緑の瞳のルクレツィア・後
今日はいつ偶然通りかかるつもりかしら、と窓越しに通りを眺めながらルクレツィアは考えていた。いや、手ぐすね引いて待っていた、と言った方が正しいかもしれない。
王都下町、商業区の外れとはいえルクレツィアほどの若さで独立した細工師はほとんどいない。まして、彼女は女の身である。父親の研究室にあった防犯アイテムをこっそりちょろまかして来ていなければ、女手ひとつで切り盛りすることはできなかっただろう。用心棒を雇えるほど懐に余裕はないのだから。
だが、そう言った事情は外からはわからない。細工師の工房であれば貴金属はそれなりに、しかも店主の女ひとりしかいないとなれば、あぶれ者から見れば恰好の餌食だ。
いい加減男手を雇った方がいい、といかにも真面目な衛兵ぶって忠告してきた男の青い瞳を思い出す。真面目くさった表情を作ろうとして、目を合わせるだけで耳の先から真っ赤になってそわそわと落ち着きなく爪先を浮かせていたのだから、恋情を隠せていると信じているのは本人くらいなものだった。彼が指導役を務めている新人騎士たちですら、彼の背後で苦笑いしていたのだ。真正面から向かい合っていたルクレツィアにわからないはずもない。
父に似た顔立ちのおかげで異性から好意を寄せられる経験はそれなりにある。つり上がった目じりはどうしてもキツい印象を与えがちだが、これでも客商売だ。猫みたいだねと表される程度にキツさを和らげる化粧くらいはお手の物。身だしなみにだって気を遣い愛想だって悪くない。これで一度もモテたことがないだとか、自分に向けられた好意に気づかないなどと、カマトトぶるつもりは毛頭ない。
だからこそ、いつ告白してくるのかと待ち続けていたのだけれど、それもいい加減飽きてきた。
出会いはこの工房に強盗が押し入った時、ちょうど巡回終わりで通りかかった騎士として――ということになっている。そういうことにしたいと向こうが思っているようだったので、ルクレツィアもその時が初対面のように振る舞った。暴漢を制圧した手際こそ鮮やかだったのに、その後の事情聴取でやたらと落ち着きなく視線をあちらこちらとうろつかせ、調書にあるルクレツィアの名前を読み上げるだけでどもり、赤面し、かと思えば何もないところでつまずいてしたたかにドアに額を打ち付けた。あまりのポンコツさに、思わず妙な感心すら覚えたほどだ。
また妙な男に目を付けられたな、面倒だな、という感情はいつしか面白がる気持ちが大部分となり、あまりに健気に、一途にひたむきに想ってくるものだから。
ほだされたのだと、言ってしまえばそれだけの話である。あそこまでわかりやすくこちらへの好意を全面に押し出して、なのに自分の気持ちを隠せているつもりだというのがまた愉快で、いつになったら腹をくくるのだろうと眺めていた。
眺めて、待って、待って、待って……ええいまだるっこしい、とルクレツィアは舌打ちをした。まさか年単位でぐずぐずぐずぐずやっているとは思わなかったので。
生来、彼女は気が短い。母親のお腹の中という安住の地もさっさと抜け出して、時機を待てと窘める父親に反発して家を出て、独り立ちには若すぎると同胞の苦言も無視して王都に工房を構えた女だ。機を見るに敏、どう考えても誰が見てもルクレツィアに惚れているのに、いっこうに行動に移そうとしないというのならこちらから動けば手っ取り早いと、つまりはまあそういう結論に至ったのである。
夕刻、閉店間際。いつものように店の前を偶然通りかかった男をひっ捕まえて、奥にある工房に連れ込む。
夕焼けよりも真っ赤な顔で、震える声で、言葉ばかりは平静を装っていきなりなんだとかのたまうものだから。
首根っこひっ捕まえてガツンと一発。前歯同士が当たったって? 初めて同士なんてそんなものじゃないかとルクレツィアは自分を笑う。
『あたし、あんたが好きよ。あんたがあたしを好きなのと同じくらい』
なにが起きたのかわからない、なんて両目をかっ開いて茫然とする男に、ルクレツィアは思わず笑い声までこぼしてしまった。
かわいい男だ。愛しいヒトだ。首筋まで真っ赤になって固まって、でかい図体して頭ひとつ分以上小さい女にいいようにされてしまうのだ。そう思えば、ルクレツィアはどこまでも愉快で幸福な気持ちになった。
だと、いうのに。
『――ご、』
『ご?』
『ごめんなさいっ!!!!!』
脱兎のごとく。
まさにそんな表現そのままに、遁走し逃走していく男の後ろ姿はあっという間に見えなくなり、遅れてバタリとドアが閉じる。
今度はルクレツィアの方が茫然と立ち尽くして、どこにも行き場のなくなった腕をゆっくり見下ろして、ドアを見て、もう一度自分の腕を、つい先ほどまで愛しい男を捕まえていた両手を見下ろして。
『……………………は?』
腹の底から声が出た。ルクレツィア自身、初めて聞くような低い低い――ドスのきいた声だった。
*
魔力光が閃き、一時的に開かれた魔術の道を通って何かが近づいてくる。
未熟な魔術師であれば渦巻く魔力が放つ不可視の光を眩しいと錯覚し、思わず目を閉じてしまっていたかもしれない。しかしソルヴェールは魔術師ではあるが未熟とは言い難く、そんなことよりも気を失い倒れかけたライラの方が重要であった。
そのままであればアーヴィング翁に倒れこんでいたであろうライラの腹部に腕を回し、自身に引き寄せる。入れ替わりに、魔術の道からやって来たモノふたりが空中に躍り出た。
