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それぞれの夜


 結局引っ越し作業が終わったのは、夜の二十時近い時間だった。

 今日ばっかりは夕飯もそこそこに、組織メンバーは各々部屋に引っ込んでいく。ヴァージャがメンバーたちのために城に作った部屋は想像以上に多く、一人一部屋というなんとも贅沢な待遇だった。この城、どんだけ広いんだろう。


 空に上がってしまえば余程のことがない限りは奇襲を受けることもないだろうし、今後の動きについての相談や会議は明日に持ち越しとなった。


 湯浴みを終えて部屋に戻る道すがら、ついでにあちこちを見て回る。寝るにはまだ少し早い時間だけど、いくつもある部屋の中から声はほとんど聞こえない。余程疲れたのか、それとも防音が完璧なのか。



「……ん?」



 自室のある一角に辿り着くと、ふと微かに話し声が聞こえてきた。誰かが部屋の外で話してるんだろうと思ったところで、その声が耳慣れたものだと気付く。これは……エルだな。どうしたんだろう、何か問題でもあったんだろうか。


 そちらに歩を進めてみたところで、続いて聞こえた声になんとなくその足が止まった。



「ディーアさんは、マティーナさんと仲いいですか?」

「仲? 俺のところは普通だと思うよ、ごく普通の……兄妹なんじゃないかな。それがどうかしたか?」

「……僕、姉さんがいるんですけど、物心ついた頃から姉さんとは上手くいってなくて……」



 普段、オレたちと一緒にいる時に口に出すことはないけど、エルはきっと姉ちゃんのことをずっと胸のうちに抱えてきたんだろうな、って。その短いやり取りからすぐにわかった。


 ……そういや、エルの姉ちゃんはマックのところにいるんだもんな、気にして当然か。何でもない顔して出て行くのは気が引けて、そのまま廊下の壁に背中を預けて身を隠す。盗み聞きなんて趣味が悪すぎるけど、どうにもエルのことが心配だった。しっかり者だけど、エルはまだ十五歳の子供なんだ。



「姉さんかぁ……姉さんいくつ?」

「僕と同じです、双子なので……」

「へえ、じゃあまだまだこれからさ。お前さんみたいに子供の身であれこれ理解がある方が珍しいんだよ。姉さんだってこうやって離れて暮らして、もう少し歳を重ねれば色々と見えてくるモンもあるさ」



 ディーアの返答に、エルはそれらの言葉を噛み締めるようにしばらく無言だった。二人して廊下の手すりに寄り掛かる形で身を預けながら、階下を見下ろしている。こちらからは背中側になってるせいで、二人が今どんな顔をしているかは窺えない。



「……時間が解決してくれるって、ことでしょうか」

「そうそう。俺はマティーナとはひと回り近く歳が離れてるし、だから喧嘩にならないのもある。けど、お前さんたちは同い年だ、家族であれ友人であれ歳が近いとふとしたことで上手くいかなくなったりするんだよ。それとさ――」



 そこで一旦言葉を区切ると、ディーアはエルに身体ごと向き直って軽く上体を前に倒した。上からエルの顔を覗き込むみたいな体勢は、決して疚しいことをしてるわけじゃないのに傍から見てるとちょっとドキッとする。あいつ、絶対に無意識にモテる男だ、距離が少しバグってるタイプの。押しに弱い女の子とかあれだけで落ちそう、ただでさえディーアも顔立ちは整ってるし……。



「お前、イイ子ちゃんになりすぎ。機会があったら姉さんと本音でぶつかってみてもいいんじゃないか?」

「本音で……」



 エルは、ディーアのその言葉に驚いたようだった。

 姉ちゃんは確か肺に持病があるって話だったから、きっと今まで姉ちゃんに気を遣うばかりで本音をぶつけてみたことなんてないだろう。ましてや、エルは天才(ゲニー)で姉ちゃんは無能ときたら、尚更だ。


 本音でぶつかってみろ、っていうその言葉は、エルの胸のうちに届いてくれたらしい。ディーアと向き合ったまま、何度も頷いてみせる。


 ……オレだったら、どうしてもエルの性格だとか気持ちを考えて結局ただの気休めみたいなことしか言えそうにないからな、ディーアがいてくれてよかったんだろう。本当、時間が解決してくれるといい。エルみたいな子が悩むのは胸が痛む。



 それ以上聞いているのも悪い気がして、音を立てないようにそっと離れて廊下の更に奥へと足を向ける。すると、今度はまた別の聞き慣れた声が聞こえてきた。



「サクラさん! まだゆっくりしてなきゃダメですよ!」

「さっきサンセールさんにも言われたんだけどね、ゆっくり休んでるのって性に合わないのよ」

「ダメです、運ばれてきた時だってひどい状態だったんですよ。リーヴェさんがいなかったらどうなってたか……」



 フィリアとサクラだ。……そういや、サクラはまだ本調子じゃないんだよな。フィリアが言うように一目で重傷だってわかるくらいのひどい怪我だった、流れ出た血は多く、彼女にはもうしばらくの休息が必要なんだ。逆に言えば、そんな状態でマックたちとやり合えたってことなんだけど。


 そっとそちらを覗いてみると、廊下の突き当たり――奥まった場所で談笑しているようだった。彼女たちのすぐ傍にはひと際大きな窓があって、景色を眺めるのにちょうどよさそうだ。



「そういえば、フィリアちゃんがリーヴェに頼んでくれたんですってね、ありがとう」

「い、いいえ、私が何か言わなくてもリーヴェさんなら普通に治療してたと思います。普段はおかしなところで照れ屋さんですけど、優しい人ですから……」

「……そうね、私の加入についても文句さえ言わなかったものね」



 優しいかどうかは置いといて、サクラにはまだ少し壁がありそうだな。主にオレに対して。彼女には本当に嫌がらせを受けたこともないし、バカにされたこともないからサクラ個人に対して嫌な感情ってのはまったくないんだけど……なかなか伝わらないものだなぁ。これがティラとかヘクセとかロンプだったら難色を示してたさ。



「でも、すごく嬉しかったです。リーヴェさんたちのことは大好きですけど、今まで女の子は私だけだったので……」

「ああ、たまには女同士でお話ししたかったのね?」

「えへへ……」



 言われてみればそうだ、どれだけ仲間内で仲がよくても女の子同士じゃないとできない話もあるだろう。さっきのエルとディーアの時も思ったけど、サクラの加入もオレたちにとっては想像以上に有難いことになりそうだ。戦力的にはもちろん、内面的にも。


 そうなると、女同士の話をこのまま立ち聞きしてるのも気が引ける。改めて気付かれないように、静かにその場を後にした。



 やっと行き着いた自室前で立ち止まると、目の前の扉を開けるべくドアノブに手を伸ばす。けど、それよりも先に中からその扉が開かれたかと思いきや、その先にはヴァージャがいた。こっちが何かしら反応する前に問答無用に腕を掴まれて、そのまま部屋の中に引っ張り込まれる。


 なんだ、なに、どうした。

 そうは思うものの、あまりにも突然のことに驚きすぎて満足に言葉が出てきてくれない。



「なん――」



 ヴァージャはさっさと扉を閉めるなり、そのままガチャリと内鍵までかけやがった。そうして身体ごとこちらに向き直ったその顔は――なぜだか、異様に怒っているようだった。


 ……オレ、何かしたんだっけ……?


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