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令嬢は一途な恋を見た  作者: あやさと六花


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1話 噂話

「――そうして想い合ったふたりは見事に試練を乗り越えて、結ばれたのよ」


 友人のシュゼットが語り終えると、フランチェスカはため息をついた。


「やっぱり、何度聞いても素敵ね……」

「あなた、本当にラブロマンスが好きなのね」


 シュゼットは呆れたようにフランチェスカを見たあと、近くに置かれている刺繍糸に手を伸ばした。


 修道服に身を包んだふたりは僻地にある修道院にて、手習いの刺繍に励んでいた。この国の令嬢教育の一環だ。周囲にも同じ年頃の令嬢が同じように刺繍の課題をこなしている。

 はじめの頃は糸を通すことも困難だったが、今ではすっかり慣れ、こうして雑談をしながらこなせるようになった。


「あら。シュゼットだってラブロマンスが好きだったじゃない。幼い頃から愛を育んだ王族同士の恋、敵対する家同士の恋、身分差のある恋。国内から海外までそうした話が載った新聞も見せてくれたじゃない」

「好きだったし、憧れたわよ。……婚約が決まるまではね」


 シュゼットは深いため息をついた。彼女は先月、実家の男爵家から婚約者が決まったとの報せを受けたばかりだ。


「シスターになる気もなかったし、ここに来た以上覚悟はしていたけれど……実際に婚約者ができたとわかると気が重いわね」


 この国では未婚の令嬢は修道院に入り、様々なことを学ぶ慣習があった。貴族女性が身につけるべき礼儀作法、家裁、刺繍などの嗜みに至るまで数年かけて学ぶのだ。

 その後、社交界デビューを終えてから婚約者を見つけることもあるが、大抵はシュゼットのように修道院にいる間に親が婚約者を選ぶことの方が多い。


「舞踏会で運命的な出会いを果たすのはやっぱり難しいのね……」


 恋をして結婚に至った令嬢はいないわけではない。実際に去年までここにいた令嬢は舞踏会で出会った令息と意気投合し、婚約まで至った。

 それを知らされた時、多くの令嬢は希望を持ったものだ。自分たちも、もしかしたら彼女のような恋ができるかもしれないと。


「あれはあの子がたまたま運が良かっただけよ。婚約する前にこの修道院から出ることも稀なんだし。……本当に羨ましいわね。人となりを知ってから惹かれた人と結ばれるなんて」


 さみしげに目を伏せるシュゼットに、フランチェスカの胸が痛んだ。彼女がどれほど恋愛結婚に憧れていたのか、よく知っていたからだ。

 

 何と言葉をかけるべきか悩むフランチェスカに、シュゼットは優しく微笑んだ。深い金の髪と鮮やかな緑の瞳を持つ彼女が笑むと天使のように美しい。まるで絵画のようだとシュゼットは思った。

 枯葉色のようなくすんだ色の髪と瞳をしているフランチェスカは美しい色彩が好きだった。


「まあ、仕方ないことだと受け入れているわ。幸い、相手は評判の良い方のようだし。それに、婚約者がいるのに他の男性のことを考えるような不埒者は、悪魔に魅入られてしまうからね」


 ――貴族女性たるもの、嫁ぐ相手に生涯心身を捧げ続けるべし。他に心を移せば、たちまち地獄に落ちるだろう。

 それが、この修道院の門をくぐってから聞かされ続けた言葉だった。


「子どもじゃあるまいし、悪魔に拐われるだなんて脅さなくてもいいのにね」

「――案外、ただの脅しではないようよ?」


 凛とした声に顔を上げると、近くで作業をしていた黒髪の令嬢が意味深に微笑んでいた。


「イヴォンヌ。あなた、まさかあのおとぎ話を信じているの?」


 意外だと目を見開くシュゼットに、イヴォンヌは声を落とした。


「ええ。実際に悪魔に出会った者はいるらしいの。……悪魔に供物を捧げれば、愛しい人と結ばれるらしいわ」


 いつものように淡々とイヴォンヌは語る。

 彼女の話は荒唐無稽だ。いくら夢見がちなフランチェスカとて、騙される訳がない。


 だが、相手はイヴォンヌだ。

 彼女はこの修道院で最も家格の高い伯爵令嬢だが、それを一切鼻にもかけず、誰に対しても真摯で優しい。そのため、男爵や子爵などの下級貴族が大半のこの修道院でも人気の令嬢だった。

