5話 疑念と友情
フランチェスカが次に目覚めた時に視界に映っていたのは、見慣れた天井だった。
視線を辺りに巡らせる。見慣れた部屋――自室にいるようだ。
「ああ、フランチェスカ! 目が覚めたのですね!」
シスターが安堵の声を上げ、フランチェスカに駆け寄る。
「シスター、私は……」
寝起きの良いフランチェスカはすぐに昨夜のことを思い出す。
人目を避けるように夜中に部屋を抜け出したシュゼット。彼女を心配して尾行していたら、何者かに背後から頭を殴られた。そして、気を失った。
「あなたは廊下で倒れていたのですよ。朝に見つけて驚きました。後ろから誰かに殴られたみたいですね。……ああ、後頭部にタンコブができているから、触ってはだめですよ」
フランチェスカは頭に伸ばしかけた腕を戻し、シスターを見る。
「あの、シスター。……シュゼットは?」
シュゼットのベッドは空だった。
窓から見える空は相変わらず荒れているが、昼間であることがうかがえる明るさだ。だから、シュゼットは起きて活動しているだけ。
彼女のベッドがいつものように綺麗に整えられていたなら、フランチェスカもそう思っただろう。
だが、シュゼットのベッドは乱れたままだった。彼女は起きたら必ずベッドを整えるのに。
シスターの顔が曇る。
嫌な予感がする。フランチェスカは震える手を握りしめた。
「シュゼットは……亡くなりました」
礼拝堂に足を踏み入れた瞬間、フランチェスカは寒いと思った。
真冬の底冷えする寒さよりも、ずっと骨身に染み入るようだ。
シュゼットは棺の中で眠っていた。そう錯覚するほど、穏やかな死に顔だった。
声をかければ、すぐにでも目を覚ましそうだ。
「シュゼット、どうして……」
彼女の目は固く閉じられている。もう、あの優しい緑の瞳を見ることはないのだろう。
涙を流すフランチェスカに寄り添い、シスターは静かに語った。
シュゼットは礼拝堂で、何者かに殴り殺されていたと。苦しかったはずなのに、何故かその顔には笑みがたたえられていた。
「きっと、神様が見守ってくださっていたからでしょうね」
礼拝堂に掲げられた大きな十字架を見上げ、シスターはつぶやく。
違う、とフランチェスカは思った。
シュゼットは真面目に神学の授業を受けていたが、敬虔な信徒ではない。神を不安を和らげる拠り所としていたが、心から信じていたわけではない。
あの笑みは人を励ます時の笑顔だ。不安や悲しみにくれる友を想う、彼女の優しさだ。
フランチェスカはその笑顔に何度も救われてきたのだ、間違えるはずがない。
けれど、フランチェスカはシスターには何も言わなかった。
「フランチェスカ」
顔を上げると、そこにはイヴォンヌがいた。
フランチェスカの顔を見て、イヴォンヌは開いた口を閉じた。どんな言葉をかければいいのか、迷っているのだろう。
「私は大丈夫よ。さすがに昨日の今日じゃまだ立ち直れないけど……落ち込んでたままじゃ、あの子に怒られちゃうもの」
「……そう。そうね」
イヴォンヌはフランチェスカの隣に座った。
頑強に作られた談話室はとても温かい。あの寒々しい礼拝堂とは大違いだ。
「イヴォンヌ。私、シュゼットはもっと生きたかったと思うの」
シュゼットが殺されたことは伏せられている。殺人犯がいることがわかったら、皆がパニックになるからだ。
内々に調査をするから黙っていてほしいとシスターに固く口止めされていた。
当然、フランチェスカが殴られたことも秘密にしなければならない。
フランチェスカは悔しかった。シュゼットは殺されたあげく、自殺したと嘘の死因を公表された。
秘密裏の調査に自分も加えさせてくれと言ったが、危ないからと却下された。
フランチェスカは子爵令嬢だ。もし万一のことがあったらとのシスターの懸念はわかる。
それでも、それを信じられるほどフランチェスカも馬鹿ではない。
「シュゼットは婚約を受け入れてたわ。最初は気が乗らなかったけど、婚約者と良い家庭を築けるよう頑張ろうとしていたの」
シスターは修道院の名誉をとった。殺人より自害のほうがまだ評判を落とさないから。他の修道院でも結婚を苦に命を絶った令嬢はいた。
シュゼットは力の弱い男爵家だ。だから、きっとシュゼットの死は自害で片付けられる。
彼女の尊厳は毀損され、彼女の家名まで傷つけられた。婚約を苦に自害する令嬢は貴族の役目を果たさなかったものとみなされるから。
「あの子は死を選ぶような子じゃない。憧れだった恋愛を諦めても生きることに前向きだった」
「ええ。ええ。……私も、それをよく知っているわ。だから、フランチェスカ」
イヴォンヌがそっとハンカチを差し出す。
フランチェスカは自分が泣いていることに気がついた。礼を言い、受け取ったハンカチで涙を拭う。
ハンカチからはハーブの優しい香りがした。
「……いい香りね」
「お気に入りのアロマなの。彼が好きな香りだったから」
イヴォンヌが寂しそうに微笑む。
彼女の婚約者は留学中で長いこと会っていないと聞いている。
きっと彼女はこの香りを身につけることで、愛する彼のいない寂しさに耐えているのだろうと、フランチェスカは思った。
その夜、フランチェスカはなかなか眠りにつけなかった。
誰もいない隣のベッドを見て、ため息を付く。
「ハーブティ、飲もうかしら」
いつもはシュゼットが用意してくれていたから、今日は飲んでいなかった。
上着をはおり、扉から廊下に出る。歩き出そうとして、廊下の先に誰かがいることに気がついた。
「あれは……イヴォンヌ?」
修道服を着たイヴォンヌは迷いなく歩いていく。
先日のシュゼットの姿が脳裏をよぎり、そのまま追いかけようとした。だが、それでフランチェスカは何者かに頭を殴られた。
たまたま命は助かったが、次また同じ目に遭って助かる保証はない。
「ここで私も殺されたら、シュゼットのように自殺で片付けられるのかしら」
自嘲気味につぶやいて、気づく。
もしかしたら、これまで自害したとされる令嬢たちも、殺害されていたのではないかと。
彼女たちが自ら死を選んだことは、すべてシスターたちから聞いていた。
既にシュゼットの件で、シスターは嘘をついている。その可能性は高い。
それが事実なら、犯人は何人も手にかけてきた殺人鬼だ。イヴォンヌも、シュゼットたちのように殺されてしまうかもしれない。
フランチェスカは部屋に戻り、隅に置いていた日傘を手に取る。護身用には頼りないが、手ぶらよりも遥かにましだろう。
それに、シュゼットがプレゼントしてくれたお気に入りの日傘だ。
「シュゼット、どうか力をかしてちょうだい」
祈りを込めると、フランチェスカはイヴォンヌの後を追った。




