エレフは一層笑みを深める。あれ、お泊まりセット持ってきてるってことは、眷属になった時はどうするつもりだったのか。人間最後の夜とか言って泊まるつもりだったの?
知っていたけど神に対してそこそこ図々しいエレフに負けて、クルークの隣に座り込む。エレフは嬉しそうだ。
「クルーク、あなたは眷属にはなりませんか? クルークなら歓迎します」
「さすがフォンテ様! クルークが優秀なことをよく知っていらっしゃいますね」
「もちろんです。もしクルークが眷属になってくれるなら、一番最初の眷属になって欲しいですね」
「ん? 待ってくださいフォンテ様。僕が第一の眷属になれるんじゃないんですか?」
「いえ、仮にクルークが眷属になってくれなくても、第一がエレフかどうかは……」
「そんな! それはおかしいです!」
クルークからの返事はもらえなかったので、多分彼は眷属にはならないだろう。クルークもエレフが一番最初の眷属になるべきと思っている……かは分からないけど、とりあえず返事らしき反応はない。まあ、半分くらいは本気じゃないから別にい い。半分はクルークを可愛がってみたい気持ちだ。
途中エレフが寝たら帰ろうと思っていたけれど、なんと日中に睡眠をとってきたらしく、万全な状態で夜明け前を迎えた。本当、どういうつもりでここに来たんだろ。
しっかり夜明け前の活動できる時間に間に合うように片付けをし、いつかのように恭しく跪いた。そのまま右手の甲に口づけられる。
「フォンテ様。来たるその日まで人生を謳歌することを、ここに誓言します。そして、必ずあなたの眷属になります」
「エレフセリア・ガナフ・デゼルト=エーデルシュタイン。あなたが今程の約束を守った時には、眷属にすることをここに誓言します」
曙の空に浮かぶ月を背景に、私はエレフとクルークを見送る。
数十年後、エレフがどの選択をするかは分からない。けれど、彼は約束を守る人だと分かっている。どんな結果になったとしても、それを受け入れると決めた。




