episode59「ウサギさんの大好物-Mad Bad Circus Time Pt.2-」
「バカな……あのサイラス・ブリッツと戦って生き残っただと……!?」
ゲルビア帝国において、イモータル・セブンの隊長とは最強クラスのエリクシアンである。特にサイラス・ブリッツの高い戦闘力は知れ渡っており、単純な近接戦闘の強さだけなら右に出るものはいないと称されている程だ。
そんなサイラスと正面から戦って、無事に生きて帰れる人間など、ゲイラからすれば考えられない。サイラスの噂を聞いたことのあるシアにとっても、それは驚くべき話だった。
「シュエット……アンタそんなに強かったの……!?」
「……うん? ああ、うん……そうだ!」
嘘は言っていない。
実際シュエットは、サイラスと戦って生き延びている。
しかし別にサイラスは能力を使っていないし、途中でチリーが乱入しなければ死んでいたのは間違いない。
(ふっ……勢いで言ってしまった!)
内心冷や汗をかきつつあるシュエットだったが、もう吐いた言葉は戻せない。このタイミングで今更事情を説明してしまうのも格好がつかない。
どうしたものかと顔をしかめている内に、ゲイラの方が動きを見せた。
「なら……油断は出来ないな……元素十字――――炎ッ!」
ゲイラの言葉に元素十字が応える。そして元素十字の魔力が、炎となって渦巻き、シュエットへ迫った。
「う、うわーーーー!? アダマンタイトソードォォォォッ!」
慌てて、シュエットはアダマンタイトソードを振り回す。レクスの金剛鉄剣と違い、盾の代わりに出来る程のサイズはない。
だがアダマンタイトソードもまた、魔力に耐性のあるアダマンタイトで打たれた剣である。魔力で作られた炎に対して、アダマンタイトソードは力を発揮する。
「あッ……すごい! すごいぞアダマンタイトソード!」
シュエットのアダマンタイトソードは、なんと魔力で作り出された炎を切り裂いて見せたのだ。
滅茶苦茶に振り回したおかげか、炎は切り刻まれて小さな火の粉になって散っていく。
「炎を切った……!? どうやら、さっきの話はあながち嘘でもないようだね……!」
「そうともさ。来い、何度でも切ってやる!」
アダマンタイトソードの切っ先をゲイラに向け、シュエットは大見得を切って見せる。
しかし背中の辺りはもう、厭な汗でびしょびしょだった。
(あ、危ね~~~ッ!!!)
とりあえず、チリーが来るまでもたせよう。そう決意して、シュエットは改めてゲイラを見据えた。
***
「おいで! かわいいウサちゃん! 早くおいで! こっちですよォーーーーーーッ!」
ルベル・C・ガーネットは、恐らく過去最悪の窮地に立たされていた。
(クソッ……! こんな、こんなふざけた状況があってたまるかッ……!)
「人参……ふふ、ありますよ……。こんなこともあろうかと、僕が厳選した最高の人参が……ここに……ふふ」
まだ推察の域を出ないが、マーカス・シンプソンの能力はあのピンク色の霧だ。そしてその効果は、吸った人間を動物の姿に変えるという、驚異的なものである。
チリーはその小さくて真っ赤でつぶらな瞳で、自分の身体が真っ白な毛に覆われているのを今まさに直接見ている。自分では見ることが出来ないが、頭の上では長耳がピクピクと動いていることだろう。二本足で立つことが出来ず、チリーは地面に”前足”をついて、着られなくなった自分の服の中から様子を伺っている状態だ。
もっとも、この状態もいつまでもつかわからない。
「中々堕ちませんね。やはりエリクシアンには効きが悪いのでしょうか」
僅かに吸った程度でこの姿に変えておいて、効きが悪いとは恐ろしい話である。
「普通は姿が変わってすぐに動物さんの本能に抗えなくなるのですが……もしかして、あまりお腹が空いてないんですか!? ウサちゃん!」
実のところ、チリーはそれなりに空腹な状態だ。
エリクシアンとしての生命力の高さ故にこまめに食事を取らずとも活動することは出来る。しかしそれは、食事が全く必要ないということではない。エリクシアンだって空腹になれば食べたいと感じるし、眠って仮死状態にでもならなければ生命活動の維持が困難になる場合もある。
そして今のチリーは、真っ白な子ウサギなのだ。今のところ思考能力までは奪われていないが、ウサギとしての本能は間違いなくある。
つまりチリーは、今死ぬほど人参が食べたいというのが本音だった。
(なんでこんなに耐えられねえんだ……!?)
エリクシアンになって以来、抗いがたい程の食欲に襲われたことは一度もない。それ故に、本能的な食欲はまるで未知の感覚であるかのようだった。
ウサギが本当に食べたいのは人参の根ではなく葉の方。という今はどうでもいいことを、チリーは実体験として理解した。マーカスが用意した人参には、切り落とされていない葉の部分がたっぷりとついているのである。
「さあ、我慢しないでください。おいで? お食べ……」
(冗談じゃねえッ! ひとまずここは様子を見て、奴の弱点を――――)
***
マーカス・シンプソンは子供の頃から動物が大好きだった。
それは今も変わらない。いつまでも動物に囲まれていたいし、全ての動物を撫でるために無数の手がほしいと思ったことさえある。
夢中で餌を食べる動物の姿は、どれだけ見ていても飽きはしない。
かわいらしい小さなウサギが、夢中になって人参の葉を頬張っているのを見ていると、マーカスは思わず頬をほころばせてしまう。
抱きしめたくなるが、動物の食事は邪魔をしないのがマーカスの流儀だ。
それでも耐えられずに少しだけ撫でて、マーカスは笑みをこぼす。
「おいしいですか? ルベルちゃん……」
ウサギは何も答えず、ただひたすらに人参の葉を食べ続けていた。