「「てぇぇえんちゅううぅ!!」」
「やめんかこのバカ娘が!!」
おお、とソルヴェールは目の前の光景に感嘆の声を上げた。身体を分解し魔力の塊となった上での移動と、到着点での身体の再構築――いかに彼女たちが肉の身を持たないとはいえ、少しでも計算を間違えればそのままただの魔力として大気に散ってしまいかねない荒業だ。ソルヴェールとて、理論はわかるが試してみようとは思わない。
身体の再構築が終わった途端、文字通り踊りかかって来た二体の少女人形を「はいはい元気ですねえ」とあっさりエヴァが無力化した。ふたりの腰紐をつかんで床に引き倒したのだ。ついでに彼女たちの上に腰を下ろす念の入れよう、確実にこのやり取りに慣れていた。
「母にもらった体はどうした」
床に這いつくばるふたりを睥睨し、アーヴィング翁は眉間の皺を深くする。
ルルとロロは互いに顔を見合わせて、自分たちの上に座るエヴァを見上げ、最後にアーヴィング翁を見た。
「あの体、限界だった」
「へましたの、屈辱」
「子どもか、ちょっとだけ長生きするか」
「そんなの悩むまでもなかったから」
ふたりが交互に、まるでひとりで喋っているかのように返答していく。
エヴァに比べればいささか拙い話し方であったが、アーヴィング翁が訝しむ様子はない。
「母さんの娘だから、知ってた」
「私たちになれば問題解決」
「あの子も無事に生まれて」
「私たちはあの子の傍にいられる」
「完璧ね」
「完璧だわ」
「あらあらまあまあ」
「何ひとつ完璧ではないわこのバカ娘」
今更ながら、ソルヴェールは思う。
この会話、自分が聞いていても良いものだろうか、と。
「それより、何したの」
「何したの、ライラに」
ぐりん。床に這いつくばったまま、二百度以上首を曲げて顔を向けてきたふたりに、ソルヴェールはにっこり愛想よく笑った。
「ご安心ください。少し……魔力酔いしたようです」
「……これ、ジジイの魔力」
「私たちより魔力相性良い、屈辱」
「ライラちゃんは礼儀正しくって控えめな女の子ですからねえ。疑り深くて慎重なマスターと気が合うんですよ」
「むう」
「ぬう」
不満げな様子を隠しもしないふたりだが、どうやらひとまず落ち着いたらしい。
エヴァが上からどくと、すぐにふたりはソルヴェールのもとへ駆け寄って来る。
いや、正確には、ライラのもとへ。
「私たちを置いて行くなんて、悪い子」
「私たちを囮にするなんて、賢い子」
「……彼女は、貴女のことを?」
「知らないわ」
「教えないでね、金の騎士」
「どうでしょう。私は彼女にとても弱いので」
言って、ソルヴェールは腕の中のライラに視線を落とす。
彼女からつながる魔力糸を、アーヴィング翁は強引に引き寄せた。これはつまり、他者の魔力が直接自身の魔力に接触するという、日常生活ではほぼ起こり得ない事態である。
通常、魔力は肉体の殻に押し込まれ他人のものと触れ合うことがない。外界、つまり大気中に存在する魔力は時折侵入してくるが、それらは空気と同じ、何の属性も指向性も持たない純粋な魔力なので、拒絶反応が起きることはない。
魔力は万物が生存し思考する源の力とされている。適合しない他者の血液を体内に取り込めば命の危険があるように、体内の魔力は他者の干渉を許容しない。ひどい拒絶反応が起きるのだ。
かつて、現在よりも魔術士が多かった戦乱の時代、多くの魔術師は戦場で魔力を枯渇させて命を落としたという。大気中の魔力は一度に取り込める量に限界があり、他者や魔石からの魔力供給は不可能であったためだ。
それでも、意図せず他者の魔力が体内に侵入してしまった場合起きる症状を魔術士たちは「魔力酔い」と呼んだ。文字通り、ひどい二日酔いのような症状に悩まされるからだ。
おそらく苦痛を感じる隙もなく昏倒しただろうライラだが、これは侵入してきた魔力との相性が比較的良い場合に起こる。仮に相性が悪かった場合、死ぬほどの苦痛に苛まれながらけっして意識を失えない、文字通り最悪の状態になるという。
「記憶の連続性は人格の同一性を担保しない。この娘の『母』……家出娘のルクレツィアは死んだのだ」
ましてふたつに分けるなど、と苦虫を嚙み潰したような表情で吐き捨てるアーヴィング翁に、エヴァがこてりと首を傾げる。
「破魔石をふたりで分け合ったのですか?」
「馬鹿な。心臓を文字通り半分に分けるようなものだ。だからこそ、この娘と魔力糸で常に繋げておく必要がある。……我が娘ながら、なんと愚かな」
だが、アーヴィング翁の嘆きをルルとロロは一顧だにしていない。
意識のないライラの頬をつんつんつついて、少し荒れてる、水分不足よ、お手入れさぼったのね、などと自由気ままに会話している。
「まあ……マスター、ご覧ください。あのふたりの楽しそうなこと……」
「……いっそ腹立たしいほどにな」
「まさかこの年齢になって娘がふたりに増えるなんて。長生きはするものですね、マスター」
「お前のその能天気さもいい加減どうにかならんのか。月日が経つごとに適当になりおって」
「マスターがしまり屋ですから、バランスが取れていてよいと思いませんか、ライラちゃんの求婚者さん」
「ええ。いずれ私もライラとあなた方のような夫婦になりたいものです」
「あらあらまあまあ。聞きましたか、マスター」
「……はあ」
深く深く息を吐いて、アーヴィング翁はぐったりと椅子の背もたれに身を預けた。




