怒りが爆発しました。
帰省を断ったものの、それ以来わたしは無性に寂しいやら不安やら、なんだかそわそわと落ち着かなかった。
久しぶりに優しい言葉をかけられたせいだろうか。
なんだか、ここにいられないような。
ふっと自分がどこかへ飛んで行ってしまいそうな‥‥。
心の重石があれば、きっと、こんな不安定な気持ちはなくなる。
ここにいていいんだと思わせてくれる存在があれば。
夫が帰ってきて、早く安心させてくれないかと、気がはやる。
夫が帰ってきたのに気付いたのは、夕方だった。
お昼頃には帰っていらっしゃいましたよ、と執事が言ったのに、ひどく衝撃を受けた。
なぜ。屋敷にいたのに、ぜんぜん気付かなかった。
夕食で顔を合わせることになるのだが、それを待てずに、いつもは入らない書斎に向かった。
少しでも早く会いたかった。
「ありがとうございます!だんな様、すごくうれしいですっ。」
黄色い声が、扉の外まで漏れている。
ノックをして、返事も待たずに扉を開けた。
書き物机の前に使用人の少女ミナが立ち、その目の前に夫が寄り添っている。
夫の手が彼女の髪に触れ、髪飾りを付けているところだった。
彼女の髪に光る飾りは、夫が赴いていた地方で知られる銀細工だ。
おみやげのプレゼントだろう。
2人は同時にこちらに目を向けた。
その目が、まるで初めて見る相手を前にしたようで。
わたしと彼らの間に、深い溝を感じる。
この屋敷に来てから常に感じていた疎外感を、今ほど意識したことはない。
なぜあの時、父の侍従と一緒に行かなかったのか、本気で後悔した。
父の思惑は別にしても、彼はわたしのことを心配してくれていたというのに。
足がすくんで動けなくなり、逃げるように書斎を後にした。
自室に戻っても動悸がおさまらず、呼吸も荒いまま、落ち着くことができなかった。
そして、その勢いのまま、再び部屋を出た。
わたしはもう鬼の形相になっていたと思う。
例の指輪が盗まれた件で、屋敷の者たちから信頼を失っていたのだが、もはやそれとは比べものにならないくらいのことをした。
使用人たちの使っている部屋に行き、ミナに掴みかかって髪を引っ張り、髪飾りを床に投げつけ壊したのだ。
周囲は静まり返っていた。
この屋敷は嫌だ。
こんなことをする自分も嫌だ。
わたしにこんなことをさせる夫も嫌だ。
もうなにもかもが嫌だ。
気付けば厩舎にいて、鞍を付けることなく、裸馬に飛び乗って屋敷を飛び出した。
最悪の行動だ。
およそ、貴婦人らしくない。
もっと毅然と、使用人たちに接しなければならないのに。
独身時代に散々教え込まれた貴婦人としての振る舞いが、何も生かせていない。
夫を誘惑する使用人女など、鞭で打ってもいいくらいだ。
そう、こんなふうに逃げ出さずに、堂々としていればいいのに。
わたしがいなくなって、夫や使用人たちはこれ幸いと屋敷の門を閉めているだろうか。
戻れば、精神の病気だとして閉じ込められるだろうか。
なぜ、彼はわたしを選んだのか。
夫の浮気に平気でいられるような女ではない。
浮気をするつもりなら、わたしなど選ばなければ良かったのに。
選ばないで欲しかった。
こんなふうに扱うなら、結婚など申し込まないで欲しかった。
大切にしてくれると、愛してくれると期待して、付いてきてしまったではないか。
どこに行こう。
どこにも行く場所はない。
帰る方法を見失い、わたしは馬首を、わたしが唯一所有する領地の方向へと向けた。




