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密やかな反逆



「や、やめてくれ! 助けてくれ!」



 ボルデの街から南に延びる街道を進んだ先には、鬱蒼とした広い森が広がっている。ラビラントの森と呼ばれるこの森は、一度立ち入ると延々と広がる木々が方向感覚を狂わせ、訪れる者を森の迷宮へと(いざな)うとされる所謂「迷いの森」だ。その森の中に、男の悲痛な声が木霊した。


 荷物を両腕で抱き締めるように抱える男は尻もちをつき、襲撃者の女を見上げて真っ青になりながら必死に尻で後退していく。



「命まで取る気はないわ、その荷をよこしなさい」

「こ、これは……これは駄目だ……」

「死にたいの?」

「これだけは頼む! 見逃してくれ! これをこの先の研究所に届けないと、俺だってどうなるか……!」

「交渉決裂ね」



 「ふう」と疲れたようにため息を吐いた女――サクラは、頭を抱える男の真後ろに素早く回り込み「ひいぃ」と引き攣った声を洩らすその首裏を手刀で叩いた。すると男は意識を飛ばし、ずるりとその場に倒れ込む。その手からはサクラが目を付けていた荷がバサリと落ちた。長方形のそれは大きめの封筒のようだった、サクラはそれを拾い上げると表面に捺してある星形の花の印を確認する。



「(……カルミアの花の印……間違いない、エアガイツ研究所のものだわ、この書類がそうね。彼らが無能を使って研究と実験をしてると聞いたけど、いったい何を調べているのかしら)」



 今回、サクラが目を付けたのは風の噂で聞いたエアガイツ研究所の話だった。

 マックに無能を調べろと言われてからというもの、彼女はあちこちの街や村々を当たったが、めぼしい情報を得られずにいた。


 そもそも、無能は無能。何の力も才能もないと言われているからこそ、彼らは無能と呼ばれ蔑まれている。もし何らかの力があったとしても、ちょっと調べた程度でそう簡単に何かを見つけられるわけがなかった、そんな簡単にわかることなら既に誰かが見つけて彼らの立場も今より良くなっているだろう。


 どうしたものかと困り果てていたところに飛び込んできたのが、彼らエアガイツ研究所の噂だ。


 サクラは拾い上げた封筒の中から中身を取り出すと、何枚もある書類を一枚一枚念入りに読み始めた。だが、先に進んでいくにつれて彼女の表情は真剣なものになり、書類を握る手が自然と震え始める。そこに記載されている情報は、サクラが想像もしていないものばかりだった。



「(これは……では、ティラがあれだけの力を持っていたのは、全てあの婚約者の影響だったということ……なるほど。だから彼と離れた後、ティラの能力が格段に落ちたのね。馬鹿な()だわ、あの彼をもっと大事にしていれば今頃は……あのアフティという女が言っていたらしい呪いの話も、こういうことだったのね)」



 サクラはその場に屈むと羽織りの中から手帳を取り出し、書類に記されている――特に重要だと思われる部分を素早く書き写した。そして取り出した書類を封筒の中に戻すと、依然として気絶したままの男の上着の中に押し込む。元より書類そのものを奪う気は彼女にはない、見たかったのはその中身だけだ。


 しかし、サクラはそこで悩んだ。



『――他に口外はするな』



 マックはそう言っていたはずだ。

 この研究員が目を覚ましたら、彼は書類の無事を確認してから目的地に再び向かうことだろう。そうなれば、この情報は不特定多数に漏れてしまう。

 だが――



「(グレイスとカース……この情報をマックに伝えていいものかしら。彼は本当に私たちの中から誰かを選ぶつもりはあるの……? 単純に調子のいいことばかり言って、最終的には全員切り捨てられるんじゃ……)」



 マックという男は、自分の腹のうちを決して人に晒さない男だ。天才(ゲニー)であるが故に周りには多くの人が集まり、誰も彼もが気に入られようとするが、マックが自分の周りに置くのは決まって女ばかり。次々に女をとっかえひっかえしては、毎晩のように色々な女と寝る。冷静になって考えてみれば馬鹿な話だ。


 この情報があれば、別にマックにこだわる必要もないのでは――サクラはそこまで考えると、ふと口元に薄く笑みを滲ませた。そう考えるとひどく気持ちが楽になったような気がした。



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