 知り合ってから三年、彼女がこの手の冗談を言ったことはない。


「く、供物って……?」

「あら。フランチェスカは悪魔のことをあまり知らないのね。悪魔が望むものと言ったらひとつでしょう? ……人間の命よ」

「命!」


 思ったよりも大きな声が出てしまい、フランチェスカは慌てて自身の口を手で塞ぐ。

 周りを見ると、何事かと周囲の令嬢たちがこっちを見ていた。なんでもないと愛想笑いを浮かべて誤魔化し、フランチェスカはイヴォンヌに視線を戻した。


「そんな物騒なものを捧げるの?」

「ええ。生きたままの人間を悪魔に捧げるの。なんでも、無垢で高潔な者の断末魔は悪魔にとっては甘美なごちそうなんですって」

「なんて恐ろしいの……」


 フランチェスカが真っ青になっていると、横にいたシュゼットが笑い声をあげた。


「もう、イヴォンヌ。あまりフランチェスカをからかってはだめよ。この子、すぐに本気にするんだから」

「え……?」


 軽く混乱しているフランチェスカに、イヴォンヌは申し訳無さそうに眉を下げた。


「ごめんなさい、フランチェスカ。今のは冗談よ」

「冗談……」

「そうよ。悪魔への供物は魂だと決まっているもの。命と言った時点で、イヴォンヌの嘘だとわかるわ。神学の授業を真面目に聞いていればね」


 悪魔については聞いた覚えはあったが、詳細はあやふやだ。姿や逸話がおどろおどろしくて記憶に留めておきたくなかったからだ。神や宗教行事のことを頭に叩き込んでいれば問題ないと判断していた。


「すっかり騙されちゃったわ……」

「イヴォンヌはこういう冗談言うタイプじゃないものね」

「ごめんなさい。面白そうな話題だったから、つい……。以前、読んだことのある小説の話をしただけなの」


 笑顔を浮かべたイヴォンヌは、他の令嬢に呼ばれ、その場を去った。


「あの子も、不安なのかもしれないわね」


 令嬢に刺繍のアドバイスをするイヴォンヌを遠目に見て、シュゼットはつぶやいた。

 なんのことかわからず目を瞬かせるフランチェスカに、シュゼットは声を潜めて教える。


「ほら。あの子って珍しく、ここに来る前から婚約者がいたじゃない?」


 この修道院に預けられる者は大抵まだ婚約者がいないことが多い。

 イヴォンヌは修道院に入る直前に父親の友人の息子と婚約した。現在、その婚約者は隣国に留学中している。


「婚約者が帰国したら結婚することになってたけれど、約束の期日を過ぎても戻ってこないって話でしょう? 他の子は次々婚約者を見つけてここから出ていったのに自分はずっと話が進まないから、情緒不安定になっているんじゃないかって」

「それで、あんな冗談を?」

「そう。……あまりに婚約期間が長いと、解消されることもあるじゃない。イヴォンヌと婚約者は仲が良かったと聞くし、好きな相手との婚約が取り消されることになると思うとつらいでしょう」


 シュゼットは心配そうにイヴォンヌを見やった。


 イヴォンヌは刺繍をしながら友人たちと談笑している。その表情にも仕草にも変わったところはない。

 考えすぎだと思いたいが、シュゼットのこうした勘はあたる。


 フランチェスカもだんだん心配になり、その後、ずっと気もそぞろだった。

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