7話 不向きな恋
「イヴォンヌ!」
フランチェスカは、倒れたイヴォンヌを抱き起こした。
イヴォンヌの顔色は悪く、全身は震えている。先ほど飲んだのは毒だったのだろう。
「どうして……とにかく、シスターを呼んでくるから! だから――」
「無駄、よ。助からない量を……飲んだの、だもの」
息も絶え絶えに、イヴォンヌは答える。
彼女の死は避けられないのだと、医学に疎いフランチェスカにもわかった。
「イヴォンヌ……」
「ふふ……あなたは、私の死にも……泣いてくれる、のね」
イヴォンヌはフランチェスカの涙を拭おうと手を伸ばしたが、その手はフランチェスカの頬に触れる前に力無く落ちた。
「イヴォンヌ……?」
イヴォンヌの死に顔は穏やかだった。シュゼットが浮かべていた笑みによく似ていると、フランチェスカは思った。
「フランチェスカ、今いいですか」
自室で片付けをしていると、シスターが訪れた。
応答して部屋に招くと、淡々とシスターは一連の事件について話をしてくれた。
「やっぱり、みんな自殺で片付けられるんですね」
「……ええ。それが、伯爵家の意向ですから」
イヴォンヌの生家である伯爵家は、この修道院に多額の寄付をしている。その上、伯爵家はこの国でも有力な貴族だ。弱小の修道院が逆らうことなどできないのだろう。
フランチェスカとて、曲がりなりにも貴族だ。理性は伯爵家に従うしかないのだと理解はしている。
だが、感情は納得できなかった。
「わかりました。私も、今回のことは一切公言しません。……でも、なぜイヴォンヌがああなったのか、それだけは教えてくれませんか?」
シスターは頷き、語り始めた。
「イヴォンヌは庭師の男と恋に落ちたんです。彼との結婚を認めてくれないのなら、平民になっても構わないと父親に直談判までしていたそうです」
当然ながら、イヴォンヌの願いは聞き入れられなかった。
父親は早急に対策が必要だと、友人の息子でありイヴォンヌの幼馴染でもあった令息を婚約者に据えた。
家格が釣り合うからというのが第一の理由だが、婚約者は幼い頃からイヴォンヌを愛していたから、きっと良い関係を築けるだろうと期待した。
「ですが、イヴォンヌは婚約者を強く拒絶しました。庭師と無理やり引き剥がされたためか、精神にも不調をきたしました。そのため、この修道院に来たのです」
「ここは、ぎりぎり貴族でいられるような下位貴族の令嬢ばかりですからね」
万一問題を起こしても、今回の事件のようにもみ消せる。
シスターはフランチェスカの言葉に、肯定も否定も返さなかった。
「イヴォンヌが情緒不安定になってないか、常に気にかけていました。彼女は話に聞いていたように感情的になることもなく、表面上は問題ありませんでした」
内面で問題があったのだろうか。
フランチェスカの疑問に答えるように、シスターは続ける。
「イヴォンヌは時折、目に見えない何かと話していました」
「……悪魔ですか?」
「彼女は濁していましたが……おそらくはそうでしょう。精神的なショックからくる幻覚と幻聴だと思います。夜間に礼拝堂で話すくらいでしたから、治そうと介入して悪化させるよりも自然に回復することを期待しました。それで上手くいっていましたから。……彼女の結婚の日付が正式に決まるまでは」
婚約者が帰国し、結婚の日付が決まった。そう告げる手紙を受け取ってから、彼女の心は完全に壊れてしまったのかもしれない。
「犠牲者が出た時、最初のひとりふたりは本当に自殺したと思ったんです。稀ですが、結婚を悲観して自ら命を絶つ令嬢もいましたから」
けれど、三人、四人と犠牲者が増えていくにつれ、シスターは不安に襲われた。もしかしたら、イヴォンヌが関わっているのではないかと。
イヴォンヌにそれとなく尋ねてみても当たり障りのない返答しかない。証拠がないのに上位貴族を拘束する権限もない。
もし強行すれば、娘を大事にしている伯爵家からどんな報復があるのかわからない。
「犠牲者は夜に被害にあっている。だから、夜間の外出を禁止したのです。そうすれば、これ以上は被害が出ないと思って」
けれど、シュゼットは夜間に外出し、犠牲となった。
何故、真面目なシュゼットが外出禁止の規則を破ったのか。今のフランチェスカにはその理由がわかる気がした。
「シュゼットは、イヴォンヌの犯行だと薄々気づいていたのかもしれません」
人に聞かれず話をするために、礼拝堂でイヴォンヌと待ち合わせをしていた。
だから、シュゼットはまっすぐ礼拝堂に向かった。イヴォンヌも礼拝堂へ向かっている時に尾行するフランチェスカに気づき、背後から襲って気絶させたのだろう。
亡くなったシュゼットが浮かべていた笑顔も、イヴォンヌを慮ってのものだろう。
自身の死を前にしても、シュゼットはイヴォンヌを気遣い、励まそうとした。彼女はそれほど優しい人だった。
「そうですね。シュゼットは勘の良い子でしたから」
シスターは目を伏せてつぶやいた。
「イヴォンヌもかつての恋人への妄執を捨てることができたら、幸せになれたのかもしれないのに」
そんな言葉を残して、シスターは部屋を退室した。
ひとりになったフランチェスカは作業の途中であった片付けを再開する。
シュゼットが残した新聞記事の整理だ。彼女の遺族はフランチェスカが欲しいものがあったら受け取ってほしいと言ってくれた。
記事を読んでいると、シュゼットと語り合った日々を思い出す。
涙を拭いながら、作業を進めた。
「あら。この記事……」
数年前の国内の新聞を手に取る。そこには北方の地で、貴族令嬢をたぶらかしたとして庭師の男が鞭打ちを受け亡くなったことが記載されている。
庭師の男を罰したのは令嬢の婚約者だ。
ふいに、イヴォンヌの顔が浮かんだ。彼女があれほど婚約者を嫌っていた理由が理解できた気がした。
愛する人と結ばれるために、罪もない人々を犠牲にすること。それは恐ろしく、むごいことだと思う。
イヴォンヌがシュゼットたちを殺したことは今でも許せないし、一生許すこともないだろう。
だが、イヴォンヌやシスターの言うように、その想いが妄執だとフランチェスカには思えなかった。
『彼のことを忘れられないのなら、シスターになる道もあった。そう、彼のために生き続ける道もあったのよ。……でも、私はこの道しか選べなかったの』
泣きそうな顔で笑ったイヴォンヌの想いはまさしく――
「愛だったと、私は思うわ。イヴォンヌ。あなたはずっと一途に、庭師の彼を愛していたのよ」
フランチェスカは窓の外を見上げる。
ここ数日の嵐が嘘のように、晴れやかな青空が広がっていた。
その夜、フランチェスカは机に向かっていた。
そろそろ婚約が決まったことに対する返事を書かなくてはならない。
以前と違い、スラスラとペンを走らせることができた。書き終わり、内容を確認する。
婚約を了承し、婚約者との面会を楽しみにする旨を書いた。フランチェスカの偽りのない本心だ。
イヴォンヌの人生を賭した愛を目の当たりにして、フランチェスカは悟ったのだ。このように強く激しい想いを貫くことは自分にはできないと。
劇的な恋への憧れは今もあるが、憧れは憧れのまま大切にしていよう。
「婚約者に恋をすることだってあるもの。もしかしたら、顔合わせが運命的な出会いになる可能性だってあるわ」
どうか、良い出会いとなりますように。
そう願いを込めながら、フランチェスカは手紙に封をした。




