25年10月13日号『傾聴のために、その参』
貴重なお時間を割いて、
無駄文に目を通してくださいまして、
誠にありがとうございます。
8月に出演打診を受けて2か月、
まだまだ先の話ですよと
のんべんだらりとしていましたが、
遂にキャラバンの本番が週末と
目前に迫ってまいりますと、
浮き足立ち始めました。
以前、生の声を届けた方がいいと
腹を括ったわけですが、
全くの無策というには……と
考え方に変化が見られます。
それ以上に気掛かりなのは会場。
結構大きな会議場で行われますが、
会場の名前を聞いて一言。
「えっと……そこは何処ですか?」
奈良公園内なのは知っています。
大まかな場所もわかります。
しかし、地元の人間が
地元の観光地に行かない、
殊更奈良は20世紀も21世紀も
外国人観光客がひっきりなしに
訪れますから
中々近寄ろうとはしませんし、
そこに大規模な建物が造られても
「はて、それはなんじゃい?」と
首を捻る浦島太郎状態に
はまり込んでいます。
それで迷って遅刻なんて
地元の人間の名折れですから、
早急にロケハンの機会を
作らなくてはならないようです。
閑話休題……
ピアスタッフという立場上、
雑談力よりも傾聴力を磨こうと
購入する書籍のラインナップも
ガラリ一変しています。
今回はその中の1点、
【アドバイス、厳禁】について。
相談事を持ち掛けられる際、
聞き手側が気を配るのは
話し手側が安心して話せるような
空間・環境を提供することにある。
逸般人は中年のオッサンでして
男性は相談を持ち掛けられると
解決したがる心理があるのだとか。
同じような経験や境遇を持つ仲間が、
支援を必要としている人のそばに
寄り添い、一緒に歩みながら
サポートする活動や姿勢がPeerで、
カウンセラーでもなければ
精神内科医でもない
関係が対等なのが基本であって、
良かれと思ったアドバイスでも
そこに隠れているのは
相手へのマウンティングで
関係性が崩れます。
それに加えてアドバイスとは
「ここをこう変えた方がいい」と
現状を否定するニュアンスが
言葉の端々に滲み出るので
反発や不信感を生むリスクが
付きまといますし
相談者側は
その否定によって
この人に相談するのは無駄だと
持ちかけられなくなる。
更にアドバイスをする側は
相談者側の好転を願うのではなく
自らの不安を解消しようとする
傾向が隠されている模様。
相手の悩みと正対して
理解を深めていくのに心を砕かず
適当なアドバイスで
早々に楽になろうとしている。
更に性質が悪いのは、
良かれと思って話し始めた
聞き手側が徐々に
自己陶酔に浸ってしまう。
傾聴としてこれでは落第で、
耳を傾けるだけに専念する
難しさに直面しています。




