最後の賭け
「はははははッ! 馬鹿が、油断しやがったな!」
「あははっ! やりましたわ、マック様! とっても素敵です!」
マックは自分の放った矢が見事にヴァージャの腕に突き刺さったのを見るなり、声を立てて笑う。その後ろでは、リスティがうっとりした様子でマックの背中に飛びつくのが見えた。
あの野郎ども……ロクでもないことばっかり考えやがる! せっかく、もう戦わないでいいと思ったのに!
マックはリスティを背中に張りつかせたまま、自分の足元に風の魔術を放つとその力を利用してぶわりと宙を飛び、隣の塔から謁見の間へと降り立った。
「さあさあさあ! 神だろうと何だろうと、これで派手に弱っちまっただろ? あの時の雪辱、この場で晴らさせてもらうぜ! 神も、腑抜けた皇帝も俺が下す。そうすりゃ世界中に新皇帝誕生を報せてやれるなぁ!」
「ヴァージャ様、わたくしをお傍に置いてくだされば、このようなことはしませんでしたのに……あなた様がお悪いんですのよ、あんなふうにわたくしを傷つけたから」
こうしてる今も、皇帝が展開した術の効果は続いてる。空には依然として、この場の状況が映し出されていた。つまり、世界中の至るところでオレたちの現在の様子が見えてるわけだ。もしマックがヴァージャと皇帝を倒しでもしたら、マックのやつが新しい皇帝……ってことになっちまうのか? 冗談じゃないぞ。
リスティは……あんなふうにヴァージャにフラれたから、マックの側について復讐しようってのか。フラれたから手の平を返すって、そんなん愛情じゃないだろ。
マックとリスティを見据えて臨戦態勢をとるみんなの様子を後目に、オレはヴァージャの元へと向かった。ティラの怪我も気になるけど、まずはこっちが先だ。いくら神さまでもカースの影響は受けるって言ってたし、早いとこあの黒いドロドロしたものを吹っ飛ばして――
『みょ、みょおおおぉ~~!!』
「……ブリュンヒルデ!?」
傍まで駆け寄ろうとしたところで、ブリュンヒルデの悲痛な叫びが聞こえた。慌ててそちらを見てみれば、人三人を乗せてもまだまだ余裕だったはずのデカい獅子の身体が見る見るうちに縮んでいく。そうして、初めて見た時のあの小さい子猫の姿になってしまった。
それを見るなり、胸がざわめくのを感じた。
次にヴァージャを見ると、当のヴァージャは片手の平で顔面を覆い、低く呻いている。指の隙間から微かに見えた眸は――いつもの穏やかな黄金色とは違い、血のような真っ赤な色をしていた。
「――ヴァージャ!!」
直後、ヴァージャの身は赤い光に包まれたかと思いきや、いつかも見た巨大な、あまりにも巨大過ぎる竜の姿へと変貌を遂げ、そのまま城の屋根さえもぶち破って天高く飛び上がってしまった。
それと同時に下から突き上げるような大地の揺れを感じて、城全体が大きく揺れる。さっきまで青々としていた空は不気味な赤紫色へと変わり、まるで世界そのものが悲鳴を上げてるみたいだった。
「ヴァ、ヴァージャさん! どうしちゃったんですか!?」
「ヴァージャさんが竜に……! でも、ヘルムバラドの時とは様子が……」
フィリアやエルの声に意識を引き戻すと、慌てて空を見上げる。でも、ヴァージャは既に飛び去った後らしく、その姿は確認できなかった。
『――これがうっかりヴァージャ様に向けられていたら危なかったよ』
そこで、さっき地下で博士が口にした一言が脳裏を過ぎった。
マックが放った矢は、思わず目を背けたくなるほどのドス黒いオーラを纏っていた。間違いなくあれも、ニザーが研究して造り出したものだ。つまり、カースの力を凝縮したもの――どれほどの怨嗟が練り込まれていたのか、あの一撃でヴァージャの力は出会った頃と変わらないくらいまで弱ってしまったんだろう。ブリュンヒルデが子猫の姿になっちまったのが証拠だ。
