25年11月29日号『雑感二本立て』
貴重なお時間を割いて、
無駄文に目を通してくださいまして、
誠にありがとうございます。
年末がじわじわと迫ってきている
感覚から逃げ切れなくなり、
何かを終わらせなければ
ならないような気持ちだけが
膨らんでくるも、実際には
終わらせるべき明確な何かが
あるわけではなく、ただ時間だけが
進んでいくばかり。
この「何もしていないのに焦る」
感覚は、この時期になると
必ず発生します。
例えば今日はいい肉の日。
SNSや広告でもその言葉を見かけ、
焼肉を食べるとか、
少し高めのお肉を買うとか、
特別感を演出しようと試みますが、
その情報を思い出すのは当日で、
思い出したところで
特別に何かをするわけでもない。
朝、「今日はいい肉を食うぞ!」と
息巻いて出かけます。
お昼・夕方とその意思を貫いて、
夕食の買い出しに行きますと
偶然そこにあるのが
半額のラベルの付いた
お弁当やお惣菜。
目を付けたお肉よりも
それらの方が安いとなりますと
釘付けになってカゴに放り込む。
記念日の意識なぞ、忘却の彼方。
結局はレンジでチンするだけの
いつも通りの食事に落ち着き、
記念日は記念日として
消費されるだけで終わります。
語呂合わせの記念日は
分かりやすい反面、
生活の中で活かす難易度は
意外と高いものです。
ニュースを眺めていると、
重要そうな話題、深刻そうな話題、
話題になっているだけの話題等々
国内外の出来事が大量に流れてきて
全てを正確に理解しようとすると
頭が疲れてしまい、
結局は見出しだけを読んで
分かった気になり、
詳細は後回しになり、
翌日は別のニュースに上書きされ、
記憶の中から静かに消えていきます。
情報を追っているようで、実際には
流されるだけかもしれません。
気温は冬に向けて順調に下がり、
外に出ると自然と肩がすくみます。
寒さ対策として温かい飲み物を
選ぶ機会が増え、
自販機の前でどれにするかと
考える時間が日常の一部になります。
選択肢は多いのに、
結局選ぶのは同じ飲み物で、
変化を求めているようで
実は求めていない自分に気付く。
この小さな選択の繰り返しが、
日々の安心感を作っていると
思うことにします。
SNSでは年末を意識した投稿や、
今年を振り返る文章が増え始め、
他人の一年を断片的に眺めながら、
自分はこの一年で
何をしていたかと考えますが、
はっきりとした答えは出ません。
何もしなかったわけではない、
しかし、記憶に残るほどの出来事も
少なく、こう無駄文を綴る時間も、
その一年を構成する一要素に
過ぎないのです。




