深夜の戯れ言
ふわふわと身体が浮くような奇妙な感覚、遠くに聞こえる波の音。明かりの落ちた中で目を覚ました。しばらくその感覚を味わい、音をただ聞いてたけど睡魔は気まぐれを起こしてどこかへ行ったらしい。女の気まぐれみたいなやつだ。
薄暗い船室の中で身を起こすと、小さな窓からは夜の空に浮かぶ月が見える。時間にしてまだ深夜頃だろう。隣を見ればフィリアとエルが簡素な寝床で気持ちよさそうに眠っていた。
「(……あれ、ヴァージャがいない)」
ナーヴィスさんは専用の部屋があるからともかく、一緒の部屋で寝たはずのヴァージャの姿がどこにも見えなかった。まさか時間差で船酔いしてるなんてことはないよな……まあいいや、オレの気まぐれな睡魔もどこか散歩に行ったみたいだし、ちょっと見てこよう。
フィリアとエルを起こさないようにそっと船室を出ると、陸地とは違う冷えた風に思わず軽く身体が震えた。毛布でも持ってくればよかったかな。
出港から既に三日。明日の昼頃には目的のネイ島に到着する予定らしい。
ナーヴィスさんはオンボロ船って言ってたけど、年季は入っていても船自体は大きい。この船ならちょっとした嵐でもやり過ごせそうだ。今のところ天候には恵まれてるから心配はないだろうけど。
船の船首部分に向かってみると、ヴァージャはその甲板に座り込んで海を眺めていた。何を思うのか、月明りに照らされる横顔は少しだけ寂しそうにも見える。声をかけていいものか憚られたけど、背中に目でもついてるんじゃないかってくらいに隙のないこの男がド素人のオレの気配に気づかないわけもなくて。程なくしてその顔がこちらを振り返った。
「どうした、眠れないのか?」
「いや……ちょっと目が覚めちまってさ。あんたは?」
「……揺れにあまり慣れなくてな」
酔ってはいないけど波に揺られる感覚が苦手なのか。そういや、こいつ大昔のことしか見てないけどずっと森の中にいたもんな。もしかしてヴァージャも海って初めてなんだろうか。隣に腰を落ち着かせても嫌な顔をされなかったから、そのまま居座ることにした。
それにしても、そう考えると……これから行く場所ってこいつにとってかなり苦手な場所なんじゃないだろうか。
「苦手?」
「ああ、オレも話に聞いたことがある程度だけどさ、ネイ島のテーマパークはすごいらしいぞ。激しく揺れたり逆さまになって回ったり、吹っ飛ばされるような感じになったりとか……」
「……人間はそれの何が楽しいのだ?」
至極もっともな疑問をぶつけられて、思わずふき出すしかなかった。オレにだってわかんないよ、わかんないけど楽しいんだろ。
しばらくそのままの状態で互いに海やら空に目を向けて景色を楽しんでいたけど、ここ最近ずっと胸のうちにどっしりと鎮座しているものを吐露してみることにした。一人で考えても答えが出ないなら、相棒と相談するのも悪くない。
「なあ、ヴァージャ。あんたはさ、今の世界はどう変わればいいと思う?」
「わからん、私もそれを模索している」
「これまでの歴史の中で、今みたいな状態の時ってあった?」
「ない。私の力が失われるような危機的状況に陥る前に、いつもこいつが文明を破壊して全てをリセットしていた」
そう呟くと、ヴァージャは今日も横髪でひっそりと存在を主張する例のヤバい武器に触れた。見た目は綺麗な飾りだけど、あのとんでもない破壊力を目の当たりにしちまったら綺麗だの何だの呑気なことは言えない。
それにしても……文明を破壊ってサラッと言ってるけど、それかなりヤバいことじゃないの?
「森羅万象は、謂わば世界のバランスを保つ調停者だ。世界が崩壊に向けて傾くと、バランスを取り戻すために原因となったものを全て消し飛ばす。これは古の時代から変わらない」
「じゃあ、今そいつが動かないのは……?」
「こうした形で封印したからだ。先日、研究所で暴発しただろう。あれはこいつが今の文明を破壊したがっている証に他ならない」
あの花火みたいに綺麗だったやつだな。あれって文明を壊したくて暴れてたわけか。少し前は神さまが理性を失って暴れるくらいヤバい状態だったんだ、ヴァージャが封印してなかったら今の文明ってもうとっくに吹き飛んでたんだろうなぁ。
「……あんたは何でそれ封印したの? 封印しなかったらあそこまで弱ることもなかったんじゃ……」
人間にしてみれば有り難いことだけど、そもそもこのヤバい武器を封印さえしなければヴァージャが極限まで弱ることもなかったんだろうに。すると、ヴァージャはしばらく考え込んでから静かに答えた。
「なぜ、か……そうだな、疲れたのと……人間を憐れに思ったからかもしれない。人は一から文明を築き育んでいくが、発展し過ぎると偏った思想の者が生まれ、築いてきた文明を吹き飛ばされる。何度もそうした歴史を見ているうちに、途中で破壊せずにそのままでいたらどうなるのか見てみたくなった」
「それが、今のこの世界ってわけか……」
「だが、悪いことばかりでもないさ、お前に会えた。永い歴史の中でお前のような変わり者は見たことがない」
うるさいな、褒めてんのか貶してんのかどっちだよ。オレだってこいつみたいなおかしなやつ今まで見たことないよ。……悪いやつではないけどさ。
腹の中で文句を連ねていると、不意に頭にポンと手が触れた。反射的に隣を見てみれば、ヴァージャがいつもよりずっと穏やかな顔で薄く笑っていた。ほんのりと淡く光る黄金色の眸が満月みたいで思わず見惚れるほどに綺麗だ。
「リーヴェ、私はお前を愛しく思っているのかもしれない」
ああ、こんな顔するってことは悪い意味での変わり者じゃないんだろうな、なんて平和に考えていたオレの思考は、その一言で見事に停止した。それはもう、時間が止まったみたいに。