ヘルムバラドの時も、反帝国組織のアジトに行った時も、ヴァージャは自分の意思で竜化した。でも、今回は違う。極限まで力が弱まったせいで、理性を保てなくなってるんだ。空の異変も大地の揺れも、力が弱まったことで世界を維持できなくなってるわけで……。
――調停者の役目を持つあの気性難のヤバい武器が、ヴァージャが暴れ狂うほどに弱った今の状態を……見逃してくれるわけがなかった。
ヴァージャの手から抜け落ちただろう森羅万象は、黄金色の力強い輝きを纏って宙に浮かび上がる。小刻みに震えて光を大きく膨れ上がらせていくその様は、破裂しそうになっている爆弾のようだった。
「はは……ッ、ははははッ! なんだ、何が神だよ! こりゃ傑作だ、あの時スターブルに現れたバケモノは、あの野郎だったわけか! おい、無能野郎! あんなバケモノを神だなんだと崇めるなんて、頭おかしいんじゃねえのか!?」
「……っ! バケモノなもんか! 仮に今のヴァージャがバケモノに見えるんだとしたら、神をあんなふうに狂わせるのはオレたち人間だ! お前のせいで世界がぶっ壊れようとしてるんだぞ!」
「マジかよ!? ぎゃはははは! そいつぁイイ! この俺様より強いやつなんかいてたまるか! そんなクソみてえな世界はなァ、ぶち壊れちまえばいいんだよ!」
マックのその嘲りと愚弄には、黙ってなんていられなかった。この野郎のせいでヴァージャがあんなことになっちまったのに、まだ……まだ言うか!
マックのやつはもう駄目だ、ヴァージャが憎すぎて完全に頭がイッてやがる。リスティは死ぬ覚悟なんてできていないらしく、その後ろでオロオロしてるけど、今更狼狽えたって遅いんだよ!
「リーヴェ、あれ……!」
「ヤバいんじゃ、ないか……!?」
サクラとディーアの声がすぐ近くで聞こえるけど、返事をするだけの余裕さえない。
せっかく……せっかく丸く収まりそうだったのに、ここで……全部終わりなのかよ。また文明が吹き飛んで、ヴァージャはまた一人でイチから世界を見守っていくんだろうか。あいつ、また独りぼっちになっちまうじゃないか……。
破裂する――そう思った直後、暴発しかけた森羅万象に真っ赤な魔法陣がいくつも重なった。それらは森羅万象の力を半ば無理矢理に抑え込み、ギリギリのところで破裂を食い止めた。
「リーヴェ、何やってるんだ!」
それと同時に飛んできた檄に反射的に振り返ると、そこにはサンセール団長に肩を借りて辛うじて立つグリモア博士がいた。森羅万象の力を抑え込んだのは、十中八九この人だろう。でも、その表情にはいつもの余裕なんか欠片もなくて苦しそうだった。
「きみにしかできないことがあるだろう! 早くヴァージャ様を!」
「で、でも、どうやって……」
オレだってできることならヴァージャを追いかけたいけど、空なんて飛べないし、どこに行ったかさえ……。
そんな時、すっかり子猫になったブリュンヒルデがオレの足にしがみついてきた。
『リーヴェしゃま! わたくしに、わたくしにほんのすこしのお情けを!』
……そうか、オレの力でブリュンヒルデが一時的にでも飛べるようになれば、ヴァージャを追いかけられる。こいつなら眷属だし、その居場所だってわかるはずだ。
「よしきた! ヴァージャを追っかけるぞ!」
『はいぃ! どこまでもお供しましゅ!』
ブリュンヒルデの小さな身を両手で抱き上げると、静かに目を伏せる。
――まだだ、まだ終わってない。このまま終わらせてたまるか!




