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病巣転移4-2

 敵の予想外の登場に権藤以外の捜査員たちが一斉にどよめく。状況をいち早く把握したリナがグラウに指示を出し、元凶を捕縛しようとする。

「おいおい。折角こうして会いに来てやったっていうのに、シラケたことしないでくれよ。ここは病院なんだから、もっと静かにしてもらわないと困るぜ。遊んでほしいっていうなら、相手はいくらでも用意してやるが」

 そう言って、ピエロが手に持った携帯端末をひらひらと掲げる。妙な真似をすればキメラボディ、あるいはハルマゲドンを暴れさせる。無言の圧力にリナが苦悶の表情を浮かべ、グラウも構えかけたクローユニットを下す。

「よせ。俺との決着なら、ここじゃない場所でいくらでもつけてやる。これ以上無関係の人間を巻き込むのは止めろ」

 余裕ぶったピエロにアンタレスが立ちはだかる。敵の視界を遮るように足を進めつつ、体内のヴィーナスで電波を飛ばす。――彼女たちを呼べ。指令を受け取ったグラウがしぶるように身をよじらせるが、命令を遵守し、外部の味方に暗号通信を飛ばし始めた。

「勘違いするなよアンタレス。俺はただシンデレラを迎えに来ただけさ。あんたの愛しの織姫様、マリア・ハーバードをな」

「……何だと」

 敵の注意を逸らそうとしたアンタレスが逆に翻弄される。おとり捜査でのマリアの符号、しかも彼女がこの病院に収容されていることは、捜査に関わる一部の人間しか知らないはずだった。

「なに、そんなに驚くようなことじゃない。そこにいる権藤さんが色々教えてくれたってだけのことさ。おとり捜査のルートと護衛の配置、マリア・ハーバードの収容先。FBIになりすまして、あんたの秘密を教えてやるっていったら、喜んで協力してくれたぜ」

 アンタレスの中で何かが弾け、ファイブセブンの銃口を権藤に向けようとする。その衝動に歯を食いしばって抗い、こちらの反応を見て楽しんでいるピエロを射殺さんばかりに睨みつける。

 おとり捜査の決行前に警視庁内部から発信された通信電波、そこからリークされた情報が襲撃者にとっての天啓となり、アンタレスたちにとっての悪夢を生み出した。人の心の隙間に入り込み、感情を煽り、思うがままの状況を作り出す。そうして権藤を悲劇の元凶へと仕立て上げた。そんなピエロのやり口を、アンタレスは二年前に体感していた。

「なるほど。そうやってお前はまた他人を利用して、いいように動かしていたというわけか。だが、お前自身ははたしてどうだろうな? 誰が俺の秘密を漏らしたのかは知らんが、そいつが一筋縄でいくような相手じゃないのは確かだ。今頃は道化を演じているお前を見て、どこかでほくそ笑んでいるに違いない」

 アンタレスの過去、Vウイルスの根幹に関わる出来事を知る者は限られている。スターライト・バレット創設時のエージェント、かつてアンタレスが属していた頃のCIA幹部、現WHO事務局長。世界を変えかねない情報は彼らの中でのみ共有され、相互監視によって隠匿されてきた。ピエロに情報を漏らした存在はそれらを巧妙にかいくぐり、彼の復讐心をあおって手綱を握り、今回の事件を起こさせたということになる。

「……言ってくれるじゃないか。WHOの犬風情が」

 ピエロの仮面の下から笑みが消える。

「俺はあんたとは違う。力がありながら、権力者に媚びへつらうような奴とはな。例えFBIだろうが何だろうが、俺の手のかかればあっという間さ。連中に成り代わるために、銀座で密会を済ました直後に始末してやった。日本の景色を楽しんでもらおうとまとめて川に放ってやったが、あんなので俺たちからキメラボディを取り返そうとするなんて、FBIもペンタゴンも舐めたことしてくれたぜ」

