episode35「聖杯の力-Like a Blood-」
「な、な……なんつった……今……?」
頬をピクピクさせながら問うてくるザップに、ミラルは躊躇わずに畳み掛ける。
「自分の手を汚さないで、人を操って戦うなんて……卑怯よ! 最悪!」
「ひ、卑怯……?」
「そうよ! 卑怯者だわ!」
乗ってきた。そう判断してミラルが畳み掛けると、ザップはすぐさまわなわなと震え始めた。
「俺のこと言ってるのか……? 俺を、卑怯で最低な、小さくてくっせえ穴蔵に住んでそうな汚ェネズミ以下のゲロカスクソ野郎だって……そう言いたいのかよォォォォッ!?」
(……そこまでは言ってないわよ……っ!)
やや良心の呵責があったが、ミラルは躊躇する気持ちを飲み込んで押し切ることに決める。
「そうよ! 卑怯で、最低な、穴蔵にいそうな汚いネズミ以下の、クソ野郎よ!」
生まれてこの方口にしたこともないような罵詈雑言を、ミラルは一息に吐き出した。
「ひ、ひィーーーーーーーーーーーッ!?」
ザップは罵倒に対して極端に反応する。わずかな罵倒に反応して、感情をすぐに昂らせる程だ。そしてそれがそのまま、ラズリルの操作に影響していた。
そのまま順当に考えれば、感情が昂ぶれば昂ぶる程ラズリルの動きが速くなる。だがあえて限界まで刺激することで、操作を鈍らせることが出来ないかとミラルは考えた。
情緒の滅茶苦茶な人間が、馬の手綱を上手に握れるハズがない。
それにこれは、ラズリルの教えでもある。
――――実力でかなわない時は精神を揺さぶって隙を作るという手もあるよ。そこに勝機がある……かも……。場合によるけど。
この教えは、どうやらザップに対しては特に有効だったらしい。一つ目の賭けには勝てたようだ。
「お、おいおい……」
ザップの過剰な反応と、普段のミラルからは考えにくい罵詈雑言に、ラズリルは思わずそんな言葉を漏らしてしまう。そしてそれと同時に、身体を支配する力に異変を感じ取った。
今まではミラルに向かってナイフを降らせようとしていた力が、今はあらぬ方向に向かおうとしている。実際に、ラズリルはナイフを完全に空振った。
「さ、最悪だお前ェーーーッ! なんて口の悪い女なんだッ!」
喚き立てるザップはもう止まらない。
その場で地団駄を踏みながら、ザップは涙と鼻水を垂れ流す。
「クソ! 今日は絶対眠れねえよォーーーーッ! 最低だ! 最悪だ! クソクソクソクソクソ! あァーーーーッ! 頭ン中お前の言葉でいっぱいだ! 死にてェ~~~~~~ッッッ!」
(今だわ……!)
ラズリルの動きは完全に乱れている。ミラルはそれを突き飛ばしながらかわし、ザップへと急接近した。
(私の中には……チリーの魔力に干渉出来た聖杯がある)
ミラルは両手を突き出し、泣き喚くザップへと触れた。
「もし魔力を操れるのだとしたら……! チリーにしたのとは逆のことだって出来るハズよっ!」
これが、二つ目の賭けだ。
聖杯の力を用いて、ザップの中にある魔力を操作する。ミラルが持つ、現状考え得る唯一の――――決定打。
「お願い……聖杯よ、私に力を貸しなさいっ!」
ミラルの身体が、強く光を放つ。自らの意志で扱う聖杯の力は、あの日よりも力強く輝いた。
オーロラのような光がザップを包み込み、その光がザップの身体から魔力を吸い上げていくのが、ミラルには見えた。
「は……?」
次の瞬間、ラズリルが閃光の如く駆けた。
今までの速度とは比べ物にならないスピードでザップに接近し、ミラルとの間に割り込んでいく。
「ミラルくん、目を閉じてくれ」
思わず指示通りにミラルが目を閉じるのと同時に、ラズリルのナイフがザップの首筋――――頸動脈を切り裂いた。
夥しいまでの鮮血が飛び散り、返り血がラズリルを濡らす。せめてミラルだけは汚すまいと、ラズリルはその場に立ち続けた。
「申し訳ないが一切の加減が出来ない。……こんなことは、もう二度としたくなかったんだけどね」
そのまま、ザップはその場に倒れ込む。
ピクピクと痙攣しながら、ザップはありったけの血液を首筋から流し続けた。
「なん……で……俺……エリ、クシ…………えぇ……?」
「……」
エリクシアンが失血死するかどうか、ラズリルにはわからなかった。しかしそれ以前に、普通の刃が通るのかさえ不明瞭だった。
しかし結果はこれだ。
今までラズリルが過去に行ってきた”仕事”と変わりがない。
その事実に、ラズリルは唖然とした。
(ミラルくん。君の力は君が思っている以上にとんでもないのかも知れないぜ……)
恐らくミラルの聖杯によって魔力を操作されたザップは、一時的か永久的かは不明だが、エリクシアンの力を失っていた。
それが能力だけでなく、身体能力や生命力をも奪い、常人のものへと変えていたのだとしたら、この結果にも納得が出来る。
そして本当にそうなら――――ミラルの力は、対エリクシアンへの切り札になり得る。
既に事切れたザップを見下ろして、ラズリルは僅かに恐怖で震えた。