 アンタレスの脳裏に、顔を抉られた変死体の事件が浮かび上がる。

「まさか、あれもお前たちの仕業だったのか。あんなむごい仕打ちまでして、そこまでアメリカが憎いのか?」

「さぁ、どうだろうな? だがそれを言ったらあんたも同じだろ? いつだったか、CIAにハメられて、本部の襲撃に紛れて消されかけた。そして二年前の国防省の作戦。あの時もいいように利用され、あんたの部隊も、そしてっ! カローラも死ぬ羽目になった。だがな、てめぇに誰かを憎む権利なんかないんだよ。お前の存在そのものが、全人類にとって憎悪の対象なんだからな! それを分かれってんだよ!」

 ピエロが嗤いながら悲しみ、怒りながら叫ぶ。白い仮面の奥、露わになりかけている敵の正体、どっと押し寄せる感情の濁流にアンタレスは戸惑っていた。かつて共に戦い、死んだと思っていた人間が再び現れ、なぜこれほどまでに恨みを募らせているのか?

「お前に言われるまでもない。俺は憎まれて当然の人間だ。それでも、お前を許すつもりは毛頭ない」

「そうじゃねぇんだよ。あんたの家族やウイルス以前の問題だ。例えばここにいる無能な警察ども。あんたが日本に来て事件を解決する度に、こいつらは守るべき市民から責められ、無能の烙印を押されてきた。あんたにできることが、こいつらにはできない。あんたの存在がこいつらから存在意義を奪い、社会的に殺してきた。恨まれても当然だろ? あんたに死んでほしいと思ってる奴がいても不思議じゃない」

 ピエロが値踏みするように捜査員たちを見渡す。バツが悪そうに視線を逸らし、舌打ちをし、汗をたらし、体を小刻みに震わせる。そこにいる誰もが、彼の発言を否定しようとしなかった。

「どうだ? みんなお前のことがが邪魔なんだとさ。あの孤児院の時のように連中はお前を見放したし、情報だってベラベラしゃべる。そうだろ権藤さん? あんただって騙されたフリをして、本当は俺が犯人だと知ったうえで情報を漏らしたんだ。俺がアンタレスを始末してくれると期待してな。やれやれ、日本の警察がここまで腐ってるとは、正直俺も驚きだぜ」

 権藤は答えない。どこに視線を合わせるわけでもなく、自分は無関係だと言いたげにその場に佇んでいた。情報漏洩の張本人、裏切り者の身勝手な態度と取り巻きたちの動揺、その様を目の当たりにしたアンタレスの中で、鬱積した感情が臨界点を超えた。わずかに残った信頼もろともドロドロと溶解し、胸中を焦がしながらこびり付いていく。空間に立ち込める憎悪の渦の中で、ピエロの笑い声がわずらわしく響く。

「実に爽快。実に愉快だな。所詮人間なんてこんなもんさ。……さて、ほどよく場が和んできたところで、そろそろ余興を始めようじゃないか。お互い、いい時間稼ぎができたみたいだしな。イッツ、ショータイム!」

 敵が高らかに宣言し、右手をゆっくりと掲げて指をはじく。直後、天井から轟音が鳴り響き、病院全体が振動と衝撃に包まれた。

(上から! まさかマリアさんが!)

 アンタレスが瞬時にファイブセブンを引き抜き、ピエロの頭に狙いを定める。

「おっと、俺とやりあうのはここでじゃないんだろ? こっちの正体にはもう感づいているようだし、俺もまだまだ復讐し足りない。ふさわしい場を用意してやったから、うまく切り抜けてたどり着いてくれ。こんなところで死ぬんじゃないぞ、アンタレス」

 ピエロが体を横に逸らし、射線から逃れる。その奥、入り口のガラス扉の向こうで、黒い巨体が背中から飛翔体を発射した。

「っ! 全員伏せろー!」

 アンタレスの叫びと同時にガラスが突き破られ、ロケット弾頭がロビー内で炸裂した。



